第二十話:掃除の時間
次の日、朝の光を浴びて、フローラは清々しい気分で背筋を伸ばした。やはり、ふかふかのベッドは素晴らしい。一日ちゃんとした場所で眠っただけで、昨日のボロボロな体が嘘のように軽い。
昨夜、夕食を届けた際、少女は「まだおじょうさんのこと、汚いって言ったこと怒ってるんだからね!」と言わんばかりの態度で、フローラの顔も見ずにパンだけを素早くひったくっていった。その様子に呆れつつも、フローラは着々と別の準備を進めていた。
五階の踊り場には、昨日密かに運び込んでおいた小さな台、バケツ、そして使い古しの布切れとほうきが置かれている。ここまでくれば何をするかなんて分かるだろう。そう、掃除だ。一応、少女にもいつもよりもはやく塔に行くとは伝えてある。
――昨日の朝、自分の服を見て絶句したからな。
背中にこびり付いた、埃の量。今までは、改めてじっくり見たりしなかったし、暗がりでは気づかなかったが、寝っ転がって分かったことである。この塔は「清潔」とは程遠い。少女の自称「テュルンテュルン」な髪が実際は脂ギッシュで不潔なのも、この床に寝転がっていれば当然の結末だ。
――メイド長がこれを赦しておくとは思えねえし、これもお嬢さんに教えた系で、お嬢さんがやっていないとかか?
フローラは首を傾げる。しかし、フローラはすぐに運搬機にバケツなどの掃除用具を更に積み込み、階段を上がらせる。この重機がなければ、掃除道具を抱えてあの階段を登るなど正気の沙汰ではない。特に箒のような長物を持って階段に上がったら転けそうである。
そして塔の最上階である5階の扉を開けると、少女は待ってましたと言わんばかりにこちらを向いたが、すぐにハッとしたように「ぷいっ」と顔を背けた。
「……まだ、ゆるしてあげないんだから。メイはわたしの髪をバカにしたもん」
「…。そうかよ。まっ、お怒りのところ悪いが、今日は用事はそれじゃないんだ」
――今、『待ってました!』て顔しなかったか?
フローラは少女の抗議を右から左へ流し、踊り場から持ち込んだほうきを構えた。それを見た少女が、不思議そうに首を傾げる。フローラが目を細める。
「なんだ、お嬢さんは、箒も知らねえのか?」
「し、知ってるもん!おじょうさんも、それもってるし!」
少女は自分のほうきをどこからか持ってくる。しかし、それはどう考えても持ち手の柄が折れているし、掃く為の穂先もボロボロである。
「壊れてるじゃねえか。どうやったらこんなに壊れるんだよ」
少女は、フローラの様子を見て怒られると思ったのか、慌てて小さな背中の後ろに隠そうとする。しかし、フローラの視線に射抜かれ、観念したように白状した。
「壁にぶつけただけだもん……。魔法使いに、ほうきは大事だから……」
「……魔法使い…つまり遊んでたな? 振り回して壊したんだろ。お前に掃除を教えた人は、ほうきで遊んでいいって言ったのか?」
「遊んでないもん、とっくんだもん。だって、だって、魔法使いはすごくて、みんなに好かれるんだって絵本でお母さんが……」
少女がうじうじと指を弄ぶ。フローラはため息を一つ吐く。少女はムッとしたように叫ぶ。
「で、でも、これでおじょうさんにあった大きさの箒になったし、いいんだもん!」
「穂先がボロボロなんだから意味ねえだろうが。あのなあ、お嬢さん。それを世間では何というと思う?屁理屈って言うんだぞ」
「…へりくつって何?もしかして『へ・理屈』!?ふふん、つまりおじょうさんの話、理屈があるって事!?メイも、おじょうさんのこと褒められたんだね!」
「違う。屁理屈ってのは、筋道の立たない理屈やこじつけって意味で使うんだ」
フローラはもう一度ため息を吐いてから、景気よく床を掃き始めた。その瞬間、積もりに積もった数十年分の堆積物が舞い上がり、光の筋を濁らせた。
「ゲホッ、ゲホゲホッ! な、なにするの! けむり!? いたい、おめめが痛い!」
少女が顔を真っ赤にして咳き込み、涙目で訴えてくる。その様子を見て、フローラはほうきを止め、部屋の隅にある小さな出口を指差した。
「おい、邪魔だ。一回、部屋の外に出てろ。踊り場は先に綺麗にしておいた」
――喉とか目とかやられたら危ねえな
「ええっ!? なんでよ! ここ、お嬢さんの部屋だよ!? 私の場所なのに、私が出るの!?」
「当たり前だろ。外で大人しくしてな。朝のうちに終わらせてえんだ。お前のその『(自称)テュルンテュルンの髪』がこれ以上汚れるのを防いでやろうってんだよ」
「いやだ! メイがいじわるして、お嬢さんを追い出そうとしてるんだ! 悪い人! ペタペタで悪い人!」
「うるせえ! ペタペタは余計だ! つーか、お外に出るために私が教えるって言ったのを承知したのはお前だろ。これっぽっちも言うことを聞かねえな!」
「違うもん! お嬢さん、ちょっとだけ興味があるって言っただけだもん!」
フローラは問答無用で少女の細い脇をひょいと抱え上げ、抵抗する彼女をそのまま踊り場へと放り出した。
「いいか、入ってくんなよ。あと階段にも近づくなよ」
「ひどいっ!」
バタン、と容赦なく扉を閉める。扉の向こうから、タカタカとジャンプするような音と「届かない!」と言う声が聞こえたが、フローラは構わず袖を捲り上げた。グレンデルは恐らく高身長だったのだろう。ここの塔のドアノブは既存の設置場所よりも高く付いている。
「さて……次は床を磨き上げないとだな」
フローラは独りごちた。




