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第35節~夏の終わり

夏休み最終日は、いつも音が多い。


蝉の掠れた鳴き声。

洗濯物を揺らす風。

テレビの中の、誰かの作った元気な声。


全部が「終わるぞ」と、無遠慮に押してくる。


天音は、昼過ぎの部室に一番乗りだった。


扉を開けた瞬間、籠もった熱気が頬に貼りつく。

古い扇風機を回すと、首を振るたびに情けない音を立てて、生温い空気をかき混ぜた。


「……暑い」


独り言は、誰にも拾われずに落ちる。


リュックの底に、ノートがある。

あの一行を閉じ込めたままの、それ。


見せない。

今は、まだ。


書いたことより、書かなかった時間のほうが重い。


「げ、先客」


伊武が入ってくる。

首にタオル、汗染みのTシャツ。


「最後の日くらい、家で寝てろよ」


「伊武くんこそ」


「……家、冷房弱くて」


嘘だな、と天音は思う。

でも、指摘しない。


少し遅れて、晴花と八雲。


晴花はコンビニ袋を揺らす。


「はい。最終日の配給」


溶けかけのソーダアイス。

安っぽくて、雑で、ちょうどいい。


八雲は無言で包装を剥き、電源の入っていない鍵盤の前に座った。


真冬は、一番最後に入ってくる。


窓際に立ち、校庭の端でまだ声を張り上げている運動部を、ぼんやり眺めていた。


誰も「練習しよう」と言わない。

誰も帰ろうともしない。


アイスを齧る音。

扇風機の首振り。

氷が歯に当たる、小さな違和感。



アイスを齧りながら、伊武がふと思い出したように言った。


「そういやさ」


「ピアスは?」


一拍、空気が止まる。


晴花が、わずかに肩を揺らした。


「……え?」


「今日来ると思ったけど、いねぇから」


晴花が、何でもない顔で続ける。



「ピアスくんなら、おじいちゃ……宵雨先生のところに用事あるって」



伊武がニヤつく。


「へー。ずいぶん詳しいんだな」


八雲が続ける。


「晴花、夏休み中は静寂堂に通い詰めてたもんな」


「八雲、うるさい!」


晴花はアイスの棒で八雲を軽く叩いた。


その横で、真冬は完全に話を聞く体勢になっていた。

背中が前のめりで、視線は晴花から一ミリも外れない。


天音は、そのやり取りを黙って見ていた。


晴花の声は、いつもより少しだけ高い。 誤魔化すときの癖。


捨てたはずの気持ちが、

捨てきれないまま、別の居場所に預けられている。


そんな感じがした。



「なあ」


伊武が、棒を噛みながら言う。


「明日から学校だけどさ。俺ら、どうすんの」


一瞬、空気が止まる。


「どうするも何も」


八雲が答える。


「合宿で決めただろ。完成度はいらない」


「逃げない、ってやつ?」


「それだけだ」


天音は、リュックに触れた。

秘密は、熱を持っている。


真冬が振り返る。


逆光で表情は見えない。


「……今は、出さない」


出せない、じゃない。

出さない。


その違いを、全員が黙って受け取った。


「じゃあ」


晴花が、空になった袋を丸める。


「明日から、噛み合わない準備だね」


「クラスの出し物、騒音、文句」


「最悪」


「最高だろ」


伊武が笑う。


夕方を知らせるブザーが鳴る。

味気の無い単一な音。


天音は立ち上がった。


日常は、相変わらず薄くて、うるさくて、面倒だ。


でも、その底に、確かに重りがある。


「帰ろ」


誰かが言い、全員が動く。


青春なんて、たぶん呼び名が違う。


これは、

湿度と、

未完成と、

逃げなかった時間が、

たまたま同じ部室に残っていただけだ。


天音は、最後に部室の鍵をかけた。


明日、この扉を開けるとき。

日常は、また同じ顔で待っている。


それを、敵だと思うかどうかは、

まだ決めなくていい。



ノートの角が、リュック越しに背中に当たっていた

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