四十三話:墓場の闘争
墓地の空気は、湿った土と腐敗、そして吸血鬼特有の鼻を突く悪臭に満ちていた。そして何故かいつも薄暗い。
敵は、吸血鬼の毒に当てられ、その端くれと化した鼠や鴉の群れだ。
「――っ、ちょこまかと……!」
フローラは毒づきながら、目の前の鼠を拳で叩き伏せた。相手は小犬ほどもある大鼠の吸血鬼だ。図体がデカくなってくれて、むしろ助かった。本来の大きさのままなら、さらに厳しかっただろう。素早く動く小動物の類は、ナックルダスターという至近距離の打撃武器とは絶望的に相性が悪いのだ。
反射神経を研ぎ澄まし、飛びかかってくる鴉の首を掴み、そのまま石床へ叩きつける。銀製のナックルダスターが吸血鬼の不浄な肉を焼き、影は黒い霧となって霧散していった。
一方、エヴァンズはといえば――。
実に軽やかだった。彼は腰に帯びていた細身の剣を、流れるような剣筋で振るう。利き腕ではないはずの右腕一本で、襲いかかる影を次々と、作業的に処理していく。アンナとは比べものにもならない。
――……この人、本当に剣を置いたのか?
フローラはその背中を見ながら、複雑な思いを抱く。利き腕でなくとも、これだけの技量。彼の実父が「右腕一本でも騎士を続けろ」と憤った理由が、嫌というほど理解できてしまった。
そんな事に気を取られていると、ふいに、死角から数羽の鴉がフローラを狙って一斉に飛来した。
――ちっ、噛まれる!
防御が間に合わない、と思った瞬間。エヴァンズの振るった刃が一瞬で鴉たちのの首を刎ね飛ばした。
「おっと。怪我はありませんか、メイさん」
「助かりました……が、そもそも貴方がこんな所に連れてきたせいなんですからね」
フローラが息を切らして恨み言を吐くと、エヴァンズは楽しげに「それは失礼」と笑う。そして彼はふと視線を墓地の奥、一際大きな古い墓標の影へと向けた。
「おや……大物がいますよ。下級吸血鬼の中でも、あれはかなりの掘り出し物だ」
そこには、もはや何という生物だったのか判別もつかない、異形の塊が蠢いていた。
複数の鴉の翼と、肥大化した鼠の肉体が、まるで悪意を持って縫い合わされたかのような姿。歪な鳴き声を上げ、大気を震わせる。
「鴉と鼠の両方の特徴を持っている……共食いを繰り返して、ここまで肥大化したんでしょうか。鴉と鼠、どちらも共喰いをする習性がありますしね。良かったですね、メイさん。ここで倒していなかったら、間違いなく街に甚大な被害が出ていましたよ」
満面の笑みで語るエヴァンズに、フローラはイラッとする。人を無理やり戦場に引きずり出しておいて、この状況を幸運だとでもと呼ぶ男の神経を疑う。
「さて、メイさん。分担しましょう。私が鴉の方を抑えますから、貴女は鼠の方をお願いしますね」
「は……? 分担!? ちょ、ちょっと待って……! あれで1体なのにどう分担するんだよ!?」
「大丈夫、貴女ならできます。ほら、来ますよ!」
巨獣が咆哮を上げ、鴉の翼が激しい風を巻き起こす。
エヴァンズは上空へと跳ねた。彼の剣が銀の閃光となり、羽ばたこうとする翼の付け根を、一つ一つ解体するかのように刻んでいく。
その直下。フローラは、逃げ場を失った巨獣の太い前脚へと肉薄した。
「――っ!」
巨獣が鼠の反射神経で、強烈な爪を振り下ろす。フローラは膝を滑らせるように地面を這い、懐へと潜り込んだ。視界に入るのは剛毛に覆われた分厚い肉体。
「重い一撃なら、私も負けねえ!」
指を噛み締め、渾身の力を拳に込める。
ガッ!!
鈍い衝撃音が墓地に響く。フローラの拳が、巨獣の足をつぶす。巨体が大きく傾く。
そこへ翼を完全に削ぎ落としたエヴァンズ が向き合う。
「トドメ、失礼します」
彼の剣が、巨獣の眉間を貫く。
断末魔の声をあげて、キメラの巨体は灰となって崩れ落ちていった。
墓場に、再び静寂が戻る。
残ったのは、荒い息をつくフローラと、汗一つかいていないエヴァンズだった。
やがて墓場を覆っていた不浄な気配が消え、完全な静寂が戻る。
「さて、お疲れ様でした。大丈夫ですか?」
エヴァンズは懐から取り出した布で剣の血を拭いながら、何食わぬ顔で問いかけてきた。
「……大丈夫なわけがないだろ。怪我こそねえが、見ろ、この服」
フローラは忌々しげに自分の服を指差した。外出用のその服には、下級吸血鬼が灰になる間際に撒き散らした黒い血が点々と飛び散っている。
「これ、洗濯してもなかなか落ちないんだが……?というか、この格好、目立つんですが…調査どうするんだよ!」
「おや」
エヴァンズは、彼女の服の汚れをまじまじと見つめた。そして、自分の服の返り血を見て顎に手を当てる。
「それは困りましたね。では――お詫びと言っては何ですが、次は貴方の行きたい場所へ行きましょうか。酒場や広場のような、調査用の場所ではなくね」
「……はい?」
フローラは不審げに眉を寄せた。
「この格好で、ですか? 私、今、吸血鬼の返り血を浴びた服を着てるんですよ。何を考えてるんですか、貴方は」
「まだ秘密です。大丈夫ですよ。それでもきちんと考えはありますから」




