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第九話:名もなき呪いと野良犬の牙

塔での「仕事」を終え、フローラとエマは屋敷にもどる。だんだんと他のメイドも起き始めており、ローブの置き場所とパンの置き場所を教えてもらい、エマとはそのままわかれた。石だけは盗まれないように、肌身はなさず、持ち歩かなきゃいけないらしい。


そしてフローラは掃除用具を片付け、仮眠を取る間もなくセリーヌ様への午前の奉仕を終えた。廊下の角を曲がったところで、影のように佇む人物に足を止められた。


「メイさん。少し、こちらへ」


マリアでした。彼女の背後に漂うのは、いつもの穏やかな威圧感ではなく、張り詰めた冬の空気のような緊張感だ。フローラは喉まで出かかった悪態を飲み込み、静かに頭を下げて彼女の後に続く。


案内されたのは、メイド長の執務室。簡素ながらも厳格に整えられたその部屋で、マリアは扉を閉め、鍵をかけた。


「……随分と、丁寧な歓迎ですね、メイド長」


フローラは少し皮肉げに、低い声で毒づいた。


「エマさんから、引き継ぎは済みましたか?」


マリアはフローラの事を咎めることもなく、机に手をついて問いかける。


「はい。掃除メイドとしての仕事を教えて頂きました。…勿論、世にもおかしい時間外労働の方もしっかりと」


フローラの刺すような視線。しかし、マリアはその瞳を真っ向から受け止め、静かに、しかし重みのある声で告げる。


「あの子を、見ましたね」


「……はい。…母親に捨てられたとも気づかず、水に浸したパンを食ってる、哀れなガキをな。あれが実はうちのやり方でしたってか?そりゃあ、知らなかったぜ。『飼い殺し』にして、なんかの防衛システムに組み込む必要がある、とかか?そもそも何さらっと人のこと、面倒事に巻き込みやがった!?」


「言葉を慎みなさい、フローラ」


マリアの声が、鋭い刃のように空気を切り裂きました。


「あれは『飼い殺し』ではありません。……あの子を守れるのは、現在、あの塔の秘匿魔法だけなのです。外へ出せば、あの子は一晩も持たずに『吸血鬼』、あるいはもっと恐ろしい何かに成り果てる可能性があります。そうなれば子供といえど、領民の安全ため殺さねばなりません。今の状態でも教会の者たちにでも見つかれば、即刻処分対象かもしれないのです。…あの子は呪われているのですから」


「……呪い?」


フローラは眉を潜める。


「あなたがなぜ選ばれたか、知りたがっていましたね。理由は単純です。エマさんは心優しく、真面目でしたが……あの子をあの場所から連れ出そうとするほどの『蛮勇』も、『力』も持っていなかった。それでもあの時、エマさんにその役を託したのは、私がもう彼処の塔の階段を自由に登り降りできる程には、若くはないからです」


マリアは一歩、フローラに歩み寄りました。その瞳には、今まで見せたことのないような、剥き出しの期待と、深い悲しみが混在していた。


「フローラ。あなたは元々、ならず者で、法の外側を知っているのでしょう?そして、一度噛み付いたら離さない、野良犬のような強さがあると私は思っています。今までメイド長として長く働いてきましたが貴方のように、わずか数カ月で奥様にメイド長候補になれるのではないかと評価される所まで登ってくるようなものはいませんでした。奥様が拾ってきたボロボロの貴方がここまで奥様にとってつかえる人材になるとは、あの当時少しも私は思っていませんでした。……私は、ただ守るだけの番人のような存在が欲しいのではありません。いつかあの子も大人になり自分の状況に必ず気づく時が来る。そのいつか来る『その時』に、あの子が恨みからグレンデル領に手を出さないように、あの子を連れて地獄を駆け抜けられる、強い手が必要なのです」


「……っ、勝手なこと言ってんじゃねえぞ。私はただのメイドだ。ただのメイドになったんだ!」


フローラは後ずさりをする。


「あの子の名前は、エマさんからも教えられていないでしょう? ……実は、あの子にはそもそも名などないのです」


マリアは窓の外、塔があるはずの方向を遠く見つめる。


「もし、あなたがそれでも嫌だと言うのなら、そのポケットに入っているであろう、その石を返して今すぐここを去りなさい。記憶を消す魔法薬は既にここに準備してあります。……さあ、選択は貴方の自由ですよ。……フローラ、春の女神の名を持つ、強き子よ」


マリアは魔法薬の小瓶をフローラの前に差し出す。沈黙が部屋を支配した。


フローラは拳を固く握りしめ、ポケットの中の魔石に触れる。恐らくこれはメイド長候補としてメイド長になる為の試練のようなものも混ざっているのだろう。そして恐らくこれが秘匿された職だとすれば、少女が恨みつらみで手遅れになった時に、怪物になる前に『処分』する役も。


あの、水にパンを浸していた少女。自分に気づいて「お母さん?」と顔を輝かせ、髪の隙間から見えたあの宝石のような瞳。


「……ヘドが出るってんだよ、どいつもこいつも」


フローラはマリアに差し出された魔法薬を押しのけると、マリアを睨みつけた。


「いいか、勘違いするなよ。私はあの子に同情したわけじゃねえ。……ただ、拾ってくださった奥様のために、このグレンデル領に危害を負わす存在を放っておけないだけだ。それと、これを全部解決して私がもしきちんと、てめえの期待通りにやりきれたら、てめえのその立場、私が貰うからな」


マリアの口元に、わずかな、本当にわずかな微笑みが浮かびました。


「ええ、それで構いません。……期待していますよ、メイさん」


「……二度とフローラって呼ぶなよ。次は本当に噛み付くからな」


フローラは鍵を開け、吐き捨てるように言って部屋を飛び出した。


心臓がうるさいほどに脈打っている。


これから始まるのは、完璧なメイドの演技だけではない。


「グレンデルの塔」という呪われた歴史と、あの塔に閉じ込められた少女の未来、そしてきっと誤ればグレンデル領をも危険に晒すような最も危険な裏仕事。


――やってやろうじゃねえか。


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