第二十四話:忠誠の形と、不穏な昇格
「…しかし、エマ先輩。なぜメイド長は、アンナさんを昇格させたのでしょうか。失礼ながら、あの方が一度もミスをせずに一日を終える姿など、私は見たことがありません」
「メイさんは、厳しいね」
エマは困ったように笑いながら、ほうきの柄に顎を乗せた。
「メイさんは忘れているかもしれないけれど、あなたがこの屋敷に来る前は、彼女が一番仕事ができたのよ。まあ、他のメイドとの交流や情報共有に関しては……その、私が言えたことではないけれど、少し壊滅的ではあったけどね」
「……アンナさんが、一番?」
フローラは眉を跳ね上げた。彼女の記憶にあるアンナは、いつだって高慢で、注意をすれば逆上し、肝心なところで詰めが甘い女だ。しかし、エマは「そうだよ」と諭すように言葉を続けた。
「アンナさん、メイさんと一緒に仕事をするときは、とにかく『メイさんに勝つこと』ばかりを考えて、視野が狭くなっちゃうみたい。でも、メイさんがいない現場では、そつなくこなすのよ」
「……なるほど。私への対抗心が、あの方の足を引っ張っていたと」
――どうりで、私がフォローを入れても睨まれるわけだ。
フローラは苦々しく頷いた。自分という存在への過剰な意識が、皮肉にも彼女の本来の能力を削いでいたというわけか。
「まあ、メイさんの後釜だから大変そうよね。アンナさんが気負いすぎて空回りしないか、それがセリーヌ様の評価に傷をつけないか……メイド長もきっと、そこを心配しているんだと思うわ」
「……でしょうね。あのメイド長が、妥協だけで人を選ぶとは思えませんし」
フローラは溜息を吐き出し、視線を中庭へと移した。アンナがセリーヌの隣で澄ましている姿を想像すると胃のあたりが疼くが、エマの分析にも一理ある。何より、あの完璧主義のメイド長が選んだのなら、そこには何らかの計算があるはずだった。
「……それにしても、エマ先輩。最近の先輩は、なんだかメキメキと頭角を現しているように見えますが。そのうちアンナさんにも、意識されるようになるのでは?…私も気を引き締めないといけませんね」
フローラが少しからかうように目を細めると、エマは「もう、やめてよ!」と顔を赤くして手を振った。
「私はまだまだよ。掃除と洗濯は誰にも負けない自信があるけれど、お茶の淹れ方や礼儀作法はさっぱりだし。皆からも、いつも『注意散漫だ』って叱られてばかりなんだから」
謙遜するエマの横顔を見つめ、フローラはふっと思考を巡らせた。エマは記憶を失ったことで、かつての怯える卑屈さを捨てた。その結果、本来の素直で勤勉な性質が花開いているのだろう。
「……先輩。もしよろしければ、空いた時間にでも私がお茶の淹れ方をお教えしましょうか?」
「えっ? いいの?」
エマがぱあっと顔を輝かせた。
「ええ。いつも掃除の極意を教えていただいていますし、そのお礼です。それに……」
フローラは言葉を切り、深い意味を込めた微笑を浮かべた。
「屋敷のメイド全体の質が上がることは、セリーヌ様にとっても喜ばしいことですから」
自分には別に仕事がある。アンナのような女が専属の座を射止めるのなら、せめて周囲を固めるメイドたちを、自分の信頼できる者たちで育て上げておくべきだ。たとえ彼女がミスをしたとしても、周囲がそれを完璧にカバーし、綻びを消せるように。




