新たな一年、新たな一歩 その3
お腹もそこそこに膨れて来たら、遂にデザートの出番だ。
リルは肉以外に手を付ける時も、チラチラと視線を向けていて、大変気になっていた様子だった。
しかも、今日のデザートは二種類、用意されている。
それが遂に切り分けられ自分の前に置かれると、どちらも交互に見つめて、悩ましげに息を吐いた。
「どっちをたべたらいいか、リル、まよっちゃうよ……!」
「好きな方を食べたらいいさ。こっちには、リルの好きなドライフルーツがたっぷり入っているよ」
そう言って指し示すと、リルは大きく頷いて、パウンドケーキを手に取った。
これは一口には少し大きいサイズに作られているので、まず半分齧り付く。
もむもむ、と顎を上下させると、途端にリルの目尻が下がった。
丁寧に咀嚼して嚥下すると、幸せに満ちた笑顔を浮かべる。
「おいしーっ!」
「それは良かった」
リルの笑顔には、種類が幾つもある。
これまで何かを食べ、その度に笑みを浮かべたリルだが、その何れも形が違った。
喜び、幸せ、楽しさ、美味しさ、それらを表現するのに、リルには言葉など必要ないらしい。
見ているだけでそれらが如実に伝わってくるし、だからリルには、いつも笑顔でいて欲しいと思える。
「これも、おいしーっ!」
リルは次にミル・クレープを食べて、感嘆に目を見開いた。
口の端にホイップクリームが付いていて、それだけでどれほど大きく齧り付いたのか、分かろうというものだ。
二つのデザートはリルにとって、大変満足できる品だったようで、二つを食べ終わる頃には、お腹を擦って満足げな息を吐いていた。
そうして幸せに浸っているリルを、羨ましそうに見ているのはアロガだ。
自分の妹分だけ、美味しい物を食べているのが悔しいのだろう。
だがそれらは、アロガにとって望ましくない成分が含まれているので、食べさせてやる訳にはいかない。
「いつもより良い肉、食わせてやってるんだから……。それで我慢しなさい」
実際、リルの食べ終わった骨だけでなく、しっかりとボリュームのある鹿肉を食わせてやっている。
燻製肉ではあるが、自家製かつ特別製なので、しっかり旨味が凝縮された代物だ。
干し肉と違って保存期間が短くなるので、それほど多く加工できないので、冬の間の貯蔵量も少なめだった。
それを分けてやっただけでも、アロガには感謝して欲しいくらいだ。
実際、その燻製肉を例えるなら、リルのデザートに匹敵するご馳走になる。
逆にリルには与えられていないので、それでお相子、という事にして欲しい。
「さて、お腹が膨れて、リルも満足しただろう」
「うん、とってもおいしかった! ありがとう、お母さんっ!」
「また一年、健やかに育ってくれたね。これからの一年も、元気に健やかにいておくれ」
「リルは、いっつもげんき!」
にこやかに言うと、すぐ隣で頭を上げたアロガは、リルの肩に顎を乗せる。
そして、頬をしつこい程に舐めると、小さく吠え声を上げた。
「うん、アロガもね。アロガもげんき!」
「ウォウ!」
言いたい事が伝わったと分かると、アロガは舐める代わりに鼻を突き出す。
フンフン、と鼻息が首筋を撫で、リルはアロガの頭を抱いて笑った。
「やめて、アロガ。やぁ〜……!」
一人と一匹のじゃれ合いは日常的な一コマで、実に微笑ましい。
いつまでも見ていたくなるが、本日の本当のメインが、この後に控えている。
リルの様子を盗み見て、後ろ手で隣の部屋へと魔力を飛ばす。
そこから招き寄せたのは、掌に収まる小さな小箱だった。
綺麗にラッピングして、リボンで丁寧に結んである。
それをリルに隠れて手の中に納めると、アロガに気を取られている間に、テーブルの上に置いた。
「リル」
「なぁに? ――あっ!」
テーブルの上の小箱には、すぐに気付いた。
私とプレゼントを交互に見比べ、どう反応したら良いか迷っている。
「リルに贈り物だ。開けてごらん」
「いいのっ!?」
そう口にしながら、既にリボンへ手を掛けている。
乱暴な手つきで外し、ラッピングも豪快に剥がした。
そうして中から出て来たのは、小箱に収められた小さなネックレスだった。
ティアドロップ型の石を飾る銀製のそれは、私も普段から使っているものだ。
それに当然、気付いたリルは、うわぁと声を上げずに口を広げた。
「これ、お母さんの……!」
「そう、これでお揃いだ」
ただし、私のネックレスは五つの石が横に並んでいたもので、リル用に誂えたのは、そこから一つ取り外して作った。
自ら首元に指を差し込み、ネックレスを持ち上げて見せると、数が一つ減っている。
その昔、リルも欲しいと強請られた事があったが、その時は断っていて、いつかその時が来たらと説明し、諦めて貰ったのだ。
「これ、これ……!」
「本当は、もっと大きくなってから、と思ってたんだけど……。これから学んで行くのに有用だろうと、リルに授けることにした」
「ほんとう!? ありがとう、お母さん!」
リルは感動に打ち震えて、椅子から飛び降り抱き着いてくる。
私もまたリルを抱き締め返して、十分に愛情を伝えてから身体を離した。
「いいかい、リル。大事なことだから、ちゃんと聞きなさい」
そう言うと、真面目な顔をして頷き、自分の席に座って背筋を正す。
それに一つ頷くと、私は続きを話し始めた。
「本当なら、もっと大きくなってから渡すべきだとも思った。でも、リルは六歳になって、これから魔力について学んでいく。そして成人した時、その本当の意味を知るだろう」
「ほんとうの? せいじん、っていつ……?」
「獣人の女性は早い。基本的に、十二歳で成人と見做される。我が家でもそれに倣う必要はないけど……、リルもそのつもりでいなさい」
「じゃあ、十二歳になったら、森に行くのも自由なの?」
「それはリル次第かな。しっかり学び、しっかり森に対応できないと、やっぱり森には行かせられない」
リルは不満そうに唇を突き出したが、続く私の言葉で表情を変えた。
「でも逆に、私が認める程になれば、十二歳にならずとも森に入れる。リル次第っていうのは、そういう意味だ」
「そうなんだ……!」
リルは俄然やる気を出したが、話はそこで終わらない。
興奮してネックレスを握りしめるリルに、諭すように声を掛けた。
「いいかい、リル。ネックレスは肌身離さず、必ず持っていないといけないよ。そしてもし、誰かに見せて欲しい、貸してくれと頼まれても断ること」
「うん、だれにもあげたりしない」
「見せる事すら、しちゃいけない。持っているとすら、知られない方がいい。それだけ、そのネックレスは大事なものなんだ。約束出来るね?」
「できますっ!」
片手でネックレスを握り締め、片手を上げてリルは応える。
その表情からして、母の期待を裏切らないつもりでいると、よく分かった。
私は頷いてリルに返すと、立ち上がってリルからネックレスを受け取り、その首に掛けてやる。
リルは一人でまだ付け外しは出来ないだろうから、しばらくは私が代行してあげる必要があるだろう。
リルは首を思い切り下げて、鎖骨の間で輝く石を見ては、嬉しそうに口元を緩める。
丁度良いサイズだったのを自画自賛しながら、リルの頭を優しく撫でた。
「よく似合ってるよ」
「ほんと? おとなになったら、お母さんみたくなれるかな?」
「勿論、きっとなれるとも」
私が請け負って大きく頷くと、リルはきゃらきゃらと笑って喜ぶ。
だがその前に、また一つ、釘を刺しておかねばならなかった。
「いいかい、リル。これから午前中だけでなく、午後にも勉強時間が追加されるよ。ある意味で、書き取りや剣術よりも大事な勉強だ」
「んぅ……」
遊べる時間が減るのは、素直に不満そうだ。
しかし、理由を話せば、リルの方から学ばせて欲しいと思うことだろう。
「マナと魔力の在り方、つまり――魔法が使えるようになる為の勉強だ」
「やるっ! りる、まほうつかえるようになりたい!」
リルはテーブルに身を乗り出して、顔を近づける。
予想通りの食い付きに、私は笑みを浮かべながら、その肩を押して座らせた。
「ようやく、身体がマナに触れても良い年齢になったからね。今までも、そのマナに触れさせないよう、実は色々と工夫してあったんだ」
「そうなの……?」
「リルが気付かないのは当然だよ。赤ん坊の頃から、ずっとそうして来たんだからね。これからは、自分でそうした身の守りを覚えないといけない」
「たいへんそう……」
「最初だけだよ。でも、いずれにしても、明日すぐにって話じゃない。リルがきちんと学んでから、それからの話になる」
「んぅ……、わかった!」
本日のメインは終わったが、まだ時間は夕方にもなっていない。
そして誕生日は、今日という一日のあいだ続く。
「さて、難しい話はおしまい。夕ご飯もまた別に用意するから、それまで部屋の中に居てもいいし、遊んでいても良いよ。好きになさい」
「お母さんは?」
「勿論、リルと一緒にいるとも。準備については、うちの優秀な台所の主に任せるとしよう」
「やった! じゃあね、じゃあね! おそとにいってね……!」
リルとの時間は大事にしているつもりだが、やる事は多く、構ってやれる事は少ない。
一緒に遊ぶとなれば、更に機会が少なかった。
リルは手を引いて外に出ようとし、一秒でも無駄にしない勢いだが、その前にしっかりと防寒具を着せてやった。
喜びはしゃぐリルに、約束通り、一日一緒に遊び倒す。
やりたい事の一つはソリ遊びで、わざわざ山に行って一緒に滑ったり、風光明媚な景色を、飛行術具に乗って一緒に堪能したりした。
そうして、夜眠るまでずっと一緒に、リルのやりたい事に付き合ってやり……。
満足する笑顔のまま、リルは健やかに眠りに就いた。




