第十五話:夜の作業場での密談
夜の静寂が屋敷を包み込む頃、フローラは足音を殺して庭師の作業場へと向かった。
仕事を終え、夕食も済ませた。他の声をかけてきたメイドたちには「少し夜風に当たってくる」とだけ伝えてある。怪しまれる要素は何一つないはずだ。
「おっちゃん、いるか」
作業場の扉を叩くと、中からランプの灯りが漏れてきた。
「おう、メイか。待ってたぞ」
トーマスは無骨な手で、布に包まれた塊を差し出した。昨日のあのカチカチのパンだ。
「……悪いな。魔道具で温めてふやかしてはみたが、流石に焼きたてのようにふわふわとはいかねぇ。これが限界だ」
フローラは布越しにパンに触れた。石のようだった硬さは消え、少しだけ弾力を取り戻している。
「十分だ。ありがとな、おっちゃん」
「それと、これだ。昼に言ってたやつは」
トーマスが引きずり出してきたのは、金属製の奇妙な台車だった。タイヤには何やら複雑な吸着機構が備わっているようだ。
「へぇ……意外とコンパクトだな」
「これでも作業場じゃ場所をとりやがって邪魔だったんだ。ほら、周りと見比べてみろ。充分デカいだろ?」
フローラは作業場を見回した。所狭しと並ぶ苗木や道具類に比べれば、確かに存在感はある。彼女は機械のフレームを叩き、少し申し訳なさそうに視線を落とした。
「……なあ、おっちゃん。これからたまに、あんなパンを持ってくるかもしれない。また道具を貸してほしいんだ。次は、ちゃんと給料から差し引いて少し払うからさ」
すると、トーマスは呆れたように鼻で笑った。
「仕方ねえな。だが、金はいらねえよ。庭師ってのはな、実はお前さんたちメイドよりもずっと儲かるんだ。若い娘からわざわざ金をふんだくったりしねえよ」
「……はは、そりゃ頼もしい。恩にきるぜ。しかし、それじゃあ、私の気がすまないな。今度、おっちゃんの好きなワインを奢るってのでどうだ?」
「残念だが、飲み過ぎで弟から禁酒を言い渡されててなあ。妻にも叱られたんだ。まあ、メイがどうしても奢りたいってんなら、わしも飲まなくはないんだが…」
「いや、そんならやめとく。じゃあ、そうだな。おっちゃんが好きなチーズとかでどうだ?」
「そうか…。しかし、わしが好きなチーズはワインにあうやつだからなんだがな…。まあ、そのほうが健康にはいいか。わかった、それで手を打とう」
フローラがワインを奢る提案を取り下げると、トーマスは残念そうに肩を落とした。フローラは自動運搬機を持ち上げてみた。ずっしりとした手応えはあるが、運べない重さではない。
「どこまで運ぶんだ? 途中まで手伝ってやろうか」
「ありがとな。だが、これは自分で運ぶよ。おっちゃんは明日の仕事もあるだろ」
――おっちゃんにも塔の事は喋れねえしな
心配そうに眉を下げるトーマスに、フローラは「メイ」の完璧な笑顔を向けてみせた。
「私は職場が少し異動になったおかげで、やることが減ってまだまだ元気なんだよ」
「なんだ、マリアさんにまた余計なこと言って、とうとう飛ばされたのか?」
「しねえよ。メイド長候補だから、いろんな現場を覚えてこいってさ」
「なるほどなぁ」
トーマスは愉快そうに笑い、大きな手でフローラの肩を軽く叩いた。
「だが、お前さんも無理すんなよ。根を詰めるのが一番体に毒だ」
「ああ、分かってる。今日中にあらかた運んじまえば、あとは楽だからな。ありがとな、本当に」
運搬機を引きずり、夜の闇へと踏み出すフローラの背中に、ランプの灯りが優しく落ち、彼女の決意を乗せて、金属のタイヤが静かにしかし力強く夜の地面を噛んだ。




