第二話:メイド長とダリアの密談
この屋敷には彼女の本性を知る人物が三人いる。
一人目は、もちろんフローラを雇ってくれたセリーヌ様。
二人目は、この屋敷の敷地内で庭師をしているトーマスだ。彼はフローラの幼い頃からの顔なじみで、昔世話になった人物であり、この屋敷で再会した時はフローラも驚きを隠せなかった。
そして、フローラにとって厄介なのは、三人目の屋敷の全てを統括するメイド長のマリアだった。
「メイさん。お皿はもっと静かに置くものですよ。お客様がいらっしゃったら、今の音で驚いてしまいます」
背後から聞こえる、穏やかながらも芯の通った声に、フローラは肩をぴくりと震わせた。振り返ると、五十代半ばと思しき、白髪交じりの髪をきっちりまとめたシニヨン姿のメイド長、マリアが立っていた。彼女の顔には穏やかな微笑みが浮かんでいるが、その鋭い瞳の奥には全てを見透かすような厳しさが宿っている。
フローラがこの屋敷に来て間もない頃のことだ。慣れないメイドの仕事にイライラが募り、思わず乱暴な言葉を少しだけボソッと吐いた時、
「……口が悪いですよ、メイさん」
と、微笑んでいるのに目は全然笑っていない表情で、ぴしゃりとした口調で言われたのだ。フローラはその目の冷たさに背筋が凍りついたのを覚えている。以来、フローラが乱暴な口調を出しそうになるたび、マリアはまるで見ていたかのように現れ、静かに、しかし厳しく叱りつけてきた。
「申し訳ございません、メイド長。以後、十分注意いたします」
フローラは平静を装い、深々と頭を下げた。マリアは何も言わず、ただ静かに頷くと、くるりと踵を返して去っていった。その背中を見送りながら、フローラは心の中で悪態をつく。
ーーなんで、ごまかせねえんだよ。ほかの奴は大体何とかなるのに、というか、エスパーかよ。いつの間にか背後に立ってるし。そんなんだからほかの奴もビビり散らかすんだよ!それにセリーヌ様、これは絶対に可愛がりとは呼ばねぇ!
フローラは確かにマリアに一番世話になり、根気強く助けてもらった。そのため、信頼はしている。しかし、「可愛がられている」とは認めたくなかった。マリアは、自他ともに厳しくしっかりとした性格から使用人たちに尊敬されながらも、恐れられていた。
ーーーーーー
「ってことがあったんだよ、おっちゃん。あの人エスパーだろ。それか魔法使いとか。」
休憩時間に庭で作業をしていた顔なじみの庭師、トーマスにフローラは愚痴る。トーマスは白髪交じりの短髪で、日に焼けた顔には深く刻まれたシワがある。がっしりとした体つきは長年の肉体労働を物語っていた。
「メイ、お前さんも懲りないなあ。マリアさんはエスパーでも魔法使いでもないぞ。魔法使いなんて滅多にお目にかかれるもんじゃない。マリアさんが魔法使いならばメイド長なんてやってないだろ。」
この世界では、魔法使いは「魔法の才能を持って生まれた者」と定義されている。彼らは魔法薬や魔法具に頼らず、自身の魔力で直接魔法を行使でき、全体の約10人に1人程度しか存在しない希少な存在だ。そしてそのほとんどは王都にいて、重役を任されているという噂だ。
「だよなあ~。じゃあ、なんでわかるんだ、あの人?今だって休憩中だからバレてねえけどよ、絶対仕事中だったら背後に忍び寄ってるぜ?」
フローラは震える演技をするようにしてきょろきょろと周りを見回してみせる。トーマスは快活に笑った。
「そりゃあ、マリアさんはここで長いことやってるんだ。メイドがどんなときにどんなミスをするのかは頭に入ってんじゃねえか?特にお前さんはわかりやすいからなあ、なあ、フローラ?」
「……フローラって呼ぶんじゃねえ。私はメイだ、メイ。」
フローラはいらだったように眉を上げる。そして、そっぽを向く。
「すまん、すまん。ちとからかっただけだ許してくれ、メイ。」
フローラがツンとそっぽを向いたままでいると、トーマスは少しだけ困ったように呆れてフローラを見る。そして手元の作業に戻る。フローラは目線だけ少し移動し、トーマスの様子を不思議そうに見る。
「今、トーマスも休憩中の時間だろう?休憩しないのか?」
「ん、ああ、ちょっとな。」
フローラは呆れたように口を開く。
「おっちゃん。本当に仕事が好きなんだなあ。今植えている花、なんて言うんだ?」
「おお、これか。これはなあ、ダリアっていうんだ。きれいな花だろう?奥様がお好きな花なんだ。」
トーマスは満足そうに笑う。
「奥様って、その花をお好きなのか⁉知らなかった。くっ、セリーヌ様からメイド長候補と声をかけてもらったのに情けない。」
フローラは驚いたように目を見開いてから、悔しそうに顔をゆがめる。トーマスは笑いながら言う。
「お前さん、一応ここに来て数ヶ月だろ?知らなくて当然だ。それに、庭師にわざわざ聞かなきゃ知る由もないだろうから、お前さんよりもここに仕えて長いやつも知らないやつはいるだろうしなあ。そこまで気にすんな。奥様もわざわざ主張しなさらないからな。」
フローラはそれでも悔しそうにしていたが、はっと何かを閃いたような顔をする。
「……つまり、この情報、利用できるってことなのでは?ほかのやつもたいがい知らねえってことだよな!よっし、奥様からより高い評価を得て、メイド長が文句を言えなくしてやる。待ってろよメイド長!」
フローラは途端に燃え出し、その瞳に闘志を宿した。
「……マリアさん、変な懐かれ方をしてるな。あまり迷惑をかけるんじゃないぞ、フローラ。」
「だからフローラじゃねえ。メイだメイ。あと懐いてねえ!これはメイド長にぎゃふんといわせるためであってなあ!」
「はいはい、そうだな。あと、マリアさんはすでに知ってるからマリアさんに自慢するのは意味ないぞ。」
フローラは肩を落とす。
「んだよ。知ってんのかよ。つまんね。いや、奥様からの評価が重要なわけだから別にいいけどよ。ちぇっ、そっちも期待してたのによ。」