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混沌の魔女と獣人の子  作者: 海雀
第三章
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母の回顧 その3

「事情は分かった……。協力したいとも思う」


「本当ですか……!?」


 ニコリーナは伏せていた顔を上げ、訴える視線の中に歓喜を浮かべる。

 立ち上がろうとするその肩を押し留め、自らも座って視線の高さを合わせた。


「協力したい気持ちは本当だ。……しかし、その身体で関所越えは無理だ。最初から正攻法で通ろうとは、思っていなかったんだろう? それなら尚のことだ」


「そう、なのですが……」


 ただでさえ、獣人国側から公国に入る旅券など手に入るものではない。


 良い家の出という話だが、そこから逃げ出した以上、そもそもの旅券さえ用意出来なかったに違いなかった。


 しかし、どこの国でも共通して言える事だが、関所を通らず入国しようとする者はいる。


 険しい山道を通るなど、監視の目がない所を通るのだが、そうした場合は大抵、命懸けだ。


 山林間の移動そのものが簡単ではないし、そうした場所には魔獣も潜む。


 人の手の入っていない場所は、即ち魔獣の縄張りなので、関所を強引に通るより危険な可能性すらあった。


「みすみす、命を捨てに行くようなものだ。万全な状態なら、まだ目はあったかもしれないが……」


 悪阻があるのに、長旅をしようと考える時点で、やはり普通ではない。


 そして、そもそもが病弱な身の上だし、自殺願望があるようにしか見えなかった。


「ですが、私にはもう、それしか残されていないのです……」


「普段なら、こんな無謀に首を突っ込むことはしないんだが……。我が子の為とあってはな……」


 子を想う母の愛は論理を超越する。

 それは長い生の間で、よく知っていた。


 生まれたばかりの子を守ろうと、大の男に組み付き、爪を立てた場面を見たこともある。


 ニコはまだ産んでこそいないが、子が宿っていると分かった時点で、既に似た気持ちを抱えているだろう。


 捕まれば取り上げられると分かっていて、抵抗しないはずがない。


「……一応訊いておきたいんだが、どういう方法で関所を越えようとしていた? やはり、山から?」


「はい、東側から大きく回って、山越えをしようと考えておりました」


「無茶だ……。公国の奴らだって、違法入国にザルってわけじゃない。通る可能性のある所には、しっかりと目を置いている」


 獣人は人間より身体能力が高い。

 それは公国の人間なればこそ、よく分かっていることだ。


 だから、人間ならば避ける様な地点でも、獣人の身体能力を考慮して、しっかりと監視の目を置く。


 素人判断で大丈夫そうな道を選ぶのは、むしろ自ら竜の口に突っ込むようなものだった。


「それに、見た所……ろくな準備もしてないんだろう。飲まず食わずで山を越えるつもりなら、甘く見ているとしか思えない」


「私は……、どうしたら……」


 青褪めた顔を更に白くさせ、ニコリーナは震える声でそう言った。

 私はどう答えを返すか迷い……、そして咄嗟に顔を上げる。


 私の妙な態度に、二コリーナは怪訝に眉をひそめた。


「……どうされました?」


「静かに。声を出すな」


 囁く様に言い付けてから、即座に魔術を行使した。


 姿形を隠す透明化の隠蔽魔術と、足音を始めとした、僅かな息遣いすら消す消音魔術だ。


 緊張したニコの顔付きが、傍の木と一体化したのと同時、道の向こうから凄まじい勢いで駆けてくる影が見えた。


 その影は私の手前で立ち止まると、それに合わせて次々と別の影も追い付く。


 合計五人のそれらは、全てが犬や狼といった追跡に向いた獣人だった。


「お前、この辺で女を見なかったか?」


「獣人の?」


「それ以外あるか」


「なぁ、兄貴。匂いはこの辺で途切れてる。近くにまだいるんじゃねぇか?」


 そう言って、内一人が鼻を鳴らし始めた。

 私の魔術は姿や気配まで消せるが、匂いまでは消せない。


 今も即座に見破られないのは、強い匂いを発する木の傍にいるせいだろう。


 黙っていては、見破られるのも時間の問題だった。


「あー……、その女ってのは、お前の身内か何かか?」


「そんなもの、お前に関係ない」


「いいや、大いにある。もしもお前が山賊だったら、私は非常に後味悪い思いをさせられるだろう。そんなのは御免だ」


「いいから、とっとと教えればいいんだ、人間のメスが!」


 爪を伸ばして脅しを掛けて来た、その瞬間だった。

 私が手を一振りすると、獣人は五人纏めて後方へ吹っ飛ぶ。


 一度、二度、転々として転がり、草原の上で千切れた草花を舞わせて止まった。

 軽く撫でた程度だから、獣人達にもダメージは殆どない。


 しかし、私が一歩近付き、その度に腕を左右に振れば、その動きに合わせて獣人達は吹き飛ばされた。


「――ぐぁっ!? こいつ……魔術を使うのか!」


「良くも相手を良く知らず、悪し様に言えたものだな。人に物を尋ねるやり方を、ここで教育してやろうか? あくまで無駄に吠えるなら、その対価を支払うことになるぞ」


「いや、待て! 待ってくれ!」


 獣人達の中でも、一際大きな体格の、私へ最初に声を掛けた獣人が手を伸ばす。


「誤解だ! いや、言葉遣いが荒かったのは、素直に謝罪する。それだけこちらも焦りがあった。余裕がなかったんだ! 侮辱するつもりも、害するつもりもない!」


「野盗風情には良くある事だ。降参し、謝罪して油断するのを待ち……、そして寝首を刈る。お前がそういうタイプじゃない、って証拠がどこにある?」


「……ない! ないが、我らはただ捜していただけだ! 女は我らの村から逃げた! 掟と風習に反し、一人で逃げた! 我らは正当なる権利を以って、それを捕縛しようとしているだけだ!」


 男の声は切羽詰まったものだが、ニコリーナから聞いていた話と、一部合致する。


 より詳しく訊いてみないと判断できない事だが、彼らがこの場でつく嘘としては、整合性が取れすぎていた。


 彼らが掟と風習に則り、ニコを連れ戻そうと追って来た村人に違いないだろう。

 野盗の類いでないのは、恐らく間違いない。


 本来、正しい事をしているのは彼らの方だろう。

 しかし、心情として、私は彼女の方にこそ、協力したい気持ちになっていた。


「女ね……。あぁ、確かに見たし、会った。追われているから助けてくれ、とも言われたな」


「ほ、本当か……! それで……!」


 背後でニコリーナが身動ぎしたのを感じた。


 追っ手までは距離があるから、彼らは気付かないだろうが、彼女からは不安の気配が滲み出ている。


 ここまで来たのに結局駄目だった、と不安になるのは、彼女からすれば当然の反応だ。


 伝わるかどうか不安だが、後ろ手で落ち着くように動かしてから、話を続けた。


「因みに訊いておきたいんだが、その女は犯罪者なのか?」


「……似たようなものだ」


「じゃあ、少なくとも物を盗んだり、誰かを殺して逃げたわけじゃないのか」


「我らの風習においての問題だ。分かり易い犯罪とは違う。……それがニンゲンの国でまで、同じかどうかは知らんことだが……」


「いや、十分だ。私に虚偽を働いて同情を引こうとしたんじゃないんだと、そこを知りたかっただけだから」


「いずれにしても、我らからすれば沽券に関わる。どちらに行ったかだけでも、教えてくれると有り難い」


 リーダー格の男は、冷静であろうと努めていたが、今にも限界は近そうだった。


 焦りと怒りが彼を突き動かしていて、しかし力付くで問い質すことも出来ず、忸怩たる思いで必死に抑えている。


 そして、彼だけならば我慢が利きそうでも、他の四名までそうとは限らなかった。

 犬歯を剥き出しにして、喉奥で唸りを上げ始めている。


 暴発は時間の問題だった。


「……分かった、教えよう。切羽詰まっている様子だったから、丁度持ってた獣避けの匂い消しをくれてやった。その女は……確か、ニコ……と名乗ったか」


「おぉ……! そいつだ、そいつを捜しているんだ! そいつはどこに!」


「公国の関所を避けて、東側からぐるりと山を抜けて行く、と言っていた。ここを過ぎたのは、ほんの一時間ほど前だ。急げば日暮れ前までに、山の入口付近で捕まえられるやも……」


「すまん、恩に着る! ――おい、行くぞ!」


 簡単に礼だけ言うと、五人の集団は我先にと地を蹴って走り去って行った。

 十分に離れたのを確認すると、背後のニコリーナへ振り返る。


 それと同時に術も解除され、大きく息を吐いた彼女が、額に汗して胸を撫で下ろしていた。


「もう……、駄目かと……」


「片方の意見だけを鵜呑みにするのも、どうかと思ったものだから。実際、か弱い女を演じては、同情を餌にするのは良くある手口だ」


「それにしても……、お強いのですね。あの五人が見えた時、巻き込んでしまった事を申し訳なく思ったのですが……」


「確かに、他の四人はともかく、リーダー格は手練れだったな」


 単純な腕力や脚力だけで考えれば、獣人は成人男性の五倍とも言われる。

 しかし、実際に戦うとその通りにはならない。


 人間は魔術を利用するし、魔力に頼るからだ。

 獣人は精霊信仰に厚く、だから魔術を使用せず、距離を取る傾向にあった。


「まるで、話に伝わる魔女様の様でした……」


 多くの人間にからは畏れられ、エルフからは忌み嫌われる魔女だが、獣人からは真逆の尊崇を向けられる。


 かつてエルフの支配から解放された事が、その理由らしい。


「無駄話をしている暇はないぞ。助けたのは気紛れみたいなものだが、これからも協力して欲しいなら、さっさと移動した方が良いだろうな」


「それは……、ありがとうございます。ですが、これでは山越えなど、とてもとても……」


「元より無理だ、という話をしたばかりだろう。そこしかルートがないのも確かだが、今なら話は別だ」


 私が皮肉げな笑みを浮かべると、ニコリーナはハッとして顔を上げた。


「もしや……」


「今なら彼らが、良い目眩ましになってくれるだろう。その間に反対側の山岳地帯から、公国に抜けよう」


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