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混沌の魔女と獣人の子  作者: 海雀
第二章
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卵泥棒の真相 その8

 朝食を堪能し、鍋をすっかり空にした後、鍋を洗ってまた湯を沸かした。


 新たに料理を作る為ではない。

 お茶を飲む為に沸かす湯だ。


 食後のお茶は、我が家のしきたりみたいなものだった。


 ちびちびと飲みながら、満腹になった後の食休みも兼ねた時間を、ゆったりと過ごす。


 特にこの時期、この地方では、温かい飲み物を飲んで飲み過ぎる、という事はない。


「あぁ、そうだ。忘れてた……」


 木製マグを口元から離し、上空に向けて魔力の塊を打ち出す。


 それは目に見えるものではなく、何らかの魔術ですらなかったが、ここから脱出するのに意味のあることだ。


 私の動きを見ていたリルが、リル用のマグから口を離して、首を傾げる。


「いまの、なぁに?」


「呼び出しの合図だよ。犬笛みたいなものさ」


「リル、それしらない。……どういうの?」


「人の耳には聞こえない、そういう笛があるんだよ。リルみたいな……」


 言いながら、細やかな毛並みに覆われた、リルの耳を畳むように撫でる。


「獣の耳でないと、聴き取れない音を出す笛だ。今のもそれと似たようなものさ。私の魔力を鋭く感じ取って、フンダウグルがここに来るだろう」


 撫で続けていると、リルの方から頭を擦り付けて甘えてくる。

 私はリルに手を向け、魔術でふわりと持ち上げた。


 そのままリルの座っていたタラップに私が座って、その代わりに膝へと乗せた。

 口元でマグを傾けながら、リルを撫でる。


 そうしてリルも機嫌良くお茶を飲み、しばらく冬の空気を堪能していると……。

 私が飲み干した辺りのタイミングで、空に陰が差した。


 唐突に空が曇り、視線を上に向けてみれば、予想した通りの姿が見える。

 空を駆けて来た、フンダウグルに間違いなかった。


「おや、お早い到着だ」


「そりゃあ、呼ばれたんだから来てやったんだろ。……しかし、何だってこんな辺鄙な所にいるんだよ? ウィンガートの根本近くに、降ろしてやったはずだろうが?」


「色々あった」


「そりゃあ、そうだ。色々あったんだろうよ。こっちも長らく待たされて、いよいよ無視して、自分の巣に帰ろうかと思い始めたところだ」


「それはすまなかったな」


 リルを抱いたまま立ち上がり、その手の中のマグを受け取ると、卵駕籠の中へと入れてやる。


 そうして、魔術で作った水で自分のマグ共々水洗いして、その水で焚き火を鎮火させた。


「すまないと思うなら、もう少し殊勝な態度を取れないもんかね」


 フンダウグルは翼を動かして対空していたが、卵駕籠の上の立ち木に足を下ろした。


 その重みで、卵全体が雪の上に沈む。

 タラップも半分上がってしまって、乗り難くなって仕方がない。


 手早く撤収準備を終わらせ、火の始末もしっかり終わらせる。


 火が燻っていないか再度確認すると、宙に飛び上がって、半分閉まったタラップの、僅かな隙間へ入り込んだ。


 そうして、タラップと扉をしっかりと閉まったのを確認して、上へと声を描ける。


「いいぞ、行ってくれ」


「……まったく、遠慮ってモンを知らん奴だ。魔女ってのは、皆そうなのか?」


「皆の事は知らんよ。私と……あと一名は、そうだってだけだ」


 これに対する、フンダウグルから返事はなかった。

 呆れたのか、付き合いきれないと悟ったか、特に返事もなく無言で飛び立つ。


 卵全体がふわりと浮き上がると、いつかと違って随分振動を感じさせない飛び方で、上空まで持ち上がる。


 そうしてある程度の高度まで上がると、ゆっくりと旋回しながら空を切り裂いて飛んで行った。



   ※※※



 ウィンガートの待つ山頂まで、掛かった時間はごく僅かだった。

 馬車では七日を要した陸の旅も、竜の翼に掛かればこんなものだ。


 最初に来た時と同様、岩柱が乱立する雪の岩場に到着し、私はリルを抱いたままタラップを降りる。


 そうして、数歩雪面を歩いてから、背後を振り返った。


「今度はすぐに済む。それまで待っていてくれ」


「落ち着かねぇが……、まぁ仕方ない。さっさとしろ」


 フンダウグルは卵から飛び立ち、手近な岩場に降り立った。

 翼を畳み、身体も丸めて、一休みする体勢を取る。


 私はそれを一瞥してから身を翻し、リルの手を引いて、ウィンガートの待つ洞穴へと足を踏み入れた。


 前回同様、薄暗い横穴を進んでいくと、いずれ広場へと行き着く。


 そして、やはり前回同様、その奥ではウィンガートが背後を庇う様な体勢で、私をひたりと見つめて鎮座していた。


 何か獰猛な気配を発しているという訳ではない。

 フンダウグルの様に、乱暴で恫喝的に声を発する訳でもなかった。


 しかし、何一つ発しなくとも、威圧と似た事は出来る。

 それを敏感に感じ取ったリルは、私に強く抱き着いてきた。


「怖がらなくても大丈夫。……ほら、お前がそんなだから、うちのリルが怯えてしまった」


「……うむ、すまなかった。どういう結果を聞けるものか、期待するあまり……少々、熱っぽくなってしまった」


「……気持ちは分かる。それじゃあ、余り焦らしてもアレだから、簡潔に結論だけを言う。――今後、アレらが山に近付くことはない」


「そうか……」


 ウィンガートは、明らかにホッとした雰囲気で、大きく息を吐いた。


「苦労を掛けた……。流石、裁定と呼ばわれる魔女殿。その迅速な解決に感謝する」


「いいや、竜と人が争うなど、ゾッとしない話だからな。尽力するのは当然の事さ」


 そう言って軽く手を振り、それから何でもない事のように、次の話題を口にする。


「だから、そう身構えなくて良いぞ。誰も卵を奪ったりしない」


「……気付いていたのか」


「最初は分からなかった。だが、何かを隠しているのは明らかだったし、その為に気を張っているとは分かっていた。……そして、それに気付いたのは、私ではないぞ」


「……なに?」


 意外そうな声を上げたウィンガートは、背後に隠したものの警戒を、更に強めた。


「最初に接触を図ったボーリス、気付いたのはこの男だった。無論、確信あっての事ではないと思う。しかし、私同様、背後に何かを隠し、それを守ろうとしているのは分かったようだ」


「だから、それが卵だと?」


「竜ほどの存在が庇い立てる物を、他に思い付かなかった、というだけの事だと思う。そして実際、間違いなかっただろう?」


 これに返答こそなかったが、その無言こそ、正解と言っている様なものだった。


「ただし、気付いたボーリスは、だからこそ刺激せず、極力接触は避けるべき……と進言していた様だな」


「……ほぅ」


 これにはウィンガートは、好意を感じさせる調子で息を吐いた。


 一度は認めた人間が、やはり認めるに相応しい人間だったと、再確認出来たのが嬉しかったのだろう。


 そして間違いなく、ボーリスは実に弁えた人間だった。

 確かめられない事実を前に、自分の勘と観察眼を信じた。


 そして、竜のアギトに口を突っ込むような、愚かな真似はしないと決めていただろう。


 その上で、彼はその良識から、起こり得る事故を未然に防ごうとすらしていたようだ。 


 しかし――。


「彼は一般的な感性として、竜は恐れ敬うものだと理解していたが、全ての人間もそう考えるとは思わなかった」


「つまり、今回の問題は……」


 私は一つ頷いて続ける。


「事を大きくしたのは、その警告した相手……公国の主、エンデリクだった。竜は卵を守っているかもしれない。余計な武力を見せつけるのは、いらぬ誤解を与えるだろう、という忠告を逆に利用しようと思い付いた」


「愚かな……。蛮勇ですらない」


「まったく、その通り。だが、権力に長らく君臨していると、自分の願いは何もかも叶えられる、と勘違いする者が現れる」


「……分かっていたつもりだったが……」


 ウィンガートは悔しそうに声を漏らす。

 そして、それは決して()()()の勘違い、という訳ではなかったろう。


 だから実際に自分の目で見極め、認めた人間にのみ許可をした。


「今回、その様な蛮行に至ったのは、その竜卵を手に入れる欲があったからこそだ。エンデリクは敵に囲まれた公国を、守る手段を欲していた。その時、丁度良いものが耳に飛び込んで来た訳だ」


「愚かな……。卵が仮に盗まれようと、所在が分からぬとでも思ったか……」


「思ったのだろうな。上手く隠して孵化させ、自分が親だと刷り込めば、万事うまく行く、と思っていたかのような口振りだった」


「子を奪われた親が、どこまで凶暴になれるか知らぬと見える。大陸を炎で焼いても、なお収まらぬわ……」


 それを想像できない時点で、竜と関わるべきでなかったのだ。

 明らかな非が人間にある以上、私だってそちらには味方をしない。


 せめて少しでも被害が少なくなるよう、尽力するだけだ。


 まさかそれで、世界全土を巻き込む事態には発展しないだろう、とは思う。

 しかし、いつだって人間に不満を持ち、燻り続けている竜はいるものだ。


 ウィンガートの気が更に膨らみ、リルの耳が総毛立つ。


 より強く抱き着いてくるリルに、私はその背中を優しく撫でながら、ウィンガートに声を掛けた。


「だがともかく、卵については諦めさせた。今後、頭の隅にもチラリとすら浮かぶ事はないだろう。これも……」


 懐から一枚の認可状を取り出し、宙へ放る。


 それはただ紙を飛ばしたというには不自然な軌道を描き、ウィンガートの鼻先を滑って落ちた。


「取り返しておいた。元より正当な主人から奪われた物であるし、ボーリスは被害者でもあったが……。それを守れない者に持つ資格はない、と判断した」


「うむ……。今後は認可状を盾に、無茶を通そうとする事もなくなろう。私も少し、手ぬるい対応だったのは認めねばならぬだろうな……。しかし……」


「分かってるさ、守ろうとする物を抱えているんだ。臆病にも、億劫にもなる」


 そう言って、私は腕に抱いたリルの頭に頬を当てた。

 ウィンガートはそれを、どこか羨む視線で見る。


 そして、その視線には以前にも覚えがある、と思った。

 私がリルと接していると、決まって似たような視線を送られた。


 時には、その感想を求められた事も――。

 その時に、何を背後に隠しているか気付くべきだった。


「まぁ、過ぎた事だ……」


「うむ、今後は卵でなく、赤子そのものを狙おうとするやもしれぬ。十分、気をつけるとしよう」


 ウィンガートは私の言葉を大いに勘違いしていたが、勘違いしたままで問題ないので、敢えて訂正はしなかった。


 権力者はその前提として、益を求めずにはいられない。

 為政者としては当然で、むしろ職責でもある。


 しかし、それが竜と健全な関係を築く足かせとなり、時に強硬な姿勢を見せたりするのは問題だった。


 適切な距離を築けないなら、離れるぐらいが好ましい。

 精霊がそうであるように、気に入る相手だけと接する。


 そういう関係でも築ければ前進なのだが……。

 かつて、竜とは災害を意味した。


 そう簡単にはいかないのが現実だった。


「それでは、頼み事も済んだので、私は帰る。今度も口から火を吹く前に、私を思い出してくれると嬉しい」


「うむ……。我らが唯一、信用する人間よ。安寧を取り戻してくれて感謝する。何かあれば、そちらこそ私を頼ると良い。きっと力になろうぞ」


「あぁ、その時は頼りにするよ」


 私は礼を言って、その場を辞去する。

 そうしてようやく、竜から頼まれた問題事が、ここに解決されたのだった。


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