第三十七話:すれ違う激励
神官への引き渡しを終えた二人は、ようやく屋敷の門をくぐった。
フローラは、荷物の重みを感じながら、今日という一日を静かに反芻していた。
――……アンナ。鼻持ちならないし、失敗の多い女だと思っていたが。
確かにエマの言う通り、関わり方さえ間違えなければ、仕事の面では「できる」部類なのだろう。今回、初めてそれを肌で感じることができた。フローラにはない貴族としての審美眼、それがあったからこそ、ヴォルフラム家にとって最良の品々を選び抜き、傷一つなく持ち帰ることができたのだ。
――これからも同じ屋敷で働く以上、ここで少しばかり歩み寄っておくのが、将来的にメイド長を目指す上でも、大人の処世術というものだよな。エマたち周囲の能力を鍛えるだけじゃなく、こいつとの関係改善も、できるならやっておくか。
そう考えたフローラは、足を止め、隣を歩くアンナに向き直った。
「アンナさん。……今日の買い出し、貴方の視点があったおかげで、私一人では選べなかった素晴らしい品が揃いました。暴徒への対応も、貴方の援護があってこそです。……これからも、共に切磋琢磨し、屋敷のために頑張りましょう」
努めて誠実に、そして穏やかな微笑を添えて放った言葉だった。しかしその反応はフローラの予想とは異なっていた。
「…………は?」
アンナは信じられないものを見るかのように目を見開いた後、みるみるうちに顔を歪ませた。まるで、道端に落ちた正体不明の汚物を見るような、剥き出しの嫌悪である。
「な、何それ……おかしいんじゃないの!? 気持ち悪いわね!」
「……き、気持ち悪い?」
「そうよ! 何よその余裕たっぷりな言い草! あんた、そうやってまた私を下に見ているんでしょう!? 私が絆されてあんたの軍門に降るとでも思ったの!? 虫唾が走るわ!」
アンナは顔を真っ赤にして、フローラの鼻先をビシッと指差して宣言した。
「お礼の仕方も笑顔の感じもペラッペラなのはいつも通りでいいとして、罵ったら『そうですね』って折れてきそうな感じが、なんか……こう……違うわ! いい!? 貴方がその手で来るなら私は先に帰還報告をして、私の方が優れていることを証明してやるわ! あんたのその鼻につく謙虚なフリ、二度と見せないで頂戴!」
――……なんだこいつ。感謝されたかったんじゃないのかよ。というか、誰の笑顔がペラッペラだって?
フローラはカチンときたが、言い返すより早く、アンナは脱兎のごとく回廊を駆け出した。
「あ、ちょっ!」
フローラは呆気にとられたが、すぐに青ざめた。彼女が抱えているのは、自ら選んだ最高級の品々だ。勢い余って転べばどうなるか、想像に難くない。
「これ、追いかけなきゃだめなやつじゃないか!?」
フローラも慌てて後を追った。だが、不運というのは重なるものだ。角を曲がった瞬間、アンナの前方に別の影がぬっと現れた。
「――あっ!」
アンナと相手が衝突する。アンナの体が大きく傾く。
反射的にフローラは地を蹴った。アンナの腕を掴み、その勢いを殺しながら強引に彼女の体を引き寄せる。
「……っ、セーフ、か」
ギリギリだった。アンナの体も品物たちも、地面に叩きつけられる寸前で守られた。フローラは安堵してその場で大きく胸を撫で下ろした。
「……何をやっているのです、貴方たちは」
その声に、フローラの全身が凍りついた。フローラとアンナがギギギと音を立てるように、ゆっくりと声の主を仰ぎ見る。
「「…………っ」」
そこに立っていたのは、マリアメイド長だった。
マリアは冷徹な瞳を二人に向けていた。
「まずはそうですね。アンナさん、フローラさん。二人とも、よく無事に帰ってきましたね」
労いの言葉のはずなのに、声色には氷のような冷たさが混じり、廊下に低く響く。アンナは顔を青ざめさせ、フローラに掴まれた腕を振り払いつつ、慌てて姿勢を正した。
「メ、メイド長、これは……!」
「報告はこの後に奥様へ。品物は置いてから行きなさい。……アンナ。それから、先ほどの件については個別に用があります。報告の後は私の部屋まで来なさい」
マリアはそれだけ言うと、去っていった。
廊下に残されたのは、気まずい沈黙と、フローラへの殺意に満ちたアンナの視線だった。
「……あんたのせいよ。あんたが変なこと言うから、私……っ!」
……今の、私のせいか? いや、どう考えても突っ込んだお前の自業自得だろ……。
フローラは、やはりこいつとは一生分かり合えないし、エマ達の特訓はしようと思うのだった。




