第十四話 施薬院
尻が沈み込むようなフカフカのソファーに、一郎は浅く座っていた。
大理石のテーブルには顔色の悪い、無精髭の男が映っている。
握り込んでいた拳を開くと手汗でびちゃびちゃだ。
固まった体を揺すりながら、手のひらを太ももに擦りつけて拭く。
そうだ、現実逃避だ、ステータスを見よう。
上の空の一郎がUIを操作すると現在のステータスが表示された。
――職業『見習い沙門』 Level 20(MAX)
――職業『シュラーヴァカ』Level 1(ユニーク)
――職業『駆け出し薬師』Level 20(MAX)
――職業『オーデインド・メディック』Level 1(ユニーク)
――称号『パリグラハ』『還俗修行僧』『瓶の聖人』『在家菩薩』
「…………」
なんか変な職業になっているし、仰々しい称号が増えている。
『見習い沙門』のロックもいつ外れたのか分からない。
あと職業って重複するの?
そして今日、また変なことになった。
ボーッとしているところ、扉をノックする音に飛び上がった一郎は、慌てて入り口に向き直る。
咳を払ってどうぞ、と促すと職員の女性が入ってきた。
「お待たせしましたパリグラハ様!準備が整いました!」
女性は満面の笑みで一郎に言った。
彼女にとって今日は素晴らしい日なのだろう。
立ち上がった一郎は、形ばかりの合掌礼をした。
女性に案内されるまま、一郎は重い足を引きずりながら、建物の入り口まで戻り、開けられた扉をくぐった。
中庭に出た瞬間、割れんばかりの拍手の音が一郎を包んだ。
――うるせえ!これでもくらえ!
熱いご声援にLevel 35のジョード教儀礼で合掌礼をお返しする。
拍手がピタリと止み、水を打ったように場は静まり返った。
Level 30を超えると、礼に精神系状態異常の解除と威圧(中)の効果が付与されるのだ。
――誰か助けてくれ
そんな思いで観衆を見渡したが、彼らは一郎を必死に拝んでいて、誰とも目が合わなかった。
詰まった喉でなんとか唾を飲み込む。
意を決した一郎は、真っ青な唇を開いて、言った。
「施薬院、本日より開業いたします」
また、拍手の音が爆発した。
熱風で前髪が揺れた気がした。
院長は自分だと聞いている。
人だまりの奥の奥で、ニヤーマが誇らしげに拍手しているのが見える。
一郎は、人を助けるというのは、自分が助かってからだと思っていたが、どうやら違うようだった。
※
今日も今日とて奉仕価格で大量のポーションを納めに行ったある日のこと、一郎は薬師ギルド職員に応接室へと通された。
中に入ると、もはや友達のカーセネンと、これまた友達のウーパーリと、知らないお姉さんの三人がいた。
三人は立ち上がって軽く自己紹介を済ますと、それぞれ一つずつお願いを言ってきた。
カーセネンから一つ。
「整体の客でギルドが混雑しているから、整体のギルド依頼はもう出さないよ」
ウーパーリから一つ。
「住民たちは皆喜んでおります!是非とも整体を続けてくだされ!」
知らないお姉さんから一つ。
「治療師ギルドとして困っておりますの。整体をやめて下さらない?」
腕を組みながらお姉さんがそう言った瞬間、大男が立ち上がりかけたので友人二人で速やかに止めた。
この男は住民に帰依をしている。
ウーパーリにとって住民が神なんだ。
よく聞くと、どうやら自分の整体が原因で揉めているらしい。
彼女は治療師ギルド長のイダーケさん。
すらっとした長身に白いマントを羽織っている。
ショートカットが似合うかっこいい女の人だ。
客が来なくなった下々の治療師たちから相談を受け、いろいろ辿って一郎に行き着いたとのこと。
顔を真っ赤にした大男に凄まれて、顔を引き攣らせているが、意見は曲げていない。
大きな声をかけられたら、それがお礼でも謝ってしまう自分からしたら、彼女は尊敬すべきかっこいい上司だ。
一郎は薬師ギルドの経験値稼ぎでやっていただけだ。
しかもそれがカーセネンの迷惑になっていて、本業の治療師の飯の種を掠めているのだとしたら、続ける理由はない。
だが一郎にとっても人の役に立っている感覚も捨て難かった。
「困った住民はどうしろというのですかな!」
ウーパーリの信念は強いけど柔らかくはない。
こういう熱くなっている時のウーパーリは危険だ。
今は敵にも味方にもなりたくない。
となると、答えは自然に出た。
一郎は立ち上がって合掌礼を整える。
――カーセネン!すまん!
業者と業者に挟まれた時はこれに限る。
「そちらで決めて頂ければ、こちらはそのように致します」
「「あっ!」」
カーセネンとイダーケが声をあげたが、頭を下げた一郎は振り返ることなく部屋から出ていった。
一週間後、カショーの店でみんなでお茶を飲んでいたところに、やつれた二人と上機嫌の大男が入ってきた。
すべての集中線が一郎に集まっている。
カーセネンは身をすくめて固まる一郎に、一枚の紙を差し出した。
薬師ギルドより通達
パリグラハ・イチロウ殿
施薬院 院長として出向を命ずる
「お慶び申し上げます、パリグラハさん」
イダーケが切れ長の目を細めて、こちらを見ながら言った。
目の下のクマが今日までの疲れを表している。
美しい笑顔だが、瞼の向こうに炎がゆらめいていた。
一郎の逃走があの赤い瞳に火をくべたのだ。
「こちらでこのように決めましたので、そちらでそのようにお願いしますね」
「お願いしますぞ!」
頭が真っ白の一郎の後ろで、ニヤーマが頬を赤くして感極まっていた。
「兄さんたちも喜びます!」
ニヤーナの座学は主に、いかに兄弟子たちが立派だったかの話に尽きる。
昔は術の巧みな僧侶たちが運営する救護施設があったらしい。
だが、自分はそんなことは知らない。
整体師の真似事をしただけだ。
肩書きには憧れるが職責には用がない。
社会人としての一郎の限界は主任なのだ。
「施薬院の復活じゃ、めでたいですのぉニヤーマ様」
「よく分かんないけど頑張れよ」
カショーはニヤーマに付和雷同に続いた。
揉め事好きのクリスは、一郎のトラブルメーカーとしての手腕に感心しているようだった。
ふと、脳内にこめかみをトントンしながら、一郎を見下ろしてくる鬼上司の顔が浮かんだ。
――適当な返事をして帰ってくるんじゃねぇ!
――後でどうなっても知らんからな!
若い時に何回も怒られたなあ。
ここは仮想だが現実なのだ。
現実なら受け入れなければいけない。
ウーパーリの涙を思い出した。
これで助かる人もいるかもしれない、そう思って頑張るか。
一郎はしぶしぶ辞令を受け取ったのだった。
※
夜明け前に登攀行を行い、朝昼夕と人の腰を揉み、夜はカショーと並んで薬を煎ずる毎日。
院長生活は疲れるが、カーセネンもイダーケもフラフラになって施術を受けにくる。
みんな人生を頑張っている。
二人には友達価格で丁寧に施術をした。
早く修行僧一本でやっていきたい。
そんなしっくり来ない修行生活を続けていたある日、一郎はカーセネンから依頼の相談を受けた。
◯防衛クエスト『鶏蛇獣の駆除』
依頼者 自警団長 ウーパーリ
受領者 未受注
報酬 ウーパーリから受け取ること。
依頼内容 街の近郊に現れたコカトリスの駆除に同行願いたい。危険な相手ですが、御身は全身全霊でお守りいたします。
依頼書を差し出すカーセネンの顔は暗く沈んでいた。
僧侶にお願いするには血生臭い依頼だった。
――駆除、駆除か。
『不殺生』の二文字が浮かぶ。
「どうしたもんかなぁ」
崖の上、一郎は今日も、答えの出ないままご来光を迎えた。




