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混沌の魔女と獣人の子  作者: 海雀
第三章
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母の回顧 その4

 五人の獣人達が陽動を買って出てくれたお陰で、本来は手厚な西側に綻びが出来た。

 全ては目論見通りだ。


 兵の多くがそちらの警戒に回ったが、しかし当然ながら、監視の目全員が応援に向かった訳ではない。


 それでも目が緩めば、通れる隙間は多くなる。

 魔術を駆使して潜伏すれば、それらを回避して進むのは簡単だった。


「申し訳ありません、こんな事まで……」


「最初から分かっていた事さ。一人で移動なんて、最初から無茶だったんだ」


 背中に背負ったニコレーナに、軽い調子で声を返す。


 獣人は人間よりも筋肉が多く、引き締まって凝縮されている構造上、見た目よりも相当重い。


 単に背負うだけなら、私も早々に音を上げていただろう。

 しかし、軽量化の魔術を掛けてやれば、ニコレーナの重量を一割にまで減らしてやれた。


 僅か数キロの重さを運ぶ事くらい、険しい山林を抜けようとも、難しい事ではないのだ。


「す、すみません、一度……」


 ニコレーナが蒼白な顔で、今にも吐き出しそうな声を出す。

 私は素直に彼女を降ろし、木の幹を背にして座らせた。


 竹筒に入れた水を取り出し、口元に持って行くと、ニコレーナは有り難く感謝を述べて飲み干した。


「っ……、はぁ……。ありがとうございます。だいぶ……、楽になりました……」


「よくもまぁ、そんな体調で山を越えようと思ったもんだな。水を欲して、川の通っている場所にでも近付いてみろ。即座に捕まって、拘束されていたぞ」


「はい、申し訳ありません……」


「無鉄砲というより、これは……」


 言葉を続けようとしたが、途中で止める。

 ニコレーナもそれについては、重々承知の事だろう。


 それは今も見せる表情から察せられた。

 ただ、ニコレーナは一縷の望みに賭けるしかなかったのだ。


 このまま連れ戻され、子どもまで流されるくらいなら、死すら望んでいたに違いない。


 だからこその無謀な賭けだった訳だが、どちらにせよ、勝つ見通しのない自殺に等しかった。


 また病弱な身で、家からもろくに出て来れなかった事から、自分の限界がどこにあるか、分からなかったせいもあるだろう。


 ――あるいは、箱入り娘らしい見通しの悪さ、と言った方が良いのかもしれないが。


「今日は何か食べたか? 水ばかりじゃ保たないぞ」


「いえ……、吐いてしまう、ので……」


「酸っぱいものなら食べられるか? 何か果実でも……」


「大丈夫です、そこまでご厄介にはなれません……」


 ただでさえ要らぬ苦労をさせている、その負い目があるのだとは分かる。

 しかし、ニコレーナにしろ、ただ背負われているだけでも、体力は消耗するのだ。


 何より――。


「お前が体調を崩せば、腹の子が流れるぞ。それが嫌で逃げて来たんだろう。ここは強情になるところじゃない」


「はい……。はい、そうなのですが……私に返せるものなど、何もありません……」


「今は難しい事など考えるな。子を産みたいんだろう。今はそれだけ、考えていればいい」


「はい……、はい……」


 ニコレーナは感じ入った様子で何度も頷く。

 その声は涙と共に震えていた。


「少しでも何か食べるんだ。干した果物なら丁度持ってるから。少しずつ、口に含んでおけ」


「はい……、ありがとうございます……」


 今はまだ春には遠い冬の頃、暖かくなり始める時期とはいえ、寒風が吹こうものなら即座に身体を冷やしてしまう。


 山林の間は風が通りにくいとはいえ、山の天気はどうとでも転ぶ。

 安定している今の内に、素早く通り抜けたい所ではあった。


「休みは勿論取るが、なるべく急いで移動する。監視の目は抜けたと思うが、足跡ばかりはどうしようもない。もしも気付かれたら、相当面倒なことになるだろう」


「はい、私もなるべく……」


「我慢はしなくていい。無理と思ったら、すぐに声を出すんだ。お腹の子の事だけ考えろ」


「はい、ありがとうございます……」


 ニコレーナは今日何度目かになる、感謝と謝罪を口にして、深く頭を下げた。 

 しかし、前途は多難で、先行きは見えない。


 見事、通り抜けたとしても、その先はどうする……という問題もあった。

 それでも、ニコレーナが考えるほど大きな問題ではない。


 助けたからには、最後まで手を差し伸べる。

 最後まで面倒を見る。


 私は既に、そう決めていたのだ。



  ※※※



 歩き通す事で、公国の内部に入り込むことは出来たものの、そこで留まるのは問題だった。


 追跡の手から逃れられたのは事実だが、公国は獣人をハッキリと差別している。

 弾圧していると言って良かった。


 まともな宿にはありつけないし、泊まれる場所を用意されても、馬小屋が精々だ。


 半分獣なのだから、獣と同じ場所で寝泊まりしても良いだろう、という理屈らしい。


 公国の人間は、獣人は文明を持たないと思い込んでいるし、理解を広めようという気持ちもない。


 建築技術もなく、洞穴を利用して暮らしていると、本気で思っている人間も少なくなかった。


 実際に赴けば、そんなものは空想にも等しい侮辱だと分かるのだが、一般人は関わる事すらないので、それ以上を知る機会もないのだった。


 実際は低くない文明を持ち、公国には及ばないまでも、しっかりとしたものを持っているのだが……。


 ともかく、獣人差別の酷い公国で、身重の女性を休ませられる宿は見つけられない、と考えるべきだ。


 ニコレーナの為を思うのなら、さっさと公国を抜けて、別の国に抜ける方が良かった。


「それで……、ここから更に西へ進んで一国跨ぎ、共和国に行くのが良いんじゃないか、と思うんだが……」


「自分の浅はかさを、今更ながらに思い知らされています。どうか、貴女が思う良い様にして下さい」


「……うん。こんな国は、とっとと出てしまった方がいい」


 関所を抜けるには旅券が必要だが、公国から出る時にも、やはり持っていないのは問題になる。


 しかも、獣人ともなれば、普通はそもそも発行してくれない。

 正攻法で行けば追い返されるし、下手をすると捕縛も有り得る。


 かといって、関所を避けるのも難しい。


 獣人国側から抜けられたのは、ろくに整備されていなかったのが理由で、普通は回避できる余地など残さないものだ。


 昔から獣人側へ奴隷狩りなど行い、差別や弾圧が激しいからこそ、獣人は公国側へと近寄らないから、そうした杜撰さがあったに過ぎなかった。


「とりあえず、馬車がいるな……。ニコレーナも、いつまでも背負われていては休まらないだろう」


「すみません、ご苦労かけて……」


「別に女一人背負うくらい、何て事はないさ。でも、身体への負担は最小限じゃないと。苦しい時、横になれる場所があるだけでも、随分と違う。さっさとこの国を抜ける為にも、馬の脚はあった方がいい」


「はい……」


 それで乗合馬車を利用できないかと思ったのだが、これには御者からこっぴどく断られた。


「獣を乗せられる訳ないだろ。汚されちゃ堪らない。畜産農家になら、運搬用の馬車でもあるんじゃないかね」


 その御者は、嘲るように言ったものだ。

 この者一人が特別酷い感性の持ち主だと仮定しても、やはり公国内での差別意識は大抵酷い。


 仮に乗せても他の客が嫌がるので、一度に運べる客数が減る。

 その分、儲けが少なくなる訳だから、御者にとっても煙たい客なのは間違いなかった。


「仕方ない、自力で調達しよう」


「自力……? 自力とは、どのような……」


「いや、なに……。野生の馬を捕まえようとか、そういう話じゃないぞ。馬車ごと買い取るのさ」


「でも、それではお金が掛かり過ぎるのでは……」


「馬でも馬車でも、他国で買い取る奴はいるものさ。差し引きでマイナスにはなるだろうが、大赤字って程にはならない。実際、そのアテはあるしな」


 そういう事で、一つ馬車を買い上げることにした。

 獣人さえ介在させなければ、そこは素直に商売の話――。


 順当に買い付けて、他にも食料品などを買い込んだ。


 妊婦に与えてはいけない食品や、逆に取るべき食品などを買い込み終えると、馬を並足(なみあし)で走らせる。


 常識的な手段で模索するのではなく、最初からこうして金で解決すれば、話は早かった、と今更ながら思った。


 関所を通行する段階になれば、その時はニコレーナを魔術で隠せば良い。


 自分自身の旅券は正式発行された物を持っているので、通行する分には何の問題もなかった。


「後は地道に移動するだけだな。気分が悪くなったら、すぐに教えてくれ」


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