第四話:ワケあり大作戦
翌朝、用意を整えた廊下でフローラを待っていたのは、先輩メイドのエマだった。
彼女はいつも影が薄く、人付き合いを避けるように静かに立ち振る舞う女性だ。年齢こそフローラより下だが、この屋敷での経験は彼女の方がずっと長い。
「それではエマ先輩、本日はよろしくお願いいたします」
フローラが完璧なメイドの笑みを浮かべて挨拶すると、エマは自分より背が高く、フローラの方が年上だったためか、気圧されたように、肩をびくりと揺らした。しかし先輩と呼ばれたので先輩らしくしようと思ったのか、必死に口を開く。
「あ……えっと、メイド長から話は聞いてるわ。今日は私と一緒に行動してもらうから、よろしくね。ええと、フローラちゃん……で、いいのよね?」
その呼び名に、フローラの眉がわずかにピクリと跳ねた。
「恐れ入ります、エマ先輩。……もし差し支えなければ、私のことは『メイ』とお呼びいただけないでしょうか」
申し訳なさそうに、しかし切実さを込めてフローラが乞うと、エマは不思議そうに小首を傾げた。
「え? でも、素敵な名前じゃない。どうして……」
「……どうしても、その理由をお聞きになりたいのですか? ……仕方がありませんね。エマ先輩がどうしてもと仰るのなら、実は……」
フローラは視線を落とし、いかにも「語るも涙、聞くも涙の深い事情がある」と言わんばかりの深刻な表情を作ってみせた。
案の定、エマは慌てて両手と首を激しく振った。
「い、いいえ!むっ、 無理に聞いたりはしないわ! ごめんなさい。嫌なことを思い出させちゃったみたいで……!」
「……左様でございますか。ご理解いただけて助かります、エマ先輩。本当にお優しい方なのですね」
まるで感激したようにフローラが微笑むと、エマは顔を真っ赤にして「う、うん」と頷いた。
――よし、食いついた。ちょっとワケありな空気を出せば、勝手に深読みして引いてくれる。チョロいもんだぜ。
内心で毒づきながら、フローラはエマの後ろをついて歩き出した。
さて、あのメイド長が課すくらいだから、どんな特殊な、あるいは危険な仕事が嫌がらせの如く待ち受けているのかと警戒していたフローラだったが、始まったのは拍子抜けするほど普通の掃除だった。普段は奥様の側付きとして華やかな場所にいるため、泥臭い掃除仕事は新鮮ではあったが、特筆すべきことは何もない。
――なんだよ。メイド長、大層な顔して「仕事を代われ」なんて言ってたけど、大したことねえじゃねえか。脅かしやがって。
そして夕刻、予定されていた全ての工程が終わった。結局、今日一日で不審な点は何一つ見当たらなかった。
フローラは心の中で盛大に舌打ちをしながらも、表面上は淑やかに頭を下げた。
「本日はありがとうございました。大変勉強になりました」
「いや、全然……。あ、あのね、メイさん」
エマが消え入りそうな声で言葉を切る。その表情には、一日中隠し持っていたような言い出しにくそうな陰りがあった。
「本当はね、皆がまだ寝静まっている早朝に、一つだけ大事な仕事があるの。でも、私……メイさんに初めて声をかけるから緊張しちゃって、起こせなかったのよ。本来なら今日、全部教えきらなきゃいけなかったのに。ごめんなさい……」
「早朝の、仕事……ですか?」
聞き捨てならない言葉に、フローラの目が鋭くなる。
エマはおどおどと視線を彷徨わせながら、念を押すように言った。
「明日は必ず、まだ皆が眠っているうちに声をかけるから。その時に、また宜しくね」




