第十話:凍てついた塔の邂逅
翌朝、ローブを纏い、フローラは重い足取りで塔の階段を登っていた。
手元にあるのは、相変わらずの硬いパンだ。急な食事の変更は警戒される。少なくとも自分なら、毒を疑う。貧しいものに毒や針の入った食べ物を盛って楽しむ悪質なものがいるのだ。
――ちっ、よりによってガキなんだよな。今まで私が近づくとガキは、漏れなく泣き喚いたんだよな。前回は、私は一言も喋らなかったが…。メイドの『メイ』スタイルなら何とかなる……いや、試してみるしかねえか
フローラは決意をすると「メイ」の仮面を被り、重い木の扉を開く。
そこには、昨日と変わらぬ白い服の少女がいた。彼女はエマがいないことに気づくと、一気に顔をこわばらせ、部屋の隅へと後ずさった。
「……だれ。……昨日の人?」
「…本日から、私が食事を運ぶことになりました。よろしくお願い致します」
――こいつ普通に朝起きなんだよな。そんな化け物いるか?
フローラは表面上は、事務的に告げ、一歩踏み出す。だが、少女はその一歩に過剰に反応し、怯えたような鋭い視線でフローラを睨みつけた。
「……や。しらない人は、きらい。……おまえ、お母さんのこと、知ってる? 前の人は、知ってた」
――いや、あいつも何も知らなかったぞ。適当な嘘で誤魔化してただけなんだが…。というか、こいつ、前はもう少し従順な子供の雰囲気なかったか?
喉元まで出かかった真実を飲み込む。だが、フローラのすぐに返答しせず、沈黙を少ししたことに対して、少女はフローラが自分の母親を知らない「無知な存在」として受け取ったようだ。
「知らないんだ……。……じゃあ、前の人がいい!あなたいらない!」
「……いえ。もちろん存じております。安心してください」
慌てて取り繕うが、声が硬い。案の定、少女は疑わしげに細めた瞳に涙を溜め、フローラを拒絶するように首を振った。
「うそだ……!うそつきだ! ほんとは、全く知らないんでしょ!じゃあ、お母さんは今日くるのかもわかんない!来たらね、お外に行くのに、おねえさんだとだめだよ!」
――その母親も、なんて残酷な嘘を吹き込んでやがる。てか、こいつ、やっぱりエマにはそんなに生意気じゃなかっただろ。……もしかして私がお母さんを知らないとわかったからか?
フローラは胸の内で悪態を吐いた。少女の敵意に満ちた瞳が痛い。泣かれるのも面倒だが、こうも剥き出しの敵意を向けられるのはもっと不慣れだった。
「……その、確かに私は貴方の御母様を存じ上げません。嘘をついてしまい、申し訳ありません。しかし、私にも出来る事はあるかと…。そのだから、お嬢様。お嬢様は毎日、ここで何をして過ごしているのか…教えていただけますか?」
「……おしえない。カンケーないでしょ」
少女はぷいと顔を背け、窓辺へトコトコと歩み寄った。背伸びをして外を覗く。その窓際にかけた手は、今にも折れそうなほど細い。
フローラは勝手に少女に近づき、少女の目線から窓の外を見てみる。その景色には、グレンデルの街並みなど映らない。ただ遠くの邸宅と果てしなく森があるだけだ。
「……それだけで、退屈ではないのですか? 外はもっと広い。こんな死角だらけの景色、私なら一日で飽きますね」
少女は振り向き、声を荒らげた。怒りでムッとしたように頬を赤く染め、その宝石のような瞳をギラつかせる。
「……っ、そんなことない! 楽しいもん! 知らないものがたくさんあって、光ってて……綺麗なんだもん!それにね、あそこ!特にあそこはね、偶にいろが変わるんだから!」
その色が変わると言う場所は、トーマスのお世話している庭の辺りである。花を植え替えられるから起きるそれを、理由も分からないまま、少女は楽しんでいるのだ。
「……成る程。では、こういうのはどうでしょうか。確かに私は御母様の事は存じ上げませんが、その間、私がその外の事を教えるというのは?」
「えっ……?」
「お母さんと外に出るのでしょう? だったら、準備が必要です。何も知らずに外へ出たら、恥をかくのは貴方です。お母さんも困る事になるでしょう。勿論、きちんと御母様の事も調べて置きます。……どうですか?」
一瞬、少女の瞳に好奇心が揺れた。だが、すぐに彼女はフローラの大きな手を凝視し、びくりと肩を震わせた。
「……やだ。……いたいこと、するんでしょ」
「は?」
「痛いことするなら、お話なんて聞かない。いらない!」
フローラは虚を突かれた。少女の怯え方は、単なる初対面への警戒ではない。実感を伴った忌避なきがしたのだ。フローラは慌てて言葉を崩し、少女が嘘だと思わないように慎重に素の言葉で言う。
「……誰がするかよ。私は、約束を守らない奴と、無意味に手を上げる奴が一番嫌いなんだ。安心しな、私からお前に、理不尽に手を出したりはしない」
――暴力を受けたような痣は見えるとこにはねえし、エマもそんな事が出来る性格には感じなかったが、なんかあるのか。
「……ほんとう? 嘘だったら、お母さんが来た時に言いつけてやるから」
「ああ、好きにしろ」
フローラが呆れたように吐き捨てると、少女はまだ疑わしげに、けれど恐る恐る近寄ってきた。
「……痛くないなら、ちょっとだけ……。ちょっとだけ、気になるから。聞いてあげてもいいよ」
「……随分と偉そうだな。……まあ、いい。じゃあ、いいか、私のことは『メイ』と呼べ。これが私の名前……あんたがわたしを呼び止めるための、特別な合言葉だ」
「なまえ?」
フローラは少女の目線に合わせて腰を落とすと、癖でつい、その頭に手を伸ばした。少女が急に頭に手を伸ばされたので「ひっ」と身をすくめるのを見て、フローラは苦々しく思いつつも、手を止め、代わりに指先で彼女の鼻先を軽くつついた。
「お前にはまだ名前がねえみたいだから、とりあえず『お嬢さん』って呼ぶぞ。お母さんに会えた時にとびっきりかっこ良くて似合うやつを付けてもらえ。それまでは、私が預かっててやる」
少女は鼻を押さえ、不満そうに口を尖らせた。
「……メイ、メイ。変なの。……でも、『おじょうさん』は……いいよ。呼んでも。しかたないから、きょか?してあげる!」
少女はフローラを真似ているのか、精一杯の威厳を見せるように、小さく胸を張った。
――職の延長線上である以上、母親代わりにはなってやれねえ。そもそもそんなのに向いてねえしな。
フローラはふっと自嘲気味に笑った。




