第十四話:魔法薬の行方
メイドの仕事に戻ったフローラは、廊下でエマとすれ違った。彼女は今、何事もなかったかのように一般客室の掃除に励んでいる。そしてフローラは周囲に誰もいないことを確認し、声を落として彼女に歩み寄った。
「……あの、少しよろしいでしょうか、エマ先輩。昨日話してた森の奥の『印』の件なのですが……」
核心をぼかしつつ、探りを入れるように切り出す。しかし、エマは小首を傾げ、心底不思議そうに目をしばたたかせた。
「え? 森の印? メイさん、何の話? 私は今日、ずっとこっちの掃除を任されているけれど……。森なんて、薬草を採りに行くときくらいしか行かないわよ?あっ、印って薬草取りに行く時の道筋にあるやつ?でも、なんで?」
「……」
フローラは思わず絶句し、深くため息を吐いた。やはりだ。仕事が早すぎる。自分に「塔」の仕事の役目が引き継がれた為、エマには記憶消しの魔法薬が使われたのだろう。恐らく、自分が押しのけたあの魔法薬が。つまり今の彼女にとって、あの隠された転移陣も、パンを浸して食べていた少女も、存在しない「なかったこと」なのだ。
――クソっ、これじゃあ、仕事をしてた時に何か母親の手がかりがあったか、聞けねえじゃねえか。
「メイさん? どうしたの、何か仕事で困ってることでもあるの?」
心配そうに覗き込んでくるエマに、フローラは慌てて「メイ」の顔をかぶり取り繕った。
「いえ、少し……掃除を効率よくやるコツについて考えていただけです。あの東の隅の部屋の窓枠の汚れだけはうまくとれないじので……」
「ああ、それはね!ちょっとコツがいるんだけど…」
適当な仕事の相談を振ると、エマは元気よく答え始めた。心なしか、秘密を所持させられていた頃よりも明るく楽しそうである。エマは嬉しそうに聞いていないコツまで教えてくれた。そして話が一段落したところで、背後から静かな、しかし有無を言わせぬ足音が近づいてきた。
「メイさん、エマさん。お喋りが随分と長いですね。より良い仕事をする為に情報を共有し合うのはは宜しい事ですが、手を動かしながらにしなさい」
メイド長のマリアだった。エマは「め、メイド長!申し訳ありません!えっと、では別に仕事があるので私はこれで!」と深くお辞儀をして、逃げるようにその場を去っていった。残されたフローラは、マリアを不機嫌そうに睨みつける。
「……あまりに仕事が早すぎやしませんか。あいつ、綺麗さっぱり忘れてやがるじゃないですか」
「当たり前でしょう。知っているのは、出来るだけ最小限におさめなければならないのですから」
マリアは呆れたように言い捨てた。そして周囲に誰もいないことを鋭い眼光で確認してから、声を潜めて続ける。
「それで……何か、問題でも生じたのですか?」
「……あの子に、私が母親のことなんて何も知らねえって、一瞬で見抜かれちまったんだよ。おかげで最初は散々な言われようだったぜ」
「ああ。……貴方は嘘が下手ですし、顔に出やすいですからね。想定内です」
――んなわけねえだろ。
フローラは心の中で毒づく。自分のポーカーフェイスはならず者時代から定評があったはずなのだ。他の奴らも大半なら誤魔化せている。自分を嘘が下手だというのは、トーマスとマリアくらいだ。お嬢さんも最近追加されはしたがそれくらい自信がある。しかし、マリアはそれすらも見透かしたように、わずかに口元を緩めてから少し考えて言った。
「あの子の母親、ですか。……貴方が何も聞かないので、てっきり貴方はあの子が奥様の子、つまりセリーヌ様が母親だと勝手に思っているのかと考えていました」
その言葉に、フローラは反射的に声を荒らげそうになった。
「んなわけねえだろ! セリーヌ奥様がそんなことするか! 舐めてんのか、セリーヌ様の事を!」
「……声が大きいです。そして、口が悪いですよ」
マリアにたしなめられ、フローラはハッと我に返った。あの気高く優しい人が、自分の子を塔に閉じ込めてカチカチのパンを食わせるなど、想像すらしたくないとはいえ声を荒げてしまった。
「……で、誰なんだ。言い難い理由でもあんのか。もしかして……もう、死んでるとかか?」
マリアは少し考え込むように視線を落とし、それから、静かに言葉を選んで答えた。
「……そうですね、言い難くはあります。しかし死んではいません。そして塔自体の記憶は怪しいですが、あの娘の記憶自体には手が出されてないはずです。しかし、少なくとも、もはやこの邸宅にはいませんが」
「……あ?」
死んでいないが、屋敷にはいない。
その言葉の含みに、フローラは得体の知れない胸騒ぎを覚えた。
「……邸宅にいないって、どういうことだよ。おい、勿体ぶらずにハッキリ言え」
フローラはマリアの胸ぐらを掴みかねない勢いで一歩マリアの方に踏み込んだ。周囲は静まり返っているが、二人の間には火花が散るような緊張感が走った。
マリアは眉ひとつ動かさず、冷徹なまでの冷静さのままでフローラを見返した。
「教えたところで、あなたがそのお相手に追突しないという証拠はありますか?『隠れ家』であるあの塔の事を大々的に漏らしてしまう可能性は? あなたは確かに有能ですが、一方では頭に血がのぼると何をやるか分からない所があります。…今先程も大声を出してしまいましたしね」
「……っ」
フローラは言葉に詰まった。確かにその可能性はなくはない。そしてその危うさを、この女は正確に見抜いている。
言い淀むフローラを見て、マリアは小さくため息を吐いた。
「そうですね……恐らく私に無理やり口を割らせようとするよりも、あの娘の身体を『洗って』あげた方が、答えに近づくのがはやいと思いますよ」
「……はぁ? 洗う?」
唐突な提案に、フローラの眉間に深い皺が寄った。塔に閉じ込められた少女の母親の話をしていたはずが、なぜ入浴の話になるのかわからなかった。
「あの塔は水回りは整っています。身体の拭き方や清め方は私が昔、教えましたから、あの子は一人でやっているはずですが……。折角ですから、あなたが洗ってあげれば、あの子もよりさっぱりするでしょう。入浴の介助はメイドの立派な仕事の一つですから、貴方もできますでしょうしね。…そしてそうすれば恐らく、なんとなく予想もつくはずです。あなたが知りたいことの答えが」
「……何か体に分かりやすい痣とか、証拠でもあるのか?」
不信感を露わにするフローラだったが、同時に脳裏にはあの少女の細い腕や、怯えた瞳が浮かんだ。マリアはどこか遠くを見るような、捉えどころのない微笑を浮かべた。
「さあ、どうでしょう。……ですが、そうするならば、まずはあの娘と仲良くならなければ、それも叶わないでしょう?それでは頑張ってくださいね」
「いや、まだやるとは言ってないだろ!それに、その仲良くなるきっかけを作るために、母親が誰なのか聞いてるんだよ! 餌もなしに懐くほど、あいつはチョロくねえんだ!せめて…そうだな。父親だけでも!」
「どこあたりがせめてなんですか。そちらでも、私の答えは同じですよ」
マリアは静かに、しかし突き放すように告げた。
「ダメですよ、フローラさん。 地道に、一歩ずつ距離を詰めるしかないのです。それが一番の近道ですよ。しかし、それにしても私の立場を奪うとあの時宣言しておきながら、随分と弱腰なのですね」
「……チッ」
フローラは盛大に舌打ちをした。




