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混沌の魔女と獣人の子  作者: 海雀
第三章
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新たな一年、新たな一歩 その1

 今日は、一年の中でも特別な日だ。


 外は寒く、冬に入って一番の冷え込みと思われたが、そんな憂鬱さ吹き飛ばす程の、活気ある一日にせねばならなかった。


 ――今日はリルの誕生日だ。


 私にとっては惜しむべき人を亡くした日であり、そして、己の選択を振り返って、苦々しく思う日でもある。


 己の教訓を刻んだ日でもあるが、己に誓ってリルを守ると、決意した日でもあった。


 朝起きてみれば、ベッドには既にリルの姿はなく、窓の外で遊んでいる姿が目に入った。


 当然アロガも一緒で、薄らと積もった雪の上で、飛び跳ねるように駆け回っている。


 普段と変わらぬ光景とも思えるが、一つ違う点もある。

 外で遊ぶリルは、明らかな期待感と、一抹の不安とが混在している様子だった。


 私は昨日ベッドに入るまで、誕生日の事を口にしていない。

 母にとって、歓迎するだけの日ではない、とリル自身が肌で感じているからだろう。


 それが何故かまで、リルは知らないだろうが、母を悩ませる日だとはうっすら理解しているらしい。


 獣人が持つ鋭い勘がそれを察し、リルの優しさがそれを口にさせないのだった。


「まさか、まだ幼い子に気遣われるとは……。母親失格だな」


 リルの前で一度も口にした事はないし、そうと思わせる素振りをしなかったつもりだが、子は親が思う以上に、親をよく見ている。


 きっと、そういう事なのだろう。


 髪を梳かして階下に降りると、既に食事の準備は始まっていた。

 いつものように調理器具が勝手に動き、既に行程の半分近くが消化されていた。


「あぁ、おはよう。今日は少し大変だぞ。一緒に頑張ろう」


 そこに居るのに目に見えない、我が家の強力な家政婦は、サラサラと衣擦れの音を鳴らして返事をした。


 我が家から精霊や妖精の類いが姿を消して久しいが、彼女はそうしていなくならない者の一人だ。


 彼女もまた、妖精の一種には違いないが、他の妖精がその土地に根ざすのに対し、家という建物に付くという部分で違いがある。


 リルもようやく、これで六歳。

 一定の安全マージンを越えた事で、初めて挨拶の場を持てる。


 彼女からしても、今日は大事な記念日なのだ。


 もしかすると今日という日を、リルよりも楽しみにしていたかも知れず、それが朝食の準備にも表れていた。


 朝はいつもと同じで良い、と伝えてあったのに、ジャムとバターのパンケーキが用意されていたりと、違いが著しい。


 冬摘みベリーを乗せているし、今日という日の歓迎ぶりが、手に取る様に分かるほどだ。


「まぁ……、リルにとっても、今日は大きな転換となる日だ。その気持ちも、よく分かるけどな」


 私が苦笑しながら言うと、返事の代わりにフライ返しをフライパンに叩き付けて音を鳴らす。


 そうして次に、フライ返しが外を指し、同じ動作を幾度か行う。

 どうやら早く呼んで来い、との(おぼ)しらしい。


「はいはい、今日は素直に従っておくよ。料理長を怒らせたら、今日は一日、立ち行かないしな」


 出来得るならば、窓の近くにでも立って、リルが気付くのを待っていたい。

 家の中は暖気で満たされているが、一歩外に出たら、背筋を凍らす寒気が襲ってくるだろう。


 だから待っていたいのだが、どうやらそれも、許されない空気だ。

 私は一念発起して扉を開き、アロガに追われたり追い掛けたり、として遊ぶリルを呼ぶ。


「リぃぃルぅぅ……! 帰ってきなさーい!」


「あっ、お母さん!」


 距離は遠く離れていたが、獣人の耳は人間より遥かに鋭い。

 即座に気付いて踵を返すと、一目散にやって来た。


「お母さん、おはよー!」


「おはよう、リル。……いつから遊んでたんだ? ほっぺが真っ赤だぞ」


 頬を包む様にして手を添えると、リルはくすぐったそうに笑った。


 しかし嫌がる訳でもなく、むしろ掌の温かさを堪能するように、自分の手を添えてきた。


「ほら、早く入りなさい。まず暖炉で温まって」


 リルには私からプレゼントした、手袋やマフラー、帽子を被って完全防備だったが、まだ朝も早い時間帯……当然、外気は非常に冷たい。


 手編みの防寒具だけでは、到底その寒気から全てを守ってはくれなかった。

 手袋を脱いだリルの指先は赤くなっていて、頬や鼻先同様、冷たくなっている。


 私は暖炉の前へと誘導してから、その手を取って擦り、息を吐きかけた。


「遊ぶなとは言わないけどなぁ……。わざわざ寒い時間帯を選ばなくても良いだろうに」


「じっとしてられなかったの!」


「まぁ、そういう感じだな……」


 今ですら、うずうずして仕方ない、という感じだ。


 リルに続いて入って来たアロガは、自分で器用に扉を閉めて、暖炉近くに寝そべった、

 前足に顎を乗せて、やれやれと言わんばかりの態度だ。


 毛皮で覆われるアロガであっても、寒い外には進んで出ようとはしたがらない。

 それでもリルを一人にさせないのは、流石の兄貴分と言ったところだろう。


 リルに暖炉の前に立たせながら、上着や下履きを脱がせ、室内着へと着替えさせる。


 そうして温かい飲み物も与え、のんびりすること十分(じゅっぷん)ばかり。

 料理が完成した合図が聞こえ、食卓へと移動した。


 そうして、そこに並ぶ料理を見て、リルは歓声を上げる。


「わぁ……! すっごぉい!」


 朝からパンケーキを用意されるのは、非常に珍しい。

 それだけでなく、いつもよりも、少しずつ凝った内容の副菜が並んでいる。


 冬では貴重な色とりどりの生野菜、その上に乗っかるポテトサラダ。

 コーンを使ったポタージュに、薄くスライスしたハムまである。


 これは街に住む庶民ならば、早々見掛けられないご馳走といって良い内容だ。


 リルは顔を輝かせ、どれから手を付けようか迷う素振りをした。

 しかし、その前に私が声を上げて窘める。


「リル、食べる前にまずは……?」


「ありがと、いただきます、だよね!」


 分かってる、と頷いてから、リルは台所に顔を向け、大きく声を張った。


「ありがとー! いただきますっ!」


「はい、召し上がれ」


 私がそう言って促すのと、台所で調理器具が音を鳴らすのは同時だった。

 彼女からも返事があって、リルは嬉しそうにパンケーキにフォークを突き刺す。


 ジャムがたっぷりと掛かり、溶けたバターが流れるパンケーキは、見ているだけで食欲が唆った。


 リルが大きく頬張るのと同時に、私はナイフとフォークで切り分ける。

 嬉しそうに咀嚼するのを見ながら、私も自分の口に一切れ運ぶ。


 焼き加減も絶妙で、またバターの柔らかな塩味が嬉しかった。

 文句なしの絶品と言える。


 リルは口の周りをジャムでベタベタにしながら、あっという間に平らげてしまった。


 名残惜しそうに見やるリルに、私の分を分けてやる。


「ほら、あ〜ん」


「いいのっ!?」


「今日はリルが主役だからな。たくさん食べて、たくさん遊びなさい。今日はお勉強なしだ」


「やった!」


 差し出したフォークに齧り付き、幸せそうに頬張った。

 それだけ嬉しそうにしてくれたら、分けて上げた方まで嬉しくなる。


 パンケーキを焼いた彼女もまた、本望だろう。

 ポテトサラダもよそってやれば、リルはスプーンで掬って食べ始める。


 特別野菜嫌いという訳ではないが、ポテトサラダは別ジャンルと捉えているフシがあった。


 周りを彩る生野菜とて贅沢だというのに、そちらには見向きもしない。


 代わりに私がそちらを食べて、リルがポテトを、という役割分担になってしまっていた。


 最後にスープを飲み干して、リルは満足げな息を吐く。

 お腹をぽんぽん、と叩くと、幾らも食安めすることなく席から立ち上がった。


「また、おそといってくる!」


「別に良いけど、アロガが終わるのを、少しは待ってやりなさい」


 アロガの誕生日は不明だが、リルだけ祝うのも可哀想という事と、リル自身がアロガにも何かしてあげたい、と以前言ったこともあって、アロガにとっても今日は誕生日だ。


 だから、朝から豪華な骨付き肉を与えられており、今でもガッツリと齧り付くのに忙しかった。


 カリカリ、ゴリゴリ、と首を捻るように骨にも食らい付いている。


「しかたないなぁ、アロガは。しかたないから、おねえちゃんは、ちょっとまっててあげる」


 アロガは骨を齧りつつ、何を言っているんだ、と言わんばかりの表情だが、それでも抗議めいた何かは示さなかった。


 リルがアロガの前で、お姉さん振るのは今更だ。

 しかし、母として、注意すべきはしておかなければならなかった。


「食べてすぐ動くの止めなさい。お茶でも飲んで、少し休まないと……」


「だんろのまえで、のんでもいい?」


「あぁ、それぐらいなら」


 私は私で、この後の準備があるから、リルに構っていられない。


 普段なら家の中で大人しくしていて欲しいが、昼からの本格的なパーティを考えると、少し離れていて欲しいという思いもあった。


「少し休んだら、好きに遊びに出ていいから。でも……」


「わかってる。もりにはいかない、でしょ?」


「そう。今日は年で一番、最高の一日にするんだ」


「うんっ!」


 リルは笑って席を離れる。

 暖炉傍の椅子に座ろうとするのを、片付けの準備をしながら見送った。


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