新たな一年、新たな一歩 その2
朝食の片付けが済めば、すぐに本日メインの料理に取り掛かった。
何しろ、用意すべきは他にもあり、そしてどれもが手を抜くことが許されない。
冬は保存食が中心の食生活とはいえ、実際に全てがそうした塩漬けや、干した物だけを食べる訳ではなかった。
冬でも採取できる物はあり、そして肉もその一つだ。
いつでも新鮮な卵が手に入るよう、鶏の数には常に気を配っているが、今回ばかりは若鶏を絞める。
肉が柔らかく、臭みも少ない若い個体を食べられるのは、今日みたいな特別な日だけだ。
普段から良い卵を産ませる為に、餌は十分に与えているから、どの鶏も良く肥えている。
その中から厳選して一羽選び、その場で首を切って血抜きをする。
血抜きはすぐには終わらないので、その間に他の準備だ。
そしてこれこそ、メインを押し退ける料理と言って良かった。
その料理こそ、ケーキだ。
誕生日を祝うのに、甘味で彩るのは欠かせない。
リルもこれに期待して、今日という日を楽しみにしていると言っても、過言ではなかった。
そして、今日作るのは、パウンドケーキだ。
発酵酵母が、リンゴから作れる物しかないので、ケーキと言っても選択肢は限られる。
ふっくらとしたスポンジは、どうやっても作れなかった。
だから、パウンドケーキ生地を作るのが限界だ。
しかし、ラム酒に漬け込んだドライフルーツは、リルの大好物でもある。
これを活かすには、丁度良いチョイスでもあった。
そこにホイップクリームなどを乗せれば、普段とは違う豪華さも出る。
牛乳はもう使い切らないと期限的に拙いので、丁度良いタイミングだった。
「さぁ、それでは手際よく始めて行こう」
台所の主たる、屋敷妖精にそう声を掛けたが、彼女に言う事ではないかもしれない。
既にそこから、やる気に満ち溢れた気配が感じれ、それを表現するかの様に、調理器具の準備も万端だった。
こちらから注意する事などなく、凄まじい手際の良さで、パウンドケーキを作られて行く。
そちらを手伝える事はないので、私はその横で、上に乗せて彩るホイップクリームを作る。
これには氷が必要なので、必然的に私の役目、とも言える。
ホイップを作るのは大変だが、同じ力で掻き混ぜ続けるだけとも言え、魔術を使えば簡単に終わる。
手動では不可能な回転を生み出せるので、常人の二倍から三倍の速さで作業が終わった。
「どうせなら、クレープでも作るかな……。挟む物がないから、生クリームとクレープで断層を作って……。うぅん、でもドライフルーツでは被ってしまうし、フレッシュなフルーツなんて、ベリーしかないが……」
使う素材が同じでも、作り方が違うだけで、印象はガラっと変わる。
しかし、どうせなら新鮮な違いを与えたい……。
とはいえ、そこは冬の限界として、我慢するしかなかった。
クレープ生地を作るのは、そう難しくないし、フライパンで十分に作れるが、断層を作るには、とにかく枚数が要る。
それが少し面倒、というくらいだった。
こちらの作業が終わった辺りで、パウンドケーキの方も終わっていた。
型に嵌めて、後は焼くだけの段階だ。
この状態では分かりづらいが、後は焼き加減が上手く行けば、絶品のデザートが出来上がるだろう。
焼入れてしばらくすると、ふんわりと良い香りが広がって来た。
匂いに釣られたリルが、ひょっこりと顔を出すこともあったが、今は準備中だと締め出す。
「今日はちょっと、お昼が遅めだ。だから今は、余ったドライフルーツで誤魔化していなさい」
「すごく、いいにおい! リル、まちきれないよ!」
「待ったら、もっと美味しくなるよ。さぁ、外で遊ぶか……そうじゃないなら、暖炉の辺りで待ってなさい」
「んぅ……、うんっ!」
渋る様な態度はあったが、それも僅かなもので、素直に頷いて去って行く。
リルは暖炉ではなく、外に行くと決めたようで、アロガを引き連れ出て行った。
「さて、その間にトリの準備だな」
裏庭へ行くと、血抜きはすっかり終わっていて、バケツに血が溜まっていた。
血抜きが済めば足を切り落とし、羽を手早く抜いていく。
抜いた羽の量は、そう多くないから使い道に困るが、よく洗って匂いを消し、リルの枕に使うのも良いかもしれない。
一羽分だけでは到底足りないから、今の古い物と合わせる形が良いだろうか。
ツラツラと考えながら作業を終え、内臓を取り出す。
それら一連を裏庭で全て終えると、肉を持って台所へ戻った。
この鶏肉を使って作るのは、香草を内側に詰め込むローストだ。
パウンドケーキが完成したら、その代わりに焼くつもりでいる。
そして、そのパウンドケーキだが……。
漂う香りの香ばしさから、そろそろ良い感じ、というのが窺える。
パウンドケーキは出来上がった後、しばらく寝かせてからの方が美味しいし、本当なら一日掛けて、冷暗所に保管したいぐらいだ。
だが、出来上がったばかりのしっとりと物も、また美味しいものだ。
いよいよ、オーブンからケーキを取り出し、今度はその代わりに鶏肉を入れておく。
取り出したケーキは即座に型から出され、冷暗所へと持っていった。
熱々の出来上がりは、パウンド部分が柔らかすぎて、多少ベタついた感じがある。
それを取る意味も兼ねて、しばらく冷やして完全に熱を取るのだ。
焼き立ての香りから、絶対に美味しいと分かる感覚に、今からリルの笑顔が待ち遠しい。
冷暗所に置き終われば、後はチキンの香草焼きが、出来上がるのを待つだけだ。
大体の料理は終わったので、これから片付けをするのだが、そちらは台所の主に任せるとして、私は飾り付けの方に着手する。
祝いの場は、普段とは違う特別な空間、と思ってもらうのが肝心だ。
生活の場であっても、異質な感じを出せば気分も変わるものだし、それを実行するのは、私にとって容易なことだ。
とはいっても、精霊から力を借りられないから、出来ることは限られる。
それでも、花が咲いている様に見せ掛けられるし、それで部屋を埋め尽くせば、一気に華やいだ雰囲気になった。
花を咲かせるだけでなく、花輪などと作って壁や天井を飾り付ける。
そして壁の中心に『六歳の誕生日おめでとう!』と書けば、立派なパーティ会場の出来上がりだ。
後はリルの椅子にも装飾を加え、本日の主役感を演出する。
そうやって、最後まで細やかに手直しし、最高の状態を模索していると、遂にローストが焼き上がった。
飾り付けに夢中だった私に代わり、屋敷妖精はしっかりと、焼き加減を見守ってくれていた。
肉の焼けた香ばしい匂い、そして立ち込める蒸された香草とが混じり合い、得も言われぬ気分だ。
そして、それは家の外にいたリルも例外ではなく、即座に嗅ぎ分けると一目散に家の中へと入って来た。
だが、一歩足を踏み込んで、その動きが止まる。
壁や天井、そして部屋の四隅に積み上がった花びら……。
壁には横断幕にも似た歓迎の文字と、リルの椅子には飾り付けまでされている。
ひと目で分かる代わりきった様相に、リルは目を丸くしていた。
「すっ、ごぉぉ〜い! どうしたの、お母さん!」
「勿論、リルの誕生日を祝う為さ。……さぁ、今日はリルが主役で、アロガはそのお付きだ。……あぁ、アロガの身体や、ズボンの裾に雪が付いてるよ。外でしっかり落としたら、こっちにおいで」
椅子を指し示すと、リルは感動の面持ちで外へ出ていく。
そうして、裾やアロガを何度か叩く音が聞こえ、しばらくしてから帰って来た。
既に待ち切れない様子で、家の中をぐるぐると見回しながらやって来る。
リルの椅子を引いて座らせてやると、黙って座っているのが勿体ない、と言わんばかりに身体を揺らした。
色んな事が一度に起こって、興奮を制御できていないのだ。
私は笑ってリルの頭を撫で、自らも座る。
リルのマグにはリンゴのジュースを、私のマグにはワインを注ぎ、準備を終える。
テーブルの上にはこれでもか、と料理が並んでいて、中でもチキンのローストはテーブルの中心でテラテラと輝きを放っていた。
「それじゃあ、始めようか。リル、誕生日おめでとう」
「うんっ! お母さん、ありがとう!」
満面の笑みで顔を向けるリルに、私も笑顔で返す。
だが、食欲は正直なもので、私よりもすぐにチキンのローストへと目が向いた。
「大丈夫、すぐに切り分けるからね」
「んひひ……!」
照れ臭そうに笑うリルを眺めるのもそこそこに、専用のナイフとフォークで分けていく。
腿の良い部分はリルに、そして香草の部分はアロガに向かないので私に、残りの部分をアロガにとした。
他にもナッツ類やサラダ類、軽く摘める物もあるが、それらは好きに取る。
リルにどうぞ、と手を向ければ、もも肉を両手で持って大きく齧り付いた。
もむもむ、と大きく頬を動かしては、嬉しそうに顔が緩む。
何度も噛み締めてから飲み込むと、ジュースを喉に流し込んで息を吐いた。
「……ん、まぁ〜っ!」
「それは良かった。たくさん食べなさい」
「うんっ! ね、アロガ、おいしいね!」
「ウォウ!」
リルだけでなく、アロガも満足してくれたらしい。
しっかり肉を食べ終えた後は、骨をアロガにあげたりと、リルなりにアロガを気にかけつつ、食事は続く。
他にも肉以外にはチーズもあり、それも好物なリルは頬を緩めっ放しだ。
そして、とうとう――。
腹もそこそこに膨れて来たら、本日のメインの登場だった。




