第八話:檻の中の慈愛
塔を下りきった二人は、再びあの奇妙な石畳の上に立った。
エマは少し震える手で、自分が着ているローブの胸元をめくった。裏地の目立たない場所に、小さな石が縫い付けられている。彼女がその石を地面の石畳に翳すと、微かな魔力の脈動が伝わってきた。
「これを……最初に来た場所で翳すと、戻れるの。メイさんのローブにも、同じものがついているはずよ」
フローラは言われるがまま、自分のローブをひっくり返した。そこには、小さなポケットがついていて鈍い輝きを放つ「光の魔石」が入れられていた。
「……うげっ」
思わず声が漏れた。精巧な技巧が魔石自体に組み込まれている。裏社会を少し齧っている彼女にはわかる。これ一つで、しがないメイドが一生遊んで暮らせるほどの高級品である。魔石は魔力を自動的に溜め込む性質があるため、それ自体は半永久的に使用できる。しかし、魔道具に魔石を組み込む事はあるが、魔道具の外枠の技巧が組み込まれた部分は魔石をはめ込んで使っているうちに回路が故障する消耗品であり、買い替えが必要になる。魔石自体に記載されるというのは、昔ながらのやり方であり、それは半永久的に故障することがないという意味で完成形ともいえるが、なにせ酷く難しいことで可能な職人はあまりいないのだとかで、今は簡単な魔道具の外枠に技巧を施すやり方のほうが主流である。
「入る時は誰でも入れるけど、出るのには条件があるの。もしこれを持たずに森を進んで戻ろうとしても戻れないの。……どれだけ歩いても、気づいたらまたこの塔の前に戻ってきちゃうのよ。私、迷い込んだ時にね、夜になって、朝になっても出られなくて……怖くて、泣いちゃった」
エマは当時の恐怖を思い出したのか、自分の肩を抱くようにして俯いた。
――成る程。てことは、あの御伽噺、良い感じにまとめられただけでクソ怖え御伽噺の可能性があるよな?
フローラは塔を見上げた。
御伽噺では「村人を守るために隠した」と美化されているが、その実態に「条件に適さないと帰れない」性質を持っているというならば、主人公グレンデルは、自分を蔑んだ村人たちを閉じ込め、永遠に外に出られないように復讐するつもりだったのではないか。村人たちが「たまたま出られた」のは、あくまでグレンデルの想定外の事態に過ぎなかったのではないか――。
今もなお、その隠匿魔法が途切れることなく塔を隠しているというのだし、もはや凄い執念である。慈愛の象徴として語り継がれるお伽話の裏に、もっとドロドロとした執着の歴史を感じて、フローラは薄ら寒い思いがした。
そしてそれが今の少女の姿が、その不吉な推測を裏付けているように思えてならなかった。しかしフローラは疑問に思う。
「……エマ先輩、では最初の時、ここからどのように出たのでしょうか?もしその説明が正しいのならば、エマ先輩、出られないままでは…?」
「……メイド長が、もしかしたらって感じで探しに来てくれて見つけてくれたの。メイさんの言う通り、あの時、確かに私は秘密を知った口封じに、殺される一歩手前だったかもしれない。でも、マリア様が奥様に必死に掛け合ってくれて……その代わりとして、私がこの『仕事』を引き受けることになったの」
エマの震える肩を、フローラは黙って見つめた。
一介のメイドを救うために、主家に楯突き、命の保証を取り付ける。記憶消しの魔法薬で記憶を消させるのではなく、仕事を引き受けさせるかたちで。
あのクソ真面目で、隙のないメイド長が、そんな危ない橋を叩き割るような真似を?その真意は、慈悲なのか。あるいは、もっと別の……。
――ますますあのクソ真面目なメイド長が、何考えてるのか分からなくなってきたぜ
フローラは魔石のついたローブを強く握りしめた。
この仕事を引き継ぐということは、あの少女の孤独な嘘を支え続ける「片棒を担ぐ」ことと同義だ。フローラは、視線をエマに戻し、低い声で問いかけた。
「……エマ先輩。あの娘は一体誰なんですか? それに、あの娘が待ってる母親ってのは、一体、どちらの方なのでしょうか。」
エマは困惑したように首を振った。
「わからないの。私はただ、この仕事を特例で任されただけで……。詳しい事情は、何も聞かされていないわ」
「しかし、エマ先輩、あの娘の前では事情を知っているかのように振る舞っていたように感じられましたが…?」
「あれは、あの子から聞いた話よ。……昔はお母さんも、ここへ来ていたらしいわ。私は会ったことないけれど。でも、いつからか来なくなって……それであんな風に私に聞くようになったの。お母さんが最後に少女に残した言葉が、『いい子で待っていなさい』だったって、あの子、本人が言ってたわ。私だって……事情がわからないから、なんてことないように励ますしかできないのよ…。本来なら私は生かされてるはずもない存在だし…。それにもし、お外に出ちゃったら朝晩は冷え込むからあんなに小さい子だと凍えちゃうし…。塔の中だけは温度調節がされてるし安全なのよ」
エマの言葉には、嘘をついているような気配はなかった。自分がいつか殺されるかもしれないという不安でいっぱいで、少女にまで気を配る余裕はあまりないながらも、彼女なりに必死に考えてだした結果が今のやり方なのかもしれない。
母親の正体も、少女の名も、ここへ閉じ込められている本当の理由も知らないまま、しかし、彼女ははただ「嘘の希望」を配膳し続けてきたのだ。母親が誰かもわからず、いつ来るかもわからない。それでも、この塔に閉じ込められた少女にとっては、その残酷な言葉だけが唯一の生きる糧になっているのだろう。
――あの娘は、信じ続けているのだろうか




