第五十四話:地下の爆散
「――ッ、往生際の悪い!!」
フローラの叫びが地下に木霊した。
隙ができ、エヴァンズの剣がキメラの心臓を捉えた――そう確信した刹那、異形の肉体が不自然に波打ち、内側から弾け飛んだ。
仕留めた、と思った。だが、キメラは死の淵でその身を数十の「鼠」へと分裂させ、致命の一撃を紙一重でずらしたのだ。翼を失い、空を飛べなくなったキメラは、数による蹂躙へと戦術を切り替えた。
無数の赤い目が暗闇で光る。
飛行能力は失われたが、代わりに地を埋め尽くすような黒い波が、壁や天井を這い回りながら押し寄せてくる。
狙いは、恐怖で泡を吹いて気絶した、無抵抗な「聖職者」だ。
「この期に及んで、餌を確保しようってか……!」
フローラは迷わず男の前に立ち塞がった。
石礫による死亡ならまだしも、ここでこいつが噛み殺されれば、鼠たちはその血を糧に再び完全体へと戻るだろう。そうなれば、先程のような奇跡は期待できない。自分たちは崩落に巻き込まれるだけでなく、外の世界へ「最悪の化け物」を解き放つことになる。
「死なせねえよ……ここまできて死なせるわけにいくか!」
銀の拳が、殺到する鼠を粉砕する。だが、すばしっこい小標的はフローラの最も苦手とする相手だ。一匹叩き潰す間に、三匹が足元を抜けようとする。焦燥が肌を焼く。
「いい加減にしろ、このクソ聖職者! 自分の身くらい自分で守りやがれ!」
フローラは毒突きながらも、男の前に立ち塞がった。ナックルを構え、飛びかかる鼠を次々と叩き落とす。だが、相手はすばしっこい小動物の群れだ。一匹でも男に到達し、その血を吸わせれば、吸血鬼たちは再び力を増幅させてしまう。
「メイさん!」
背後で、エヴァンズの声が響いた。彼もまた群がる鼠に包囲されつつあったが、その瞳には冷徹な決断の光が宿っている。
「手荒になりますが、これ以上は流石に時間がありません。……貴女はその男を連れて、今すぐ元来た道を戻りなさい!」
「なっ、先生はどうすんだよ! 分裂したこいつらを放っておいたら……!」
「私もすぐに行きます。……ただ、これからは少し御法度な事をしますのでね。貴女が近くにいると、巻き込んでしまう」
エヴァンズはそう言うと、右手に持った魔法ランプの調整ネジを、指が白くなるほど限界まで回した。ランプから漏れる光が、直視できない太陽のような白熱した輝きを放ち始める。
「……先生、あんた!」
「早く! 行きなさい!!」
その鋭い一喝に、フローラは思わずたじろいだ。エヴァンズはそれでも立ち止まる彼女に、ふっと、いつものように柔和で、どこか悪戯っぽい微笑みを向けた。
エヴァンズはそう言うと、右手に持っていた魔法ランプの調整ネジを限界まで回した。ランプから漏れる光が、白熱した太陽のような輝きを放ち始める。
「先程は、ありがとうございました。貴女の機転に救われましたよ。……今日は、いや、初めてお会いしたときから、貴女を不満にさせてばかりだ。なので、たまには私にも、格好いい所を見せさせてください」
フローラは奥歯を噛み締めた。言いたいことは山ほどある。一人で残るなんて、死にに行くのと同義だ。だが、エヴァンズの眼差しには、それが「無謀」ではなく「確信」に基づいたものであるという、静かな威圧感があった。
「…………分かったよ。ただし」
フローラは吐き捨てるように言い、気絶した聖職者を持ち上げた。
「あんたのことを頭のネジが外れたやつだと思った事はあるが、格好悪いと思ったことなんて、一度もねえよ。――だから、死んだら承知しねえからな!」
「…ええ、約束しますよ」
エヴァンズの穏やかな返声を背に、フローラは闇の中を全力で駆け出した。
フローラが通路の闇へ飛び込み、その背中が見えなくなった瞬間。
エヴァンズの静かな呟きが、崩壊する石音に混じった。
「……本来、人に光を届けるための魔道具を、こう使うのはどうかと思うのですがね。…それでも火を灯しましょう」
エヴァンズが、白熱する魔石を、鼠の群れの中心へと叩きつける。
次の瞬間、ランプに込められた魔力が指向性を失って暴走し、地下に充満したガスと埃に引火。割れたレンズから、魔力の奔流を伴った超高温の炎が噴き出した。
まばゆい閃光が地下を白く塗り潰し、異形たちの絶叫が爆風の中に掻き消える。
その衝撃は、すでに限界を迎えていた地下の岩盤に、最後の一押しを与えた。
「――っ!!」
背後で地鳴りのような轟音が響き、通路が激しく突き上げた。
フローラは意識のない男を抱え上げ、背後から迫る瓦礫の波から逃れるように、出口の光を目指して死に物狂いで泥を蹴った。




