第十一話:交渉と黄金色のパン
フローラは、一旦パンの皿を床に置いた。
腰に下げた袋の中には、実は自分の夕食時に残したパンが入っていた。少し時間が経って硬くなっていたり形が不格好なところもあるが、少女に与えられている代物とは違い、まだ小麦の香りが残る、少しはまともな食事だ。
しかし、フローラが袋に手をかけたその時、少女は慣れた手つきで皿の上の硬いパンを抱え上げ、さっとフローラから距離を取った。フローラはその様子を見て一つ息を吐く。
そして袋から少し不格好だが柔らかな丸パンを取り出した。
「え…」
少女の瞳が大きく見開かれた。しかし、彼女は自分が抱えている灰色がかったパンと、フローラの手にある黄金色のパンを交互に見比べて、フローラの持っているパンにあからさまに嫌悪と警戒を露わにした。
「へんな色……わるいやつ? わるいやつが入ってるの?」
「はあ? せっかくの好意で持ってきたのを、悪いやつ扱いは、いい度胸だな。いいか、お嬢さん。これとそれは、同じ『パン』って食べもんだ。だが、違いも確かにある。例えば、そっちのやつより、ずっと早くお嬢さんを大きくして、体を丈夫にしてくれる力が詰まった、すげえパンだとかな」
どうやら、この少女にとって『食べ物』とは、今抱えている灰色みがかった塊だけを指すらしい。フローラは仕方がないので、自分が持っているものもパンなのだと説明した。しかし、少女は信じていないように目を細めた。
「うそ!…メイ、最初にうそついたうそつきだし…、今回のもウソでしょ」
「お勉強するんじゃなかったのか。私を信じなきゃ、勉強にならねえぞ」
「むうっ…」
少女は頬を膨らませてそっぽを向く。フローラはため息をついた。
「……まあ、勝手に入れ替えなくて正解だったな」
――しかし、まずはあのパンからひき離さねえとだな。私の食べるもんがねえ。あのパン、あとで柔らかくしてから私が食べる予定だったからな
フローラはパンを一欠片だけ、仕方ないので、つまんで食べる。
「ほら、なんもおきねえだろ。大丈夫だ」
少女はフローラの周りをくるくると警戒するように回ってみながら、まじまじと確認するようにみる。
「……ほんとだ。じゃあ、ほんとに両方パン?…おおきく……なれる?」
「ああ。お前が元気に、おまけに美しく成長してりゃ、お母さんも喜ぶだろうな? ……どうだ、欲しいか?」
『お母さん』という響きに、少女の肩がピクリと跳ねた。
「……ほしい。わたし、それ、ほしい!メイ、じゃあそれ、お嬢さんに、くれる?…あっ、でも、もしかして、おじょうさんからなんかそのかわりにとるの!」
「……まあ、そうだな。外の世の中にはルールってのがある。何かを得るなら、代わりに何かを差し出す……『対価』が必要だしな」
わざと意地悪く、突き放すような声で告げる。少女は一瞬で顔をこわばらせ、部屋に何かないかと視線を彷徨わせた。自分には何も差し出せるものがない――そう思ったのか、みるみるうちに肩を落とし、シュンと俯いてしまう。少女は「いじわる、メイ、いや…」とボソボソとぼやく。
その落胆ぶりを横目で確認し、フローラはわざとらしく、独り言のように呟いた。
「……困ったな。私はちょうど、君が持っているそのパンと同じものが欲しくてたまらなかったんだが……。誰か交換してくれないか…」
「! これ、これでいいの!?」
弾かれたように顔を上げた少女が、腕の中のパンを見て、悩んだようにしてから、決心が決まったように差し出してきた。
「これと、こうかんしよ!…あっ、えっと、メイがどうしてもって言うなら、こーかんしてあげてもいいよ!」
「…はは、ああ、交渉成立だ。これは一口食べちまったから、今は手持ちがないが次に持ってくるときに、追加して増やしてやるな」
フローラは不敵に笑い、柔らかなパンを少女に差し出す。
「やったぁ……!」
少女は花が綻ぶような笑顔を見せた。そしてパンを持ったままで、もう一つのパンに手を伸ばして、持ちきれず手元を狂わせた。そして古い方のパンが腕から零れ落ち、冷たい石床に激突する寸前――。
「おっと」
フローラの鋭い手が、床に着く前にそれを掴み取った。少女は目をパチパチとした。フローラは首を傾げる。少女は慌てたようにそっぽを向いて「おじょうさん、ひとりで持てたもん」とぼやく。フローラは「はいはい、じゃあ交換な」とパンを交換する。
少女は無事に新しいパンを受け取ると、その柔らかさに、夢心地のような満足げな表情を浮かべた。
しかし、ふと、少女が不安そうにフローラを見上げる。
「……メイは? メイは、私がこれ貰っちゃったら、大きくならなくなる?メイのお母さんは悲しくならない?」
彼女が損をしてしまうのではないかと、子供ながらに心配になったのだろう。フローラは目を見開いたが、すぐに冗談めかして肩をすくめた。
「ふっ、はは! 心配すんな」
――こいつも生意気かと思いきや、人の事を心配できたんだな。まあ、そんな事を言ったら拗ねるだろうが
「私は、これ以上身長が伸びたら、服の丈が足りなくなっちまうし、扉の上んとこに頭がぶつかっちまう。だから、デカくなるのはお前の役目だ」




