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混沌の魔女と獣人の子  作者: 海雀
第三章
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母の回顧 その2

「簡単に言うが、よく考えてみろ。公国の関所なんて、そう簡単には通れない。獣人国家(ステンゲル)で暮らしていて、それを知らないはずないだろう?」


「……だとしても、私にはもう……そこに賭けるしかないのです」


 訳ありなのは、最初の反応から分かっていた。

 しかし、予想の範疇を越えて、更に厄介な訳ありらしい。


 病人ならば捨て置けないが、ここまでとなると……少々物怖じしてしまう。

 この件に関われば、まず巻き込まれる。


 弱った相手だから、何かに追われているから、だから助ければ良い……という簡単な話ではないのだった。


 それにもし、借金取りから逃げている様なパターンであれば、尚更助けてやる義理がない。


 むしろ突き出してやる方が、道理に叶っている。

 だが、いずれにしても――。


 話を聞いてみなければ、協力するかどうかも決められなかった。


「まずは事情だ。事情を聞かせてくれ。協力するもしないも、それから考える」


「……そう、そうですね」


 青褪めたままの顔でそう言うと、足を崩してその場に座り込んだ。


 そうして、足を揃えて深く頭を下げる。

 その時、腹を庇う様な仕草を見せ、妙に不格好だと感想を抱いた。


 ともあれ、礼については獣人国家(ステンゲル)で一般的な、正しい礼式の則った一礼だった。


 それだけで、ある程度身分の高い家の生まれだと分かる。


「私の名前はニコレーナ=シャミラ・リムシット。東地方の氏族、リムシット家の娘でございます」


「ご丁寧にどうも。……それで、どうしてそんな娘が、一人で逃げているんだ?」


 おそらくは、頭領かそれに近い位の娘だろう。

 そうであるなら、供の一人でも付いて当然の身分だ。


 到底、一人旅を許されないだろうし、逃げているというのも、また解せなかった。


 あるとするなら、家そのもの――家中の者から逃げ出している、という事になるだろうか。


「私には、婚約者がいました。家同士……親が決めた結婚です」


「よくある話だ。身分の高い家の生まれなら、義務の範疇でさえあるだろう」


「えぇ……、ですが……。私は生まれつき身体が弱く、二十まで生きられない、とまで言われていました」


 顔色の悪さは、それで納得がいった。


 単に調子を崩した程度なら、この場で治療することも考えていた、

 しかし、生来から来るものならば、流石の私も癒やしてやれない。


「そんな私ですから、親はどうしても、婚姻を結ばせてやりたかったのだと思います」


「うん、親心だな……」


 これもまた、娘を持つ親としては、至極全うな気持ちと言って良いだろう。

 年頃の娘が嫁に行かないというのは、それだけで醜聞となる。


 人間でもそういう気質があるのに、獣人ならば尚のこと強かった。

 そして、病弱な嫁を欲しがる家など、まずないものだ。


 子どもを産めないだけでなく、労働力として扱えないとなれば、尚のこと嫁を貰う意味がない。


 相手を探すのは難しかったろう。


 根気よく交渉を進めてようやく得られたのだろうし、それがようやく実って婚姻を結んだに違いない。


「家から殆ど出れなかった私ですが、それでも仲良くなれた方がいました。幼い頃から、なにくれと世話を掛けてくれた、近所の兄さんです」


「うん……? まさか……?」


「塞ぎがちな私の部屋の窓辺に立ち、色々と話し相手になってくれていいたんです。そうしていく内に、私はその方に想いを寄せました。あちらの方も、同じ気持ちであると……。そうして、窓越しだけでなく、密かに会う機会が増えていきました」


「じゃあ、つまり……。親が決めた婚約から逃げる為、こうして危険な逃避行を……?」


 ニコはこれに、うっそりと首を縦に振った。

 しかし、その首一つ縦に振る動きだけでも、彼女には相当つらそうだった。


 声を出すのも苦しそうだが、助けを求める故か……。


 頼みの綱を離すまいと、必死に……そして誠実に、事情を詳らかに話そうとしているのは、その口調から感じ取れた。


「なるほど……。元より短い命と言われていたんだ、好いた相手と結ばれたいと思のも、無理ないだろう。しかし、ならばその気持ちを、親にぶつければ良かったろうに」


「勿論、その話はしました。……しかし、許しては貰えず……。相当無理をしてお相手には頷いて貰ったので、こちらの一存で取り消すことは出来なかったのです」


「まぁ、そうか……」


 この娘が良い所の娘なら、当然嫁ぐ相手も位の高い家だ。


 健康な子を産める嫁が欲しいのはどこでも同じで、何ならば譲って受け入れてやった、くらいの気持ちだろう。


 それを婚約成立済みの後、反故にしてくれと言っても、そう簡単に了承を取り付けられなかったのは理解できる。


「しかし、お前の言う好いた兄さんはどこに行った?」


 私は事更に周囲を見回し、人影どころか、気配すら感じないのを皮肉を交えて口に出した。


「こういうのは普通、二人で逃げるものじゃないのか?」


「私を逃がす為、囮に……」


「は……? いや、そんなに物騒な話か? 囮を用意しないと逃げられないくらいに……?」


 長く生きている私だが、獣人の風習までは深く理解していない。


 説得が無理なら逃げ出そう、という発想まではまま聞く話だが、そこまで物騒だとは思っていなかった。


「何と言いますか……、私たちの間では『嫁取り』という風習があるのです。婚姻が成立していない男女でも、捕まらず村から出て行けたら、親の承諾なしに結婚できるのです」


「それで、男が囮に……? こういうのは普通、どちらか一方でも掴まったら駄目だと思うんだが……」


 そういう風習があるのは、私も知っていた。

 そしてそれは、何も獣人の間にのみある風習でもなかった。


 人間の間でも、やはり似たようなものはある。

 そして大抵、捕まってしまえば袋叩きに会うのだ。


 愛し合う男女だとしても、家からすると娘を攫う盗人だ。

 到底許せるものではなく、手足の一本は平気で取られる。


 容赦なく棒などで打ち付けるので、下手をすると死んでしまう場合だってあった。


 しかし、だからこそ逃げ切ればその褒賞として、罪は免除され結婚を許されるのだ。


「……では、今もお前を血眼になって探しているだろうな」


「そう思います。ですから、早くここから逃げ出したいのです。どうか、お力添えを……お願いできませんか」


「話は分かったが、納得できない点がある」


 私は視線を鋭くして、獣人の女を睨む。

 生まれ付きのハンデと色恋を絡めた、よく出来た話だ。


 だが、それが本当だとすると、ここで一人いる事が理解できなくなる。


「お前はその兄さんとやらと、結婚したいから逃げ出したんだろう。その村から逃げ出したところで、この先どうしようって言うんだ? 男が掴まった時点で、もう結ばれないのは決まったようなものだ」


「はい、おっしゃるとおりです……」


 ニコレーナは殊勝だった。

 虚偽を言っていたのなら、この時点で顔の一つも顰めていそうなものだろう。


 しかし、青褪めた顔のまま、沈痛な面持ちでそれを受け止めている。


「どうせ長く生きられないからと言って、自棄になるもんじゃない。よほど婚約相手が気に入らないのだとしても……」


「――いえ、違うのです。兄さんが私を逃がしたのも、私が捕まりたくない理由も、他にあるのです」


「……それは?」


 どこまで本当で、どこまでが嘘なのか、私にはもう分からない。

 そして、それは最早どうでも良かった。


 ただ今は、この話の着地点が何処に行き着くのか、その好奇心だけで話を続けていた。


「私のお腹には、()()()()がいるのです。掴まったら堕ろされてしまう……」


「なに……?」


 みどりごとは、エルフが赤子を指して使う言葉だ。

 瑞々しい若芽や若葉を想起して、そうした単語を用いる。


 かつて獣人は、長らくエルフの奴隷となっていた時期があり、言葉の端々……風習の端々に、そうした名残が残っていた。


 このみどりごについても、そういう事だった。

 ニコは悲しげに目を伏せて、言葉を続けた。


「きっと、二度目の機会は、私にはないでしょう。宿ったこと自体、奇跡みたいなものです。だから、この子を喪いたくないのです……」


 ニコは庇うようにしていた腹を、そっと撫でた。

 それで私は全てを察した。


 男がどうして自分を囮にしてでも、この女一人になろうとも、外へ逃がそうとしたのか。


 顔色が悪かったのも悪阻(つわり)のせいで、座る際にも腹を庇う仕草が見えたのは、つまりそういう事だったのだ。


「しかし、いいのか? お前が姿を見せなければ、男への報復は苛烈なものとなるだろう。お前が帰ってくれば、万が一にも手が緩まり、助かるかもしれない」


「兄さんも言ってくれました。自分よりも、私とその子が大事だと……。命を賭して逃がすから、と……」


 ニコの頬に涙が流れる。

 そうしてすぐに、嗚咽を漏らして顔を覆う。


 好奇心を下手に出すと、ろくな目に遭わないと言うが……。

 本当にその通りになった。


 どうしたものか、と私は顔を上げる。

 空はどんよりと曇っていて、これから一雨来そうな雰囲気だ。


 獣人は健脚、剛腕と知られているが、病人ならば人間よりも低いぐらいだろう。


 このまま放置すると、まず確実に補足され、結果は決まったようなものだ。

 どうやら選択肢は、殆どないようなものだと、認めない訳にはいかなかった。


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