第二十二話:主人の眼差し
仕事が始まり、箒掛けをしつつも、脳裏にあるのは今朝の塔の光景だ。初めてリンゴを口にし、喜んでいた少女の姿。
――……厨房の余り物であれだけ喜ぶんだ。今度の休みにでも、街の市場を覗いてみるか。もっと甘い菓子や、見たこともねえような珍しい果物でもあれば、あいつも少しは私に愛想が良くなるかもしれねえしな……
そんなことをぼんやりと考えつつも、真面目に掃除をする。そしてその部屋の掃除を終え、部屋から出てきたところで、廊下の奥から奥様が来るのが見える。フローラは頭を下げた。通り過ぎるだろうとフローラは思っていた。しかしセリーヌは穏やかな笑みを浮かべてフローラの前で足を止め、その慈愛に満ちた瞳でフローラをじっと見つめた。
「あら、フローラ、顔色が良くなったようで安心したわ。……体調は、もう大丈夫なの?」
「え……?」
不意を突かれ、フローラは間抜けな声を漏らしてしまった。もしかしてアルバ様がおっしゃったのだろうか。
セリーヌは困ったように眉を下げ、くすくすと小さく笑う。
「まあ、驚いた顔をして。昨日、貴女が仕事をしているの見かけたのだけれど……。ずっと首のあたりを気にしていたでしょう? 所作も貴女にしては随分と『コチコチ』だったから、どこか怪我でもしたのではないかと心配していたのよ」
「……っ!」
フローラは一瞬にして顔が沸騰するのを感じた。
昨日の自分をあろうことか、最も憧れる主人に観察されていた。
「も、申し訳ございません! お見苦しいところを……。もう、痛みは完全に引き、この通り元気でございます」
恥ずかしさのあまり俯き、消え入るような声で答えるフローラに対し、セリーヌは咎めるどころか、さらに柔らかな声をかけた。
「いいのよ、無理をしないで。……つまり、メイ、貴女は今、一生懸命、別なところでも頑張っているのでしょう?」
「……」
「別の場所」――。
奥様が塔の存在や少女の事をどこまで知っているのかについて分からない。含みがあるように感じるこの言葉も自分の勘違いにすぎないのかもしれないのだ。
「はい。……はい。精一杯、努めさせていただきます」
「そう、良かったわ。それなら少し寂しいけど…貴女の成長のためには必要だとマリアも言っていたし、私がこのような事を言っていられないわね」
セリーヌは少し寂しげに頷くと、立ち去り際にふと思い出したように振り返った。
「そういえば……また貴女の淹れたお茶が飲みたくなったわ。今の配属先、忙しいでしょうけれど、私が頼んだら、また淹れてくれるかしら?」
フローラは顔を上げ、眩しい光を見るようにセリーヌを見つめた。
「もちろんでございます! セリーヌ様が望まれるのでしたら、たとえ真夜中であろうと最高の一杯を淹れさせていただきます!」
前のめりなフローラの返答に、セリーヌは「ふふ、そんなに気負わなくていいのよ。さすがに夜中に呼びつけたりしないしね」と声を立てて笑った。
「楽しみに待っているわね。では、お仕事頑張って」
ゆったりとした足取りで去っていくセリーヌの背中を見送りながら、フローラは握りしめた拳に力を込めた。
――……やっぱ、あのお方は最高だぜ




