幕間
リルは冬が好き。
お母さんが、いつも家にいるから。
森の中に入って行かないし、家の中か、他の作業場とかに絶対いる。
今日は次の春に着る服を作る、と言ってた。
作業場は、家のすぐ裏。
近くに寄れば、すぐにバッタンバッタン、と音がする。
顔を覗かせると、大きな木の枠組みに糸が何本も張ってあって、それを何か上手く動かしてた。
リルにはよく分からないけど、一度バッタンさせれば、それでちょっとだけ布が出来るみたい。
毛糸の帽子を作ってくれたみたいに、パパッと出来たりしないのかな。
すぐに終われば、リルと遊ぶ時間が、もっと沢山できるのに……。
リルはお母さんが大好き。
良い匂いだし、抱き着いていると安心する。
美味しいお菓子を作ってくれるし、いっつも優しい。
でも、何かを教える時のお母さんは、ちょっとこわい……。
スプーンの持ち方とか、字を書く時とか、ちょっと間違えると、厳しい顔つきになる。
その時のお母さんは、ちょっとキライ。
でも、上手に出来ると褒めてくれる。
その時のお母さんは、とっても好き。
お母さんの手は温かくて、いつまでも撫でて欲しくなる。
でも今は、小屋の中でずっと、バッタンバッタン。
今はガマンする時……。
それに、こういうのは見ていて楽しいし、お母さんは何でも出来て、カッコいい。
いつもリルを撫でる時、優しく笑う顔も好きだけど、お仕事中の顔も大好き。
じぃっと見つめていると、お母さんの手が止まった。
「……何してるの?」
お母さんがリルを見て、ふわっと笑った。
その笑顔に誘われて、小屋の中へと入っていく。
お母さんは身体の向きを変えて、私を抱きしめてから膝の上に置いた。
「お母さんのこと、みてた!」
「ずっと? 面白くも何ともないだろうに……」
「ううん、たのしかった! でも、ふしぎ。いつもみたいに、まほーでぱっとできないの?」
「うぅん……。出来なくはないけど、色々問題も多いんだ。そもそも、布らしき物が出来るだけで、厳密には違うし……マナのない所では、すぐ解れてしまったりするしね」
お母さんが言うことは、いつも大体、ムズカシイ……。
もっと勉強すれば、分かるようになるのかな。
「……ま、丈夫な布が欲しかったら、昔ながらの手織りが一番いいって事さ。その場限りの、間に合わせならともかくね」
「ふぅん……。リルにもできる?」
「リルには、まだちょっと早いかな」
お母さんはリルを持ち上げる様に抱いて、頬を擦り付けてきた。
リルは撫でられるのが好き。でも、そうされるのも大好きだった。
「ねぇ、お母さん。あそんで!」
「……うん? お勉強は? 書き取りの方は終わった?」
「おわったよ!」
「じゃあ、計算は?」
「んぅ……、あれは……」
リルは計算がキライ。
指を使えば分かるけど、考え続けてると、すぐダメになっちゃう。
「リル……」
「だって、分かんないんだもん……」
「それじゃ、お母さんと一緒にやろう。大丈夫、リルならコツを掴めばすぐだよ」
「……ほんとう?」
リンゴが十個とかなら分かるけど、それよりもっと大きい数字になると、すぐ頭がぐちゃぐちゃってなる。
分かる日なんて来るのかな……。
「お母さんの子だもの。勿論、大丈夫。きちんと出来たら、明日はお山に行こうか」
「ほんとうっ!?」
前にソリで山を滑ってから、リルは山が大好きになった。
風を切ってびゅんびゅんと、雪の上を滑るのはとっても楽しい。
それに、雪の上だけじゃなくて、空を飛んだりもするから、何度滑ったって飽きない。
ずぅっと遊んでても飽きないけど、でもお母さんは、とっても疲れるみたい。
この前はリルより先に休んでた。
「じゃあ、今からちゃんとやってくる!」
「うん、もう少ししたら見に行くから、それまで一人でやってなさい」
「すぐくる?」
「すぐ行くとも。こっちは少し、片付けしないといけないからね」
膝の上から降ろされると、お母さんの温もりから離れて寂しくなる。
でも、すぐ来てくれるというから、その間にたくさん答えを書いて、驚かせよう。
明日は絶対、お山に行くんだ。
走って小屋から出ていくと、入口の近くにアロガが座って待っていた。
アロガはこういう小屋に、入っちゃいけないって言われてるから、いつも外でお留守番だ。
「アロガ、おうちにかえろっ! あしたはお山なんだから!」
「ウォウ?」
「アロガもいく? いっしょにソリのったら、きっとたのしいよ!」
嬉しそうに纏わり付き、顔をベロベロと舐めてくる。
それを躱して家に入ろうとした時、アロガが追いかけて来ないのに気付いた。
「アロガ〜? あれ、どこいったんだろ……」
少し足を戻して、アロガの姿を探す。
でも、少し見渡して見れば、そのおしりはすぐに見つかった。
ブランコのある大きな木の傍、そこに頭を突っ込んで、ぶんぶんと尻尾を振ってる。
「どうしたの、アロガ? そこになにかあるの?」
リルからは丁度陰になっているし、アロガのせいもあって、木の傍になにがあるのか、ぜんぜん見えなかった。
回り込むように近づいて行くと、その姿がようやく見える。
それはひと、だった。
黒っぽいような、茶色っぽいような……。
汚れたマントを着て、同じ色のフードを被った人。
それが木の傍に立って、アロガの頭を撫でていた。
「あなたはだぁれ?」
その人の顔は、フードで暗くて見えなかった。
でも、全然こわくない。
わるい人なら、ぜったいアロガが噛み付くと思うから。
だからきっと、優しい人だと思って声をかけた。
「……あたしが怖くないの?」
「うんっ! どうして?」
「ろくでもない顔してるから……」
「そうなの?」
覗き込んでみても、よく分からなかった。
でも、何か今にも泣きそうな雰囲気をしてるのは分かる。
「お姉ちゃん、いたいの?」
「……え?」
「いたいから、なきそうなの?」
「あたし、そんな顔……してる?」
リルよりずっと年上に見えるのに、自分の事がよく分かってないみたい。
顔は見えてないけど、見えなくたって分かるぐらいなのに、それが不思議。
もしそんな顔をリルがしてたら、お母さんはきっと沢山、抱きしめてくれる。
「……今、幸せ?」
「んぅ……、よくわかんない。このあとも、すうじのおべんきょだし……」
「自分がどれだけ平穏の中にいて、どれだけ愛されて育てられているか、お前には分からないんだろうね……。それがどれだけ、得難いものなのかも……」
「お姉ちゃん、お母さんみたい」
「え……?」
「お母さんも、よくリルにはむずかしいこという!」
何気なく言っただけのつもりだったのに……。
お姉ちゃんは、くしゃりと顔を歪めた。
「今の幸せが、長く続くよう祈ってなさい……」
やっぱりよく分からないこと言って、お姉ちゃんは木の陰に隠れてしまった。
「早くに来すぎた。もっと後じゃないと……」
「……お姉ちゃん?」
すぐに後を追いかけたけど、木の裏には誰もいなかった。
前にリルがやったみたいに、枝の上にいるかと思って見てみたけど……、やっぱり誰もいない。
「んぅ……?」
首を傾げているのは、アロガも一緒だ。
フンフンと鼻を鳴らして、地面を嗅いでいるけど、困ったような声を出す。
「キュゥゥン……」
「アロガにも分からない?」
「――リルッ!」
その時、お母さんが焦った顔で走って来た。
「あ、お母さん。どうしたの?」
「何やってたんだ、今……!」
「あ、んぅ……。ちがうの……。すぐおべんきょしようとしてたんだよ。ホントだよ。……でもね、ここにお姉ちゃんがいて……」
「お姉ちゃん……? 人がいたのか!」
「どうしたの? こわいよ、お母さん……」
お母さんはすぐに手を動かして、手の先を光らせたり、動かしたり、何かしているみたいだった。
すごく真剣な表情で、話しかけるのが怖いくらいだった。
アロガが身体を寄せて来て、……だから、その顔を抱き寄せてお母さんを見守る。
しばらくすると、凄く怖い顔をさせて、手から光を消した。
「……お母さん?」
「そのお姉ちゃん、何か言ってた?」
「なんか……、なきそうなカンジしてて……。いまのしやわせが、ながくつづかせない……とか。よく、わかんない……」
お母さんはリルを抱き上げて、逃げるように家まで走った。
お母さんの顔は、とっても怖い。
すごく怖い顔をしてる。
今まで、一度も見たことのない顔だった。
「お母さん、どうしたの?」
「リルはお勉強の続き、してような。お母さん、ちょっと畑を見てくるから。すぐに済むから、それまで一人で頑張れる?」
「う、うん……」
「アロガ、リルを守れ。誰が来ようと。誰が相手でも」
「ウォン!」
アロガは尻尾を立てて声を出した。
なんだか怖くなって、お母さんに抱きつく。
「ねぇ、お母さん、いかないで。ここにいて」
「大丈夫、すぐだよ。すぐ帰って来るからね」
リルの頭を撫でると、お母さんは家を出て行った。
心細くなて、アロガの首に抱きつく。
「お姉ちゃん、わるいひとだったのかな……。すごく、いたい、いたいってカンジしてた……」
「くぅん……」
ゼンゼン、知らないひとだけど……。
でも、自分のことのように、放っておけない気持ちになっちゃう。
「なんでかな……」
顔だってよく見えなかった。
でも、不安よりも悲しくなる。
だから、勉強は全く手が付かなかった。
早く帰ってきて、とお母さんを思う。
そして実際、そう長く掛からず帰って来て――。
その日は二人で勉強を終わらせた。
お母さんが怖い顔をするのは、その日のあいだ、ずっと変わらなかったし、お山に行くのは中止になった。




