表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
44/47

第38節~唯一無二

 喉は、隠し本堂から戻って以来ずっと壊れていた。

 透き通る高音も、鈴を転がすような旋律も、もう出ない。


 それでも。


「……あ」


 一音が漏れた瞬間、部室の空気が“揺れた”。

 音というより、衝撃だった。


 かつての真冬の声が「光」だったなら、今の声は「摩擦」だ。

 喉の奥で何かが擦れ合い、ざらつき、掠れ、震える。

 まるで、隠してきた傷痕がそのまま音になったような、生々しい迫力。


「真冬、いけそう?」


 ピアスの問いに真冬は静かにうなずく。


 ピアスは八雲と伊武に目線をやり、ギターをかき鳴らす。


 それに続く2人を追うように真冬が深く息を吸う。


 拡声器のチープな回路を通すと、その粗さは増幅され、真冬の重低音をのせたノイズが混ざるーー色気とも痛みともつかない熱が部屋中に散った。



「……っ」


 八雲の指が鍵盤の上で止まりかける。

 伊武のリズムは、真冬の吐息に引きずられるように重くなる。


 拡声器越しの声は、もう“前の真冬”ではなかった。


 ざらつき、掠れ、震えながらも折れない芯。

 弱くない。

 むしろ、感情がそのまま擦れて出てくる。


 ピアスは増幅器の前で動きを止めた。


 ――やば。


 心の中で呟いた瞬間、遅れて鳥肌が立つ。


 粗さは消えない。

 むしろ前に出てくる。

 音が割れる寸前の危うさ。

 喉が壊れそうなギリギリ。

 なのに、色気だけは異様に濃い。


「……なんだこれ」


 伊武が呟く。

「すげぇ」とか、そんな軽い言葉では片付かない。


 八雲は鍵盤を叩きながら、視線だけを真冬に向けていた。

 正直、怖かった。


 歌えば、全部黙らせられる。

 さっき自分が吐いた言葉が、皮肉みたいに現実になりかけている。


 でもそれは、勝ち負けじゃない。

 ただ――


「逃げ場がない」声だった。


 真冬は拡声器を握りしめる。

 自分でも制御できていない。

 音程も呼吸も綺麗じゃない。

 でも止められない。


 出てくる。


 心の奥に溜まっていた、


 - 見下された視線

 - 名前すら呼ばれない噂

 - 「後ろにいるだけ」という一言


 全部が、声の震えになって溢れてくる。


 歌詞は即興。

 意味は整っていない。

 なのに、一音一音が叫んでいた。


「私は、ここにいる」


 ピアスはギターを鳴らしながら確信する。


 これは武器じゃない。

 才能でもない。


 ――生き残り方だ。


 守られた声は、守られた場所で輝く。

 でも、この声は違う。


 踏まれて、削られて、

 それでも折れなかった証明。


「……真冬」


 誰にも聞こえないほど小さく、ピアスは名前を呼んだ。


 真冬は歌い終わり、はっとして口を閉じる。


 静寂。


 誰も拍手しない。

 誰も感想を言わない。


 ただ、空気だけが変わっていた。


 八雲がぽつりと言う。


「……もうさ。『後ろにいるだけ』とか、言えねぇな」


 伊武が苦笑する。


「言った瞬間、潰されるわ」


 真冬は拡声器を下ろし、俯いた。


「……怖い。

 この声、前の私じゃない」


 ピアスは即答した。


「だからいい。

 前の真冬は守られてた。

 今の真冬は、逃げてない」


 一拍。


「この声は――強烈だね」


 真冬はゆっくり息を吸う。

 まだ自信はない。

 まだ信じきれない。


 でも、もう戻らなくていい。


 この掠れた声が、自分の“今”なんだと、初めて思えた。


 そのとき。


 部室のドアに人影がふたつ。


 天音と晴花が、取っ手を握ったまま立ち尽くしていた。


 天音の中で、かつてのクリスタルの声は完全に砕けていた。

 代わりにそこに立ち上がったのは――

 脈打つ黒い霧。


 晴花は、自分が描いたゲリラライブのイメージが

 目の前の咆哮によって引き裂かれていくのを見て、唇を噛んだ。


「……こんなの、どうやってまとめればいいのよ」


 拒絶ではない。

 表現の試行錯誤としての戦慄。


 天音はリュックを落とした。

 ノートの中の「正解にしない」という一行が、脈打つように熱い。


「……まとめなくていい」


 天音は一歩、真冬の“黒い霧”の中へ踏み出した。


「この壊れた音を、そのまま世界に叩きつける。

 そのためだけに、私は言葉を書く」


 真冬の目が天音を捉える。

 掠れた一音が、天音の頬を撫でた。


 それは、地獄の底から響く、最高に美しい宣戦布告だった。


 天音はノートを開き、

 真冬のアドリブの言葉を――必死に、書きなぐった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ