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第三十六話:不毛な勝利


鈍い衝撃音と男の声が重なった。


「――おらぁっ!」


一人が棍棒を力任せに振り抜く。フローラは迷いなく半歩踏み込み、頭部を下げてそれを逸らした。空を切った棍棒が戻るより早く、彼女の右拳が吸い込まれるように男の鳩尾を撃ち抜く。


ナックルダスターが、服の上から確実に肋骨の隙間へ食い込んだ。


「がはっ……、あ……」


男が崩れ落ちる。それを一瞥もせず、フローラはすぐさま次の相手へと意識を切り替えた。


一方、アンナは驚くほど優雅に、迫り来る二人を翻弄していた。


「遅いわよ、この鈍間!」


アンナが手にした短剣が、青白い魔力の光を帯びて空を薙ぐ。それは単なる飾りではない、元貴族令嬢としての教養と実戦が結びついた確かな技だ。刃で直接斬るのではなく、放たれた魔導の衝撃が男たちの手元の農具を無造作に弾き飛ばす。そして、農具が壊れて慌てた彼らの、その隙を見逃さず、彼女の鋭い蹴りが男の膝を正確に捉えた。男達が膝を抱えて座り込む。


「あんた! 左からもう一人行ってるわよ!」


アンナの鋭い叱咤に、フローラは反応する。また一人倒している間に、死角から襲いかかった男の喉元を掌底で押し込み、そのまま勢いよく石壁へと叩きつけた。


「……っ、この、メイドの分際で……!」


「メイドをなんだと思っているんですか。昔はよく知りませんが、今の我々は主の安寧を守るため、埃一つ、不逞の輩一人、屋敷に通さないのが仕事です」


フローラは冷徹な声でそう告げると、男の顔横の壁をもう片方の手で殴りつけた。バキリと石壁に亀裂が走り、男の戦意は完全に霧散した。


「……ふぅ。これで最後かしら」


アンナが乱れた前髪をかきあげながら、呻き声を上げる暴徒たちを見下ろした。


致命傷を負った者はいないが、この後は神官を呼び、治療を依頼しなければならない。それから屋敷に戻り、事の次第を報告する必要があるだろう。フローラはナックルダスターを外し、懐へ仕舞うと、壁際に避難させていた買い物籠の元へ歩み寄った。


「アンナさん。そちらの籠の方は?」


「……傷一つないわ。そっちは?」


「問題ありません。中身も無事です」


二人は一瞬、視線を交わした。


つい数十分前まで、魚のランクや布の質感、香辛料の産地等を巡って罵り合っていたのが嘘のような、沈黙が流れる。


そして危機を共に乗り越えた二人の間に「戦友」のような絆が芽生える――なんてことは、微塵もなかった。


「……ねえ。さっきから思ってたんだけど、何その武器? 鉄の塊を指にはめて殴るなんて、頭がおかしいんじゃない? 野蛮にも程があるわ。貴方は吸血鬼もそれで殴るつもりなのかしらね」


アンナが忌々しげに言う。フローラは淡々と応じた。


「アンナさんのような魔石付きの銀製品の魔導剣なんて、庶民が買えるわけないでしょう。まあ、そうでなくても万が一にも誤って奥様や主を傷つける暴発など起こり得ないですし、誤って斬りつける心配もない信頼できる一品ですよ。日々のお手入れが欠かせないのが偶に傷ですが」


「何それ、私の短剣じゃあ危ないって言いたいの!?」


フローラにとってアンナはどこまでも面倒な同僚であり、アンナにとってフローラは目障りで不遜な成り上がりでしかなかった。


「……ホント可愛げがないわね! 何があろうと、もう二度とあんたとなんて買い出しに行かないわ。あんたといるとろくなことがない!」


「不本意ながら、実に奇遇ですね。私も同じことを考えていました」


二人は睨み合い、同時に顔を背け、再び歩き出した。


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