卵泥棒の真相 その7
人目に付かない場所として選んだのは、街道から外れた小規模な林だった。
この辺一帯はどこを見渡しても、雪原とそこから突き出した岩、疎らに生える樹木ばかりの土地しかない。
だが、そうした土地でも林ぐらいはある。
針葉樹林なので外から見た時も、何かが中にいるとは、そう簡単に分からないだろう。
その代わり、こういう場所には魔獣が住み着いたりしているものだった。
「まぁ、いたからどうしたって話ではあるしな……」
そうして実際、林の中を馬車に歩かせる事しばし――。
この土地特有の魔獣が、迂闊に入り込んだ獲物と思ったのか、これ幸いと見て襲い掛かってきた。
――しかし。
「邪魔」
それら全て、腕の一振りで一掃した。
完全な格上と見て、魔獣は一目散に逃げ出し、それ以降は近付いて来ようとはしなくなった。
ただし、殺してはいないので、今も周囲に潜んで様子を窺っている。
敵わないと分かっていても、ここは自分達の縄張り、という矜持が魔獣にもある。
どうにか追い出せないか、あるいは決定的なチャンスがないか、今も虎視眈々と狙っていた。
しかし、それらは一切脅威ではないので、無視して作業を進める。
馬を馬車から外し、轡と手綱はそのままに――ただし邪魔にならないよう、首周りに引っ掛けて、この林から逃した。
「このまま街に帰ってくれたら良いが……」
手綱にも公爵家の印が入っていたし、上手く良い人に見つかれば、そのまま送り返して貰えるだろう。
しばし馬の背を見送り、魔獣が襲い掛かって行かないのを見届けてから、こちらの作業を再開した。
馬車に掛かった幌を剥ぎ取り、卵駕籠を露出させる。
魔術でふわりと浮かせて、近くの空いたスペースに移動させると、ゆっくりと置いて側面の一部分に手を当てた。
それで駕籠にタラップが降りて、入口が開く。
すると、即座にリルが泣き顔を浮かべて飛び込んで来た。
「おかぁさぁぁん……っ!」
「あぁ、ごめんごめん。心細かったな」
リルを抱き留め、その背中を撫でながらあやす。
しかし、卵駕籠の中と違って外は寒い。
朝日が昇ったばかりの時間帯なので、未だに深夜の冷気が色濃く残っていた。
リルは私に抱き着いたものの、身体をブルブルと震わせる。
「ほら、寒いだろう? まだ中に入ってなさい。すぐ朝食にするから」
「……うん」
私はリルを抱いたままタラップを踏み、身を屈めながら中へ入る。
そうして今しがた包まっていた毛布をリルに掛けてやり、内部に収納された棚から食材を取り出した。
基本的に、長旅を想定していないので、あるのは少量の保存食だけだ。
大した料理は作れないが、それでも温かいスープがあるだけで随分違う。
「さて、火を熾すとなると……」
小さな竈を作りたいが、近くに岩や石など、利用出来そうなものは見つからなかった。
林から出れば、外に岩場は点在しているから、砕いて石を持って来るのは問題ない。
しかし距離もあるし、少々時間も掛かる。
どうしたもかと首を捻り――。
「あぁ、目の前に良いのがあるな」
ここは林なのだ。
材料ならば目の前にある。
うちの森では、木材は燃料に使えないからうっかりしていたが、普通木材とはよく燃えるのだ。
適当に選んだ一本を腕の一振りで切断し、倒れ込む前に魔術で受け止める。
何度か左右に手を振って、手頃なサイズの丸太を幾つも作った。
ただし、必要なのは、その内の一本だけだ。
それ以外は単に予備として、一応切ったに過ぎなかった。
「倒れ込んだ時の音や衝撃が、外に漏れても嫌だしな……」
「ん……、なぁに?」
「あぁ、リルに言ったんじゃないよ」
毛布を頭から被ったリルが、顔だけ出して言ったのに、手を振って応える。
ここは後に騒ぎの中心となるかもしれないが、食事の最中に騒ぎとなって貰っては困るのだ。
少なくとも今は、まだ平穏でいて貰わねばならなかった。
私は丸太の一本を手にしながら、卵駕籠の側面に手を触れながらリルに振り返る。
「ここ、閉めておくぞ。寒いだろう?」
「ううん、いい。お母さん、みてたい」
毛布で完全にミノムシ状態だから、ある程度防寒出来ているとはいえ、このままでは体温を奪われるだけだ。
私は丸太を刻んで角材を作り出し、近くに井桁型に組み上げた。
煙が立ってしまうし、外から存在をアピールする様なものだから、あまり取りたくない手段なのだが、小型にすれば何とか誤魔化しも利くだろう。
ただし、切り出したばかりの木材は、水分を多量に含んでいる。
組み上げたばかりの井桁を結界で包み、真空状態を作って一気に水分を蒸発させた。
これならば、煙も少なくさせられるし、異臭の発生も抑えられる。
次に元々、代用竈として使うはずだった丸太、その中心部分を深く刳り抜いた。
ただ刳り抜くだけではなく、横幅にも広く取る。
そして、その刳り貫いた中心部分に向けて、側面からも同様に貫いた。
こちらは空気穴なので、大きい穴である必要はない。
せいぜい、縦から貫いた穴の半分以下の大きさで良い。
そうして刳り貫いた時に出た端材を細かく砕き、着火剤として利用する。
これは井桁の方にも使うので、先に着火してリルの暖として充てがった。
井桁型に組んだ木材の良いところは、火の通り道が十分にあるので、火がすぐ大きくなるところだ。
最初は小さな火が、すぐに大きく燃え広がるようになり、卵駕籠の中にも暖気が漏れ入るようになった。
「お母さん。ひに、ちかよっていい?」
「いいよ。でも、なるべく外には出ないように。タラップより内側でも十分、火に当たれるから」
最初からそういう想定で、井桁を組んで置いている。
卵駕籠自体はミスリル銀を使用して作っているので、自然火など少し炙られた程度では損傷すらしない。
リルが入口付近で丸くなって、火を見つめている間に、私は私で作業を開始した。
まず、枝の皮を剥いで作った串に、パンを刺す。
それを焚き火近くに刺して熱し、少し焦げ目が付く位まで焼く。
これは少し時間が掛かるので、その間、一緒にソーセージも焼いておいた。
そうして、焼いている間にスープの準備を進める。
丸太の中に火を付ければ、空洞の中で火が燻り、チロチロと燃え上がっていく。
「よしよし……」
こうするとすぐ全体に燃え広がりそうにも思えるが、一つ料理を作ったり、湯を沸かしたりするのには、十分な火力と持続力があるのだ。
案外と全体に燃え広がらないもので、簡易竈として十分な働きをしてくれる。
私は丸太の上に鍋を置き、その中にざっくりと刻んだ野菜を投入した。
火力の調整は下手にせず、あるがまま炒めて水分を飛ばしていく。
ある程度火が通ったら、トマトを潰しながら投入した。
これがスープの水分の主な部分で、あとは干し肉で塩味と旨味を加え、スパイスを投入し味を整える。
そうして、くつくつと煮込んで行くのだが、これには最低でも三十分ほど掛かってしまう。
リルにはすぐに温かい飲み物を与えてやりたいのだが、これだけは如何ともしがたい所だ。
十分な時間を掛けなければ、酸味が飛ばず、酸っぱいスープが出来てしまう。
それさえ済めば、特製トマトスープの出来上がりなのだが……。
それより前に、リルが音を上げた。
「お母さん、おなかすいた……」
リルから、きゅるる……という可愛らしいお腹の音も聞こえた。
鍋からは良い香りが立っているし、もう我慢ならない、という表情だ。
だが、そろそろ焚き火に刺しておいたパンと、ソーセージがよく焼けている頃だった。
先にこちらを食べさせよう。
パンの上にチーズを置いて、これを軽く炙って蕩けさせたものを掛けると、ソーセージ共々リルに手渡す。
「串に付けたまま齧り付きなさい。熱いから気を付けて」
「うんっ!」
途端、元気よく毛布を跳ね飛ばして、リルはタラップを降りて来た。
直接外にではなく、タラップの上に座り込むと、嬉しそうに二つの串を受け取る。
そうして、最初にチーズの垂れ掛かったパンを口に含み、美味しそうに咀嚼した。
次にソーセージに齧り付き、パリッと良い音を響かせながら、ほふほふ、と白い息を吐き出しながら食べた。
「んん〜っ!」
チーズとソーセージの組み合わせは、犯罪的と言っても良い。
リルもご多分に漏れず大好きで、パンを食べてはソーセージ、というサイクルで口に運んでいた。
しかし、勢いよく食べていたお陰で、喉を詰まらせる。
そこへすかさず、出来上がったトマトスープを差し出すと、舐めるようにゆっくりと飲み込んでいく。
背中を叩いてやりながら、そうして二口、三口と嚥下すると、最後に大きく息を吐いた。
「……っ、ぷぁぁ〜っ!」
「焦らず食べなさい。誰も取らないから」
「うんっ!」
そうは言っても、食い気と空腹には勝てないらしい。
口元を汚しながら食い付き、その様子を見ながら、自分のスープを口に運ぶ。
「……うん、寄り合わせにしては良い出来だ」
「おいしいっ! お母さんっ、おいしいよっ!」
雪原の上の雑木林。
木々の間から見える、白い雪面。
焚き火の燃える音を音楽に、明るい日差しの中で温かな朝食を食べる。
いつもと違う、非日常で食べる環境は、それだけで一つのスパイスだ。
私もソーセージを一つ齧り、肉の旨味そのものを頬張ってから、スープでそれを喉奥へ押し込む。
口から吐き出す息は、煙よりもなお白い。
吸い込む空気は冷たいはずなのに、むしろ心地良いくらいだった。
私はリルに微笑みを向けて頷く。
「美味しいな」
「……ねっ!」
リルもまた満開の笑みを浮かべ、両手の串を交互に食べては、幸せそうに咀嚼した。




