表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/43

第31節~壊れたまま


 朝の隠し本堂は、昨日よりも重たかった。


 空気が澱んでいるわけじゃない。

 ただ、音を出す理由が、どこにも見当たらなかった。


 真冬は、声を出さなかった。


 水を飲み、喉に触れる。

 触れて、やめる。

 何度も、繰り返す。


 天音は、それを止める言葉を持たなかった。


(昨日、止めなかった)


 その選択が、今日の空気をつくっている。


「……今日は無理だな」

 伊武が言った。

「声、もう限界だろ」


 八雲が頷く。

「休ませるべきだ」


「でもさ」

 伊武が続ける。

「休ませるって……何から休ませるんだよ」


 誰も答えなかった。


 晴花が、真冬の前に立つ。

「今日は、歌わなくていいよ」


 真冬は、首を横に振った。

「……私が、許せない」


 それだけを、言った。


 ピアスが口を開く。

「今日は、何もしなくていい。音を出さない選択も——」


「違う」

 真冬の声は、掠れながらも、はっきりしていた。


「止まったら……昨日が、ただの失敗になる」


 沈黙。


 ピアスが、一歩前に出る。

「……やろう」


 視線が集まる。


「声が出なくても」

「評価されなくても」

「今日の音は、全部、僕が引き受ける」


 伊武が、歯を食いしばる。

「……最低だな」


「知ってる」

 ピアスは、目を逸らさなかった。

「でも、必要だ」


 真冬は、震える息を吸った。


 音は、ほとんど出なかった。

 それでも——

“出そうとした”痕跡が、空気に残った。


 誰も、止めなかった。


 合宿二日目は、

「壊れたまま進む」ことを、

 全員に強いた日だった。


 ---


 夜


 夜の隠し本堂は、昼とは別の顔をしていた。


 灯りを落とすと、音の居場所だけが残る。

 出なかった音、出そうとして引っ込めた音、

 それらが、空気の底に沈んでいた。


 誰も、楽器に触れなかった。

 それは約束ではなく、共通の恐れだった。


 真冬は、柱の近くに座っていた。

 ひざ掛けを揺らしながら、指先を握りしめている。

 喉には、もう触れなかった。


 触れた瞬間、

「何も戻っていない」ことを確認してしまうのが、怖かった。


 天音は、少し離れた場所からそれを見ていた。


(昨日、壊した)

(今日、止めなかった)


 どちらも事実だ。

 そして、そのどちらにも、言い訳はなかった。


「……なあ」

 伊武の声が、夜に引っかかる。


「今日、誰も止めなかったのさ」


 続きが、うまく出てこない。


「正しかったのか?」


 八雲が、短く息を吐いた。

「正しかったら、楽になれるのか」


「……ならねぇな」

 伊武は、笑えない顔で言った。


 晴花が、ぎこちなく続けた。

「私……

 見てるだけって、こんなに怖いと思わなかった」


 責めてるわけじゃない。

 でも、許せてるわけでもない。


 中途半端な感情が、夜に残る。


 ピアスは、壁に背を預けて座っていた。

 ギターは抱えたまま、まるで触れられるのを拒むように。


「……引き受けるって言っただろ」


 誰に向けたとも知れない声。


「今日起きたことを、後から意味づけしない」


 天音の喉が、ひくりと鳴る。


「頑張ったから正解、とか」

「壊れたから成長、とか」


 一拍、置いて。


「そういう言葉で、今日を片づけたくない」


 伊武が、荒く息を吐く。

「最低だな」


「知ってる」

 ピアスは、逃げなかった。


「でも、優しくすると……

 真冬の怖さを、なかったことにする」


 その名前が出た瞬間、

 真冬の肩が、小さく震えた。


「……私」


 声は、掠れて、途中で切れる。


 誰も、急かさなかった。


「今日……

 歌うの、怖かった」


 涙は出ていない。

 でも、声が、もう限界だった。


「でも……

 止められたら、全部、元に戻される気がした」


 元の声。

 元の自分。

 元の、安全な場所。


「だから……

 壊れたままで、いい」


 その言葉は、願いではなく、縋りだった。


 天音は、視線を落とす。


(見ているしかない)


 それは、残酷で。

 ……でも、最大の信頼だった。


「今日は、終わりだ」


 ピアスが言う。


「回復もしない。

 結論も出さない」


 誰も、異議を唱えなかった。


 布団に入っても、眠れなかった。

 けれど、無理に眠ろうともしなかった。


 合宿二日目の夜は、

 何も生まなかった。


 それでも——

 誰も、逃げなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ