第二十七話:家庭教師とメイドの「見識」
屋敷に戻り、次の仕事に取り掛かろうとしたフローラの足を、一人の男が止めた。
「――失礼。貴女が、『メイ』さんですね?」
振り返ったフローラの目に映ったのは、肩にかかる程度の長い黒髪を後ろで緩く結んだ、真面目そうな面持ちの男性だった。中性的で整った顔立ちをしているが、発せられた声は驚くほど低く、胃の奥に響くような重厚感を湛えている。
その落ち着いた佇まいに、フローラは瞬時に「屋敷の重要な客」であると察し、フローラはすぐさま背筋を伸ばし、頭を下げた。
「左様でございます。何か、私達メイドの手伝いが必要な事でございますでしょうか?」
「ああ、失礼した。僕はエヴァンズ。アルバ様の家庭教師を務めている者だ」
エヴァンズは丁寧に応じ、優雅に一礼を返した。フローラは内心で首を傾げた。なぜ、一介のメイドにわざわざ声をかけてきたのか。
「アルバ様の……。わざわざメイドの私に、どのような御用でしょうか?」
「実は、アルバ様から君の話を伺ってね。先日彼が提出した課題の中に、いくつか……失礼ながら、彼自身の言葉とは思えない回答が混じっていた。気になって理由を尋ねると、メイというメイドに助言をもらったのだと、彼は誇らしげに語っていたよ」
「……」
――ったく、あのお坊ちゃん、律儀に全部喋りやがったな
フローラは「まあ、それは……」と、困ったように眉を下げた。確かに、あの純真なアルバが「秩序を乱す愛は組織の根幹を揺らす」などという世知辛い持論をひねり出すはずがない。
「最初は驚きました。失礼ながら、屋敷のメイドがこれほどまでに実情に即した、辛辣なまでに正確な情勢判断をされるとは。……メイさん。貴女はもしや、どこか家柄の良いところのご出身か、あるいは相応の教育を他所で受けられた方なのですか?」
エヴァンズの瞳には、純粋な好奇心と、わずかな警戒が混じっていた。名家出身の没落貴族がメイドに身を落としているパターンを考えているのだろう。しかし、フローラは苦笑いを浮かべてそれを否定した。
「滅相もございません。私は元々、奥様の専属メイドを務めておりました。その際に、主人の隣に立つのに相応しい教養を叩き込まれた……ただ、それだけに過ぎませんよ」
「……そうなのですか? 最近の専属メイドというのは、領地間の因縁や百年前の文献まで網羅しているのが普通なのですか?」
「ええ、まあ……うちの奥様は非常に聡明なお方ですから。仕える側も、ただお茶を入れるなどの、身の回りの世話だけをするのでは務まらないのでございます」
エヴァンズは真剣に驚いたように、わずかに目を見開いた。ならず者時代の「生きるための情報収集の能力や適応能力」が影響を与えたとはフローラは口が裂けても言えない。
そこへ、廊下の向こうからパタパタと小走りの足音が響いた。
「エヴァンズ先生! メイ! いた!」
アルバが走ったことで頬を少し赤らめつつも、駆け寄ってきた。その手には一冊の本が握られている。ヴォルフラム家とベラルド家と対立したことについての本である。どうやらあの後、本当に調べてみたようである。彼は二人の間に割って入ると、目を輝かせて問いかけた。
「ねえ、二人はどっち派!? イシドールとゼファー、どっちの立場が正しいと思う!?」




