森の日常 その5
筋肉の痛みもすっかり引いた翌日――。
私とリルは庭の端にて、手袋を手にしながら仁王立ちになっていた。
手袋は魔羊の毛から作った特別性で、暖かく通気性があるのに破れにくい一品だ。
二人でそれを装着した後、庭の一角を占めるハーブ畑を一望する。
アロガは当然、これに参加できないので、視界の隅で大人しく横になっていた。
まぁ、彼にとっては面白い事など一つもないので、そういう態度でも仕方あるまい。
しかし、私は違う。
大いに生い茂った光景を目に、腰に手を当てながら、高らかな声と共に宣言した。
「これより、雑草取りを開始する!」
「ざっそー、って……なに?」
「草の事だ、ハーブとは別だぞ。ハーブじゃない草の事を、雑草と言う!」
再び高らかに告げるが、しかしリルはこてん、と首を傾げた。
「でも……、ぜんぶ草だよ」
「ふっふっふ……」
そうと言われたら、笑うしかない。
そして、子供から見るハーブなど、他と見分けの付かない草でしかないだろう。
それは分かる。
分かるのだが、私の娘として、そこはしっかり区別して貰わなければならなかった。
「良いか、リル。普段飲んでるお茶や、料理に使う香り付け、お風呂に入る時に使ってる石鹸やシャンプーだって、こういう所から使われているんだ。ただの草、とか言っちゃいけない」
「でも……、どれがざっそーとか、わかんない」
「そうだな、少しずつ覚えていこう。抜いて良い草、いけない草、今はそれだけ覚えていればいい」
「うん!」
元気よく返事して、ぷひぷひ、と鼻を鳴らした。
やる気に満ち溢れている時、リルが鼻息荒くすると、こういう音が出る。
それはともかく、早速作業に取り掛かろうとした時、またもリルから質問が飛んだ。
「ねぇ、お母さん」
「何だい? 今から……」
「どうして今日は、手でぬくの? いつもは手をふって、ぴゅー、っておわらせるのに……」
「うん……」
実際、普段から雑草取りなど、人力でやらない。
時間も掛かるし、足腰に来る。
だからやらないのだが、今回はその足腰に来させる為に、敢えて手作業でやるのだ。
「リル、剣士に必要なことは、剣を振るだけじゃない。他にも何が必要か分かるか?」
「わかんない!」
「よぉーし、今日も元気だ!」
考える素振りすらなく、元気よく返事した。
そんなリルに抱き着いて、ひとしきり頬ずりしてから、離れて元の位置へと戻る。
「剣士……だけに限った話じゃないが、足腰を鍛えるのはとっても重要だ! 全ての土台と言っても良い! 雑草取りは、そうして鍛えることの入口になるだろう!」
「そうなの?」
「そうなの!」
リルは一瞬、考え込む仕草を見せたが、すぐに右手を上げて満面の笑みを浮かべた。
「やります!」
「よぉーし、良い返事だ!」
私が腕を組んで満足気に頷いて見せると、リルも真似して得意げに胸を張った。
「それで? なにをとるの?」
「何を取る、というか……だから、雑草だ。これとか、それだ」
実際に指差して、細長く張った葉の草などを指差す。
ハーブはそれぞれ特徴となる形があるものだが、そうじゃないもの……と口にする寸前で閉口した。
雑草にも雑草なりの特徴があり、いっそシンプルで雑草に見間違えるものさえある。
しばらくは、隣で一緒に屈んで、どういう雑草を抜けば良いのか教える必要がありそうだった。
「……よし、それじゃあリル。一緒にやろう」
「はいっ!」
元気よく返事して、その場にお尻から座ろうとしたリルに、待ったを掛ける。
「リル、地面に座っちゃ駄目だ。中腰か、あるいは完全に膝を折った状態のまま、草を抜こうな」
「でも……でも、すごく……。たいへん……?」
「凄く大変だとも。でも、そういう所から、足腰を少しずつ鍛えていくんだ。これでも凄く簡単な方なんだぞ」
「えぇぇぇ……」
リルはあからさまに嫌そうな顔をしたが、私自身がお手本を見せると、渋りながらも隣に来て、見様見真似でやり始めた。
「あし、いたい……」
「そうとも。普段しない体勢は、すごく大変だ。これから少しずつ、慣れていこうな?」
リルの頭を優しく撫でると、唇を突き出しつつも小さく頷く。
ピンと張った耳を折り畳むように何度か撫でて、それから雑草摘みに戻った。
庭園には様々なハーブが植えてあり、今は秋の野草が各所に姿を見せている。
少し視線を前に移せば、バジル、ディル、セボリー、コリアンダーが。
右を向けば、カモミール、セージ、タイム、ローズマリー。
そして左を向けば、レモングラス、マジョラム、スイバ、オレガノが見える。
そしてここからでは見えない場所にも、レモンバーム、アニス、チャービル、チャイブなどが植えてあった。
それら全て、ここの食と生活を助ける大事な物だ。
他の雑草と一括りに摘まれては堪らない。
だから、リルが迂闊に抜こうとするハーブを、静かに窘めて、その小さな手を別の雑草へと誘導してやった。
しかし、子供の手だからこそ、そう簡単に抜けない物もある。
「ふんぎぃぃ~っ!」
中腰の状態からお尻を突き出して、顔を赤くして引き抜こうとしていた。
しかし、雑草も強情なもので、そう簡単に抜けてくれなかった。
リルが小さなお尻を、左右にぷりぷりと振っているのが見え、私は思わず笑ってしまった。
「ふふっ……」
「あーっ! お母さん、いま笑った!」
「ごめんごめん。可愛かったものだから……」
「もーっ! ちゃんとやらなきゃ、メッ、でしょ!」
「はいはい」
怒れるタイミングがあれば、それを指摘したい年頃らしい。
それが愛しくも可笑しくて、更に笑みを深めれば、リルはむくれて雑草から手を離してしまった。
「もういいっ。これダメだから、ぬかないっ!」
「うん、抜きやすいのだけ抜きなさい。まだまだ、雑草はあるからね」
「んぅ……! くさぬくの、つまんない!」
「そうとも、地道なことは詰まらないんだ。でも、その地道でつまらないことが、リルを強くするんだよ」
私が優しく諭すと、リルは不満顔ながら、再び座り直して草に手を伸ばす。
――素直な子だ。
人の助言を素直に聞き入れるのは、間違いなくこの子の美点だろう。
また頭を撫でていると、リルは一度諦めた草を、また掴み直した。
「おや、それはまだ抜けないって……」
「いいの! やる! これをぬいて、リルはつよくなる!」
リルの中では助言が曲解されて、この雑草を抜ければ、一つ強くなれる事になったらしい。
今度こそ、と意気込むのは良いのだが、持つ部分が不安定だ。
「いいかい、リル。物事には、順序というのが大事だ。まず、持つところは地面に近いところ」
「……このへん?」
「そう、そしてしっかり、腰を落とす」
「……こう?」
実践してみるものの、それでは腰を落とすと言うより、座っていると表現すべきだった。
私は実際に手を添え、腰を持ち上げてやり、草までの距離も適正な位置へ移してやる。
それまでは妙に遠かった為、へっぴり腰になっていたのも、草が抜けない原因だった。
草を抜こうとする様は立派になったが、これで本当に抜けるかは、握力や腕力などが関わって来る。
「さ、そのまま後ろに、倒れるように抜いてごらん」
言われるままに背中を反らすと、それまで微動だにしなかった根本が、もりっと動いた。
手応えを感じたリルは、更に身体を逸らして引き抜こうとする。
「ふんぎぎぃぃ~……っ!」
そして、いっそアッサリと言えるほど、今度は簡単に草が抜けた。
体重を後ろに掛けていたリルは、そのまま頭から地面へ倒れ込もうとする。
しかし、私がそれを片手一本で支え、ふわりと受け止めてみせると、リルは赤い顔に満面の笑みを浮かべた。
「ぬけたっ! お母さん、くさぬけた!」
まるでトロフィーの様に掲げるリルを起こしてやり、その頭を優しく撫でる。
「良くやったな、リル。すごいぞ」
「うんっ! これでリル、強くなった?」
「あぁ、なったとも」
正面から見つめるまま、その距離を近付け額同士を合わせて、ぐりぐりと顔を左右に振る。
リルは擽ったそうに笑い、一歩後ろに引いて逃げると、目を輝かせて言った。
「これで、もういっしょに、もり行ける!?」
「うぅん……、一緒に行くには、まだ足りないかなぁ」
「えぇ~……っ」
あからさまにガッカリして、リルは雑草を投げ捨てた。
私は投げ捨てられたものを拾い、一つ所に纏める。
そうして、再び雑草抜きを再開したのだが、目に見えてリルのやる気は急降下した。
一応、抜こうとはするものの、すぐ注意が別の何かに行ってしまう。
抜く事よりも、草の間や土の上を観察したりと、他の事に夢中だ。
私が一人で抜き続ける事に意味はあるか、と思い始めた時、横からリルが手を突き出して笑う。
「みてみて、お母さんっ! これ、へんなムシ!」
リルの掌に乗っているのは、木肌と良く似た色合いのカメムシだった。
それを鼻先に突き出されて、思わずギョッとする。
その反応が面白かったのか、リルはきゃっきゃと笑った。
「お母さん、へんなかお!」
「変じゃありません。急にそんなの突き付けられたら、大体の人はそうなるんだ」
「そうなの?」
「そうなの! おてても臭くなるから、早く捨てなさい」
少し厳し目に言うと、リルはあっさり手放して、ハーブの中へと捨て去ってしまった。
どうせなら、もっと別の所に捨てて欲しかったが、別に何処へ捨てても誤差か、と思い直す。
リルは雑草よりも、既に別の虫を探すのにご執心で、もう抜く事は頭にないようだ。
仕方がないので、今日の所はお開きにする事にした。
立ち上がっては腰を伸ばし、私はフゥーッと息を吐く。
その横では、リルが今も何か別の虫を発見して、追いかける所だった。
一つの事に集中させるのは、まだまだ先だな……。
雑草抜きの事など頭から消えたリルを見ながら、小さく笑った。