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第七話:見えない塔と怪物の名

フローラの口から、つい乾いた笑いが漏れた。


――奥様のいらっしゃるこの邸宅でもこんなのがあるんだな。


その後、エマに続いて少女と別れ、再び「壁」のような急勾配の階段を下り始めたフローラの胸中は、得体の知れないモヤモヤで満たされていた。


扉を閉める際、ふと振り返ると、少女は硬いパンを皿に入れた水にピチャピチャと浸し、ふやかしては少しずつちぎって口に運んでいた。その姿が脳裏に焼き付いて離れない。自分は正義の味方じゃない。そして、あんなのを始めてみたわけでもない。昔、何度も見たことがあるはずである。それなのにこんな風にモヤモヤしている自分が何よりも不気味だった。


――ちっ、気持ち悪い。甘くなったなあ、私も


「こっ、こっち……。ここから、外、見てみて」


しかし、四階まで下りたところで、エマが手招きをした。


――今度は、なんだ、いったい


促されるままに、フローラは古びた石窓から外を覗き込む。


その瞬間、彼女は自分の感覚を疑った。


「なっ……」


視界の先には、鬱蒼とした森が広がっている。しかしそのすぐ向こうには、見覚えのある整然とした景色――トーマスが手入れをしているはずの、領主邸の庭が見えるのだ。


恐らく距離にして、ほんの数百メートル。そんなはずはない。


屋敷からこれほど近い場所に、見上げるような巨塔が聳え立っていれば、嫌でも目に入るはずだ。今日まで一度も、この塔の影すら見たことがなかった。


「……メイさん、グレンデル領に伝わる『グレンデルの塔』の御伽噺、知ってる?」


エマが、消え入りそうな声で問いかけた。フローラは眉間に皺を寄せながら頷く。


昔々、この地に一人の男がいた。 彼は驚異的な能力を持っていたが、その容姿はあまりにも醜く、両親ですら顔を背けて彼を「グレンデル(怪物)」と呼んで忌み嫌った。しかも男は狡猾な性格だと謗られ、村人たちからも疎外されていた。


しかしある夜、村は大群の魔物に襲われる。 絶体絶命の村人たちを救ったのは、他ならぬあの「怪物」だった。彼は実は魔法使いで強力な魔法を使い、村人たちを一つの塔の中へと隠した。


魔物たちは夜通し村を蹂躙したが、目の前にあるはずの塔にだけは、どうしても気づくことができなかった。まるでそこには、最初から何も存在しないかのように、彼らは塔の周りをうろうろと彷徨うだけだった。


夜が明け、危機が去った事で、村人たちが塔から恐る恐る出ると、既に「グレンデル」と皆から呼ばれていた男の姿はどこにもなかった。 己の過ちに気づいた村人たちは、彼を傷つけたことを深く後悔し、立派な墓を建てた。それ以来、男の名は「慈愛」の象徴として讃えられ、毎年祭りが行われるようになった。


そしてその祭りは、男が村人を守るために建てた塔によって、今もどこからか、人々をひっそりと見守られている――。


子供向けの、ありふれた寝物語だ。


――まさか、ここがその『見えない塔』だって言うことじゃねえよな


「……ここね、グレンデル領が攻められた時の、非常用最終防衛システムなんだって。ごく一部の人間以外には、秘密にされている場所なの」


フローラは思わず顔を片手で覆った。


お伽話は、実際にあった物語だったわけだ。


今、この世界では吸血鬼の被害が現実のものとなっている。知性を持ち、犠牲者である人間時代の記憶を受け継いで増殖する化け物たち。領主様が今まさに討伐に遠征しているのも、その脅威ゆえだ。


貴族や大商人たちが「隠れ家」を用意するのは当然だが、これほど高度な秘匿魔法が施された塔など、もはや国宝級の代物だろう。それをグレンデル領が持ってる理由が、元からあった過去の遺物だというなら、確かに納得できなくはないが。


「……あの、エマ先輩。なぜ、あなたがこんな機密事項を知っているのかお聞きしても? 一介のメイドが立ち入っていい場所ではないのではないですか、ここ。それに、失礼ですが、お貴族様の「隠れ家」を見つけてしまったが最後、普通は首と胴体が離れるものなのでは…?」


隠れ家を知った人間は、外に出せない。知識が引き継がれる以上、もし、知っているものがヴァンパイアになれば、もはやそこは「隠れ家」としては利用できないからだ。記憶を消す魔法薬もあるが、それなりに値段が張るために、それで記憶を消す事を選択してくれるものばかりではない。そして魔法薬で記憶を消されたあとならば、2回目がないようにどちらにしろクビにされるはずだ。勿論、口封じされるという正確な証拠はないが、ならず者時代に裏でコソコソとそんな話が話されているのを聞いた事があるので、なくはないだろう。フローラの鋭い視線に、エマはうじうじと指を弄びながら白状した。


「私、かなり前に別の部署にいたことがあって……。その時に、森で薬草を採取するよう命じられたんだけど、道順通りにいけばいいのに、目印の木に巻いてあるテープを見失って迷子になっちゃって。それで迷ってた時に彼処の赤い印が見えて…近づいて、偶然、あの魔法陣でここに飛ばされちゃって……」


エマの言葉を聞きながら、フローラは再び塔の壁を見回した。


迷い込んだメイドが、偶然「防衛システム」の内部に入り込む?


だとしたら、エマがこの「お守り役」をさせられているのは、単なる適性ではない。秘密を知ってしまったがゆえの特例的な措置。


そして、その仕事を自分に引き継ごうとしているマリアの狙いは――。


――クソったれ。とんだ厄介事に首を突っ込ませられちまった


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