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混沌の魔女と獣人の子  作者: 海雀
第三章
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母の回顧 その1

 ――今日、何者かがリルの傍に居た。


 侵入者が私に気付かせる事なく、この森に――この森の深部まで入り込むなど、全く予想外の事だった。


 ここまで入ってくるルートは複数あるが、どれも全て簡単ではなく、しかも探知の魔術や数多の罠まで仕掛けられている。


 仮にそれら全てをすり抜けられる技術があろうと、他にもまだ問題があった。


 道中、魔獣や魔物の縄張りを幾つも通過せねばならないのだ。 


 そこで戦闘が一つでも起こっていたら、やはり私は勘付けただろう。


 どれほど上手く気配を隠せる達人であろうと、魔獣の鼻まで誤魔化せるものではない。


 特に森の狩人と呼ばれる剣虎狼(ウルガー)は、広く森に分布しており、これを躱して家まで侵入するなど、不可能と断言して良かった。


「しかし……」


 リルが寝静まった後、私は眠れる気がせず、一人居間で空中を睨み思案に耽っていた。


 椅子に座り、片腕をテーブルに立てて肘を乗せ、もう片方の指で、コツコツ……とテーブルを叩く。


「しかし、何者かはやって来た」


 この平和が長く続くと思うな、という警告とも取れる言葉と共に。

 一体、何者なのだろう……。


 私を表舞台に引きずり出したい何者か、だろうか。

 だとすれば、その場でリルを誘拐してしまえば、それで話は済んでいた。


 否が応でも外に出て、リルを見つけ出そうと躍起になるだろう。

 その上、相手が転移の魔術を有していたのも間違いない。


 リルを抱えて逃げるのは、そう難しくなかったはずだ。


「だが、しなかった。いや、それよりも問題は……」


 転移自体、非常に高度で扱いの難しい技術だ、

 しかも、見ず知らずの位置に飛べるほど、便利で万能な代物ではない。


 短距離転移の技術は目に見える範囲に限られるし、鬱蒼と茂る森の中では、遠くまで視線は通らない。


 何度も転移を繰り返そうと限度があり、それを以ってしても、森と我が家の境界を踏めば探知魔術に引っ掛かる。


 偶然どうにかなった、という論法は通用しない。

 ならば、どうやってここまで来て、そして去ったのか――。


 侵入する時と同様、去る時にだって、探知には引っ掛かるのだ。 


 それなのに、私が感じ取れたのは、唐突に現れた人の気配のみだった。


「そもそも、害するのが目的ではなかったんだろうが……」


 それをするつもりがあるのなら、とうにやれただろうし、気掛かりなのはリルの態度だ。


 アロガすら、侵入者に敵対するどころか、擦り寄ったらしい。

 敵と見たら噛みつけと、教えていたアロガだ。


 しかし、リルと私以外のヒトを知らないから、同じように接してしまった可能性はある。


 だが、それだけとも思えなかった。

 何かしらのカラクリがある。


 侵入できたこと、敵対されなかったこと、そこに納得できるだけの理由が、きっとあったに違いない。


「まったく、気持ち悪いな……」


 敵だとハッキリ分かった方が、まだやり易い。

 だが、何者かにこの場所が知られたというなら、考えておくべきかもしれない。


「この場から逃げ出すか、それとも……」


 迎え撃つか、だ。

 いよいよとなれば、逃げ出す覚悟も必要だろう。


 しかし、ここはリルを健やかに育てるには最良の地で、何より迎え撃てるだけの準備がある。


 誰を相手にしても自力で勝る、という傲慢で言いたいのではなく、この地は天然の要塞でもあるのだ。


 軍を率いて乗り込める場所ではないから、必然的に精鋭を複数用いて強襲する、という形になるだろう。


「……まぁ、軍が相手でも負ける気はしないが」


 所謂S級冒険者や、それに類する実力者を送り込む程度……。

 それが一番、現実的な方法のはずだ。


「ただ、それだけでは足りない。他にも何か用意するだろう……」


 それが何かまでは想像できないが、きっとあるに違いない。

 忠告めいた言葉を残した何者かが、その場には確かにいたのだ。


 似たような形で急襲できるのだとすれば、その為の防御手段を講じておくべきだろう。


 その為の準備をする時間が、どれだけ残されていることか……。

 十分、注意しなくてはならない。


「私は魔女だ……。いつかこうなる日が来ると分かっていた。ずっと一人でいるつもりだったのに……」


 しかし、私はあの温もりを知ってしまった。

 もう手放せないし、健やかに育つ姿を見守るのは、何ものに勝る喜びだ。


 ――あの子を守る。

 ――私が育てる。


 その約束を、決して違えるつもりはなかった。

 亡き母の代わりに、立派にこの子を育てようと誓ったのだ。


 そして、その為にはこの場所以上に適した土地など存在しなかった。

 コツコツと、テーブルを叩いていた指を止め、代わりに掌を見つめる。


 初めてリルをこの手に抱いた日の事は、今でも鮮明に思い出せた。

 柔らかく、温かく、そして確かに感じられる命の鼓動……。


「あぁ、あの子の寝顔が恋しい……」


 今はどうせ眠れる気がしないが、であるのならば、尚更心穏やかになれるものを、見つめていたかった。


 私は席から立ち上がり、二階の寝室へと戻る。

 一度寝かしつけてからベッドを出たので、私が抜けた分、布団がへこんでしまっていた。


 そこへするりと戻って、静かな寝息を立てるリルの顔を覗き見る。


 布団が少し(はだ)けてしまっているので、首元が隠れるまでしっかりと被せた。


 幸せそうな寝顔を見ながら肘を立て、その頭をゆっくりと撫でる。


「リルは元気に育ってる。安心してくれ、ニコ……」



   ※※※



 当時の私は、今と大きく変わらない暮らしをしていた。


 既にボーダナン大森林の奥地に居を構え、そこで自家栽培を中心として暮らしていて長い。


 私は世界の何処か一箇所に、留まる事が出来ない身の上……。

 魔女であることは、秘して生きていなければならなかった。


 とはいえ、本当に全く誰とも接触せず生きて行くのは難しい。

 何処の土地であろうと、必要なもの全てが手に入る場所など、まずないものだ。


 それに、文明的な暮らしや食生活を捨てたい、と思った事もない。

 本当の世捨て人になれないのは、その文明に焦がれる部分があるからこそだろう。


 そして、何より竜や精霊といった、人間よりも貴意の高い存在がいるのが原因だった。


 彼らを一度制した人間として、彼らの間に仲介人として立つのは、むしろ当然の事だった。


 彼らと来たら、まず実力で全てを押し流そうとする。


 それが簡単に出来てしまう故の暴挙だし、対話を面倒臭がるからこその行動とも言える。


 その日もまた、一つの精霊の暴走を食い止めるのに、遠出して解決した所だった。

 人間と接するより、人間以外と接する時間の方が余程多い。


 そして、それに違和感を覚えなくなって久しかった。

 その日は公国の東、獣人国家であるステンゲルを通って帰路に着いている時だ。


 見るべき物もない、木が疎らに生えた広い草原に、長い道が一本通っていて、その道を呑気に歩いていた。


 そうして暫く進んで行くと、木陰に蹲り、苦しそうに喘ぐ一人の獣人を見つけた。


 私は人と距離を取るよう気を付けていると言っても、病人を蔑ろにするほど落ちぶれてもいない。


 私はすぐさま駆け寄って、その肩に手を置いた。


「……大丈夫か? 怪我、それとも病気で……?」


「あぁ、旅の御方……」


 栗色の髪と同じ毛並みの耳を持った、犬型の女性獣人だった。

 青白い顔をして、今にも吐き出しそうな顔をしている。


 その獣人が、縋るように手を伸ばしてきた。


「必ずお礼を致します。どうか、すぐにここから連れ出してください……」


「いや、安静にしておいた方が良いだろう。すごい顔色だぞ」


「分かっています。ですが、このままでは……」


「気分が落ち着いてから、それから移動しよう。それまで離れず、色々と手を尽くしやるから……」


 場所は街道沿いとはいえ、人通りの少ない道だった。

 私自身、人目を避ける目的で、そうした道を選んで歩いてのだ。


 だから、通り掛かる旅人は滅多にいないし、ここは獣人国と公国の境と近い。


 獣人は人間を嫌う者が多く、だから彼女の味方も通り掛かったりしないだろう。


 もしもそうした幸運があるのなら、人手を借りて近くの村か街まで付き合ってやっても良かった。


 だが、獣人は必死で首を横に振る。


「いえ、いいえ……! そういう訳にはいかないのです。すぐにここを離れなければ……」


「離れると言っても、ここから先は公国だぞ。それともその手前、どこかの獣人の宿に知り合いでもいるのか? そこまでなら連れてってやっても良いが……」


「違います、そういう事でもなく……。追われているのです、この国から逃げなければ……。どうかお願いします。国境(くにざかい)までで結構です。そこまでどうか、連れて行っては下さいませんか……!」


 獣人の顔は、どこまでも必死だ。

 この場限りの、虚偽を言っているようにも見えなかった。


 また面倒な事に巻き込まれたな……。

 私は嘆息する思いで、必死に懇願してくる獣人の肩を叩いた。

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