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第二十九話:学者の好奇心とメイドの殺意


「……それでですね、メイさん。先ほどの『オーラムの悲劇』のお話なのですが、実は最近、既存の保存されている文献の情報が発見されまして…」


エヴァンズは、去るどころか、楽しげに掃除を続けるフローラの隣を歩きながら饒舌に語りかけてくる。

正直、これ以上になく邪魔である。

この男、立ち居振る舞いからして隠しきれない高貴な気品が滲み出ているというのに、一介のメイドを捕まえて議論を吹っかけないでほしいものだ


「エヴァンズ先生」


フローラは一旦掃除の手を止め、努めて穏やかな、しかし凍てつくような笑みを意識してうかべて言葉を遮った。


「アルバ様のご報告も済んだのであれば、そろそろお引き取りになられてはいかがでしょうか。私のような一介のメイドと長話をするお姿を晒し続けては、周囲に良からぬ憶測を呼びかねません」


――本来の用事が終わったんなら、さっさと帰れ。こっちは現在、仕事中なんだよ。


声には出さぬ罵倒を瞳の奥に隠し、フローラは「お客様」を丁重に追い払おうとした。だが、エヴァンズはどこ吹く風で、むしろ楽しげに目を細める。


「おや、それは失礼いたしました。ですが、一人の学者として、知見を広げられる機会を逃すわけにはいきませんので」


「……はあ。あのような、子供の夢を砕くような問題を平気でお出しになる方の発言とは、到底思えませんけれど」


フローラの丁寧な口調に、チリリと皮肉が混じる。アルバに「愛だけで国が守れると思うか」などと突きつけた冷徹な男が、知的好奇心などという甘い言葉を口にして平民に関わってくるのは不自然さにかんじる。


「ははは、手厳しい。あれはあくまで思考の訓練ですよ。私自身はいたって平和主義者です」


エヴァンズはニコニコと、それこそ「食えない」という言葉がこれほど似合う顔もないほどの笑顔で応じる。


「大丈夫ですよ。僕は既に家督を放棄した、ただのしがない学者に過ぎません。それに、先ほど申し上げた通り、貴女の言うような『不要な憶測』を呼ぶような真似は致しません。……僕は、秩序を重んじる人間ですのでね」


「左様でございますか。それは何よりでございます」


フローラもまた、頬を引き攣らせることなく、完璧なメイドの笑みを貼り付けた。


――だからなんだよ。身分を捨てようが学者の端くれだろうが、邪魔なもんは邪魔なんだよ


二人の間の空気にはパチパチと火花が散っていた。フローラの静かな、けれど苛烈な拒絶の意志。それを正面から受け流すエヴァンズ。


やがて、エヴァンズはふっと一息つくと、満足そうに頷いた。


「分かりました。これ以上貴女を困らせるわけにはいきませんね。今日のところは退散するとしましょう。貴方の仕事を邪魔する訳にもいきませんし」


「……お気遣い、痛み入ります」


――やっとかよ


フローラが内心で安堵したのも束の間、エヴァンズは立ち去り際に、軽やかにフローラに告げた。


「では、また別の時に。次はぜひ、グレンデル領の地政学的な変遷について議論しましょう。アルバ様から、メイさんはグレンデル領の付近の事なら詳しいとお聞きしていますから。……楽しみにしておりますよ、メイさん」


「……」


ニコリと、フローラは本日最高級の営業スマイルを返した。

だが、その心の中では、「なんでそうなるんだよ」、と掴みかかりたい気持ちを鋼のような精神力でねじ伏せていただけである。


二度と来るな。


そう呪詛にも似た願いをエヴァンズの背中に投げつけながら、フローラは再び、怒りを込めて熱心に掃除にあたった。


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