第四十七話:地下室の体験隊
「……ありましたよ。ここだけ板の継ぎ目が不自然に浮いている」
フローラが指差した先、不自然に大きさの不揃いな床板が並んでいた。周囲の木材は湿気を含んで黒ずみ、腐っている。その板を剥ぎ取ると、ぽっかりと口を開けた闇が、地下へと続く階段を晒け出した。
「……何でこんな場所に、地下への入り口なんて」
フローラが眉を潜めて呟くと、エヴァンズは一段下を覗き込み、冷静な声で応じた。
「さて、どうしましょうか。一旦引き返して、奥様に報告を入れますか?」
フローラは数秒、その闇を見つめて葛藤した。確かに怪しげな場所だ。だが、現時点では「ただの古い地下室」の可能性もある。確定的な証拠が何もない。
「……いえ。何があるのか、自分の目で確かめてからにします。ここを通った奴がまだ追い付ける所にいるかもしれないですから」
意を決して踏み出したフローラの背後で、パッと小さな光が灯った。エヴァンズが胸元から取り出した、携帯用の魔道具のランプだ。
「……準備がいいですね、先生」
「当然ですよ。まあ、私は夜目が利く方なので、これが必要なのは主にメイさんのためですがね」
「……はいはい。有難う御座います」
フローラの神経は限界まで尖っていた。カツン、カツンと、二人の足音だけが反響する。
しばらく進むと、壁の所々に錆びついた鉄輪や、断ち切られた鎖がぶら下がっているのが目に入った。。エヴァンズがランプの光を壁に当て、低く呟く。
「……地下室ではないようですし、となるとおそらくここは元々、奴隷商が人目を忍んで商品を売り買いするための秘密通路だったのでしょうね。そういう場所は何度か見たことがあります」
フローラは思わず顔を顰めた。
「奴隷の売買なんて、随分昔に禁じられたはずでしょう? もしかして、ここがその当時の残骸……」
「ええ。吸血鬼が現れてからは、他所から得体の知れない奴隷を招き入れるなんてリスクは誰も冒しませんから、とっくに廃れた商売でしょうが、その跡地だけがこうして忘れ去られても残っていたのでしょう」
「趣味が悪いですね。……ん?ちょっと待ってください。もしかしてここ結界の外に繋がってたりしないでしょうね?」
フローラの問いに、エヴァンズは「可能性は高いですね」と平然と返した。
「ですから、いずれここは完全に潰してしまった方がいい。本当に取引場所までの通路で今も崩れてなければ、確実にこの先はグレンデル領の結界の外に繋がっていますから」
「……それは、吸血鬼が入ってきてる可能性があるという事では……!?」
フローラの脳裏に最悪のシナリオが浮かぶ。結界をすり抜け、地下から既に怪物が雪崩れ込んでいる。それなら今すぐ報告しなければならないし、祝宴どころではなくなる。
「恐らく、大丈夫でしょう」
しかしエヴァンズの声が、フローラの焦燥を優しく、しかし確固たる意志で遮った。
「もしここから吸血鬼が既に雪崩れ込んでいたら、街は今頃、平和ではいられません。それにメイさん、気づいていませんか? このグレンデル領の民は、他領に比べても吸血鬼への警戒心が高く、浄化に対しての意識が高い」
「……まあ、隣のルミナス領との境界で治安が悪化したことも有りましたしね。でも、民の意識が高かろうが、吸血鬼には関係ないんじゃ?」
「いえ。前におさらいしたように、初期段階の吸血鬼は生前の癖や性格をそのまま受け継ぎます。自分が変異したことに気づかないまま、周囲の流れに乗って神殿へ行き、そのまま日課だからと慣習通りに動いて浄化されて消滅してしまうパターンも、実は結構あるんですよ」
「……へ? そ、そんな話、聞いたことありませんよ」
「そうでしょうね。あまりに流されやすかった人は、死んでからもなんとなく聖域に足を踏み入れてしまう。しかし、騎士たちの体面もありますし、そんな間抜けな記録は表には残りません。ですからこれは秘密ですよ。……それに、もし初期段階を抜けた本物の凶悪な個体が領地を襲うなら、真っ先に領主を狙います。領主を味方にしてしまえば、領民の血は吸い放題ですからね。ですが、奥様……セリーヌ様は今も健在でしょう?」
セリーヌ様はニンニクの効いた料理も口にするし、浄化の儀式も欠かさない。フローラは頷く。
「……あとは、私がいます。今はしがない家庭教師でも、吸血鬼討伐を長いことしてきた騎士が、近くにいる吸血鬼も見分けられないとでも?」
エヴァンズが少しだけ誇らしげに、しかし悪戯っぽく微笑む。フローラは唇を尖らせた。
「……確かに、そうですね。しかし、なんだか先生が不本意に騎士っぽくて、安心感がすごいのが腹立たしいですね…」
「不本意に……?私はメイさんに元騎士として、常に安心をお届けしていたはずですが…?」
「いや、安心感を与えてくれる人は初っ端に墓場に行って吸血鬼討伐クエストを私にかしません」
「…」
エヴァンズは苦笑いしながら、再び前方の闇を照らした。
「吸血鬼には生前の記憶がついて回る。それは厄介な性質ですが、逆を言えば、この通路を知っているのは当時の奴隷商か、取引相手だけ。ですが、そもそも数百年前の話ですから、彼らはもう生きていない筈です。……あそこの入り口も、恐らくその頃はもっときちんとした巧妙な造りだったのでしょうが、時が立つにつれて壊れて、古い小屋を建てた際に意図せず塞がれていたのが、床板の腐食によって再び露呈した……そんなところではないでしょうかね」




