第37節~吐き出す
学園祭準備が本格化すると、
天音と晴花の立ち位置は、少しずつ歪み始めた。
教室では、作業の指示が飛び交う。
模造紙、段ボール、ペンキの匂い。
「みんなで作る」という建前の下で、
声の大きい意見だけが残っていく。
天音と晴花は、どこにいても目立った。
黒板の前で話していても。
廊下で意見をまとめていても。
放課後、部室に消えていくときでさえも。
「天音、今日も部活?」
「晴花も? また一緒?」
悪意はない。
けれど、温度のない確認が、何度も刺さる。
二人は相変わらず頼りにされていた。
企画案も、全体の流れも、聞かれれば即答できる。
それでも。
「……最近、あの二人さ」
「響音部の人たちと、ずっと一緒だよね」
「正直、ちょっと浮いてない?」
その視線は、直接天音たちに向かうことはない。
代わりに、矢は弱いところへ落ちていく。
向けられる先
「真冬ちゃんさ」
「騒音部だっけ?あれ部活発表とかないんでしょ?」
「出ないなら、天音と晴花を部活より学祭優先出来るようにすべきじゃない?」
ひそひそとした声。
誰にも聞こえないつもりの、無責任な言葉。
八雲は、それを聞いてしまった。
昼休み、屋上。
フェンス越しに校庭を見下ろしながら、
彼は指を強く握りしめていた。
「……意味わかんねぇ」
声が、低く擦れる。
「表向きは部活発表やらないって言ってあるんだから仕方ないだろ」
伊武がたしなめる。
「それを、外野が勝手にうぜぇんだよ」
八雲はとまらない。
真冬は、手すりの向こうを見ていた。
下の校庭で、クラスメイトが談笑している。
さっきすれ違ったとき。
自分の名前は出ていなかった。
でも――
「“あの子ら、天音たちの後ろにいるだけでしょ”」
その言葉だけは、確かに聞こえた。
真冬の指も、フェンスを掴む。
「……私」
声が、揺れた。
「何かしたかな」
八雲が、勢いよく立ち上がる。
「ちげぇだろ!」
声が裏返る。
「何もしてないのに、勝手に“下”に置かれるのが、ムカつくんだよ!」
屋上の空気が、張りつめる。
伊武は、ベンチに腰掛けたまま、ため息をついた。
「おいおい。爆発すんなって」
「うるせぇ、伊武は平気だろ!」
「平気じゃねーよ」
伊武は笑わない。
「ただ、慣れてるだけだ」
それでも、八雲は止まらない。
「天音と晴花は“選べる側”で、
俺らは“付属品”みたいな扱いだろ?」
真冬の喉が、ひくりと鳴る。
その中途半端な感覚が、一番苦しい。
八雲の中で、何かが切れかける。
自分でも驚くほど、強い口調。
「歌えば、黙るだろ。ああいう奴ら」
真冬の肩が、ぴくりと跳ねた。
「それは……」
「それは、何?」
空気が張り詰める。
伊武が割って入る。
「はいはい、ストップ」
缶コーヒーを振りながら、いつもの調子。
「部室でやれ」
「屋上でキレ散らかすなよ、周りの奴らビビらせんな」
八雲は舌打ちし、真冬は視線を逸らす。
制御が、きかない。
伊武の軽さでは、もう抑えきれないところまで来ていた。
天音がいないだけで、こんなに声が荒れるのか、と伊武は思った。
「……やっぱ、ここにいた」
その声に、三人が振り返る。
ピアスだった。
屋上の扉を少しあけ、顔を覗かせる。
いつもと変わらない、淡々とした表情。
「なんか用」
八雲が吐き捨てる。
「今、忙しい」
「知ってる」
ピアスは即答した。
「だから、来た」
一歩、屋上に足を踏み入れる。
「ここで荒れるより」
「部室で音にしなきゃ、もったいない」
真冬が、ゆっくりと顔を上げる。
「……でも、わたし」
弱々しい。
ピアスは、少しだけ考えてから言った。
「とにかく」
「少しでも、出さないと」
一拍。
「今日、眠れなくなる」
八雲が、苦笑した。
「なにそれ」
「事実」
伊武が肩をすくめる。
「ほらな。結局、そうなる」
四人は、何も言わずに屋上を出る。
誰かに見られてもいい。
悪目立ちしても、構わない。
この鬱憤は、
音にしないと、腐る。
部室
ドアが閉まると、外の音が一気に遠ざかる。
八雲は、椅子を蹴るように座った。
「クソ……」
ピアスは、ギターを手に取る。
「吐き出せ」
「音で?」
「それ以外、あるか?」
八雲が鍵盤を叩く。
荒い。
正確さなんてない。
伊武がリズムを入れる。
淡々と。
その中で――
真冬は、立ち尽くしていた。
誰も「歌え」とは言わない。
けれど。
音が、背中を押す。
喉が、勝手に震える。
出たのは、
かつての透明な美声じゃない。
掠れて、歪んで、
息と音の境界が曖昧な声。
でも。
その一音で、
部屋の空気が、確かに変わった。
八雲が、鍵盤を止める。
「……今の」
真冬は、口元を押さえた。
「わからない」
震える声。
「出そうとか、戻ったとか……違う」
「ただ、溢れただけ」
ピアスが、静かに言う。
「それでいい」
「壊れた音は、壊れたまま使え」
真冬は、まだ自分の声を信じていない。
けれど。
部屋の中の誰一人、
その声を「失敗」だとは思っていなかった。




