竜の塒と追走劇 その7
「リル、さっきの続きだ。しっかり掴まってなさい」
「うんっ!」
その返事を聞くか聞かないか……。
そのタイミングで、私は飛行術具を大きく左に切った。
直後、飛来した矢が横を通り過ぎて行く。
立て続けに放たれる矢は、どうあっても近付けさせない、という弓士からの意志を感じさせた。
「いい腕だ……」
相当な訓練と、場数を踏んでいるのだろう。
狙いが正確で、また偏差射撃も出来ている。
そうした魔鳥を専門に狩っていた過去でもあるのか、矢の軌道に動揺も感じられなかった。
だが、飛行術具は翼で空を飛ぶ生物とは、全く異なる動きをする。
更に速度を上げて、右へ左へと、不規則な動きで狙いを翻弄した。
「わぁぅっ、きゃあ〜っ!」
リルはその不規則な動きすら、喜んで声を上げている。
まるで遊具に揺られているか子供そのままで、危機感など全くないのだが、今はそちらの方が助かった。
矢を躱し、大外回りで狙いを逸らし、更に近付く。
そうして距離を半分程に縮めた時、それまで控えていた魔術士が、強引に魔術を行使した。
「ヘッタクソな奴だな……」
弓士が牽制している間に、大規模な魔術を準備したかったのだろう。
その意図は理解できる。
しかし、その割には制御がお粗末で、十分に魔力を練り込めていない。
速度を重視したのだろうが、そのせいで全体の構成が疎かだ。
「こちらにとっては都合が良いがな……」
そういう中途半端な魔術だから、強制的に割り込んで、魔術を中断できる。
魔術の使用とは、術式の構成こそが全てだ。
それは時として建築にも喩えられ、十分なしっかりとした土台、強固な柱、それらを取り巻く壁に形容される。
その土台を疎かにすれば、少し小突いただけで柱は倒れ、壁は倒壊する。
魔術士ならば、自分の魔力をその構成そのものに、強引に干渉する事は難しくない。
だから、最初の土台だけは、しっかりと構成するものなのだ。
ここが堅固ならば、そもそも干渉など出来ないのだから。
しかし、敵魔術士は速度を重視する余り、それを怠った――。
「だから、こういう事をされる」
魔術士の頭上で膨れ上がった火球は、民家よりも巨大な炎となって燃え盛っていた。
私が更に速度を上げ、直線の動きになった瞬間を見計らい、それを解き放とうとする。
しかし、放たれた巨大火球は、逆風で押し返されるかのように、ほんの少し前進しただけで元に戻り、彼ら自身を巻き込んで焼いてしまった。
「ぎゃあアアア!」
「何やってんだァァァ……!!」
それで後衛の弓士と魔術士は、戦闘不能になった。
残ったのは前衛の戦士らしき男と、戦士にも劣らぬ屈強な体型の僧侶だった。
手には盾とフレイルを持っていたが、それら二つを投げ出して、私を相手するより仲間の助けに入っている。
そうなると、後に残ったのはその戦士一人だけだ。
私は飛行術具の角度を調節し、急滑降を試みる。
最大速度で空から落ちるように突っ込み、剣を振りかぶる戦士へと突撃した。
私達には事前に張った空気の層があって、衝撃なども殆どない。
しかし、戦士は大きく弾き飛ばされ、そのまま雪の上に転がった。
そのままの勢いで、こちらに背を向け治癒している僧侶にも突貫し、背後から攻撃した事で決着となった。
魔術の被害に遭った二人も、とりあえず最低限の処置を施された後だったようで、とりあえず生きている。
火傷は酷いし、赤く爛れた肌が焼けた防寒具とくっついて、酷い状態になっていた。
不憫というより、リルにそうした傷を直視させたくなくて、私は治癒魔術を行使する。
起き上がって攻撃されても困るから、治療するのは表面上の火傷だけだ。
一度焼けた肌は、身動きするだけで千本の針で刺される痛みが走るだろうし、ろくに受け答えも出来ないだろう。
だが、とりあえずは鎮圧できた。
魔術士の近くにあった卵駕籠に傷は付いたが、あくまで表面上の傷だけだ。
周囲を一周して確かめ、内部に問題がないのを確認して、その近くに降り立つ。
「リル、大丈夫だったか?」
「へいきだよっ! ちょっと……、びっくりしたけど」
「あぁ、ごめんごめん……。特に最後は怖かったよな……!」
私は飛行術具から伸びたグリップを離し、片手をリルの胴回りに、もう片方を頭に当てて撫で回した。
「こわくなかったもん! ……でも、さっきのおじさん、だいじょぶ?」
「リルは優しいなぁ……。盗人を心配する必要なんてないんだよ」
それに、衝撃の瞬間、戦士の男は後方に飛び退いていたように思う。
攻撃が間に合わないと悟るや否や、被害を最小限に留めようとしたのだ。
弓士の腕も良かったし、戦士の判断も的確だった。
このパーティは、案外それなりに高ランクの冒険者だったりするのかもしれない。
「……しかし、それがどうして、私の駕籠を奪うって話になるんだ?」
飛行術具から降りて、卵駕籠の側面を払って煤を落とす。
素材にミスリル銀を使用しているから、魔術防御はピカイチだ。
傷らしい傷がない事を改めて確認してから満足し、それからハタ、と思いたる。
これだけの大きさを用いたミスリル銀なら、一財産にはなる。
だから奪おうと思い付いたのか、と思ったが、あんな所に怪しいものを、勝手に持ち帰ろうとするだろうか。
――あるいは、あんな所だから、なのだろうか。
持ち主がすぐ傍に居るなど、思いも寄らなかったのではないか。
「まぁ、訊くだけ訊いてみるか」
動けない後衛二人は置いておいて、気絶した前衛を縛り上げて近くに持って来る。
近くへ落とした衝撃で、魔術士がうめき声と共に恨みがましい視線を送って来たが、当然無視した。
今も苦悶の表情を浮かべて動かない戦士を、つま先で小突く。
リルは未だに飛行術具の上で座り、事の成り行きを見守っていた。
敢えて後方に置いて距離を取り、万が一攻撃されても、即座に防げる位置取りを心掛けている。
しかし、戦士は何度小突いても中々起きず、痺れを切らし、更に強めに蹴った。
その場から何度か転がるほどの威力で、これには流石に男も目を覚ました。
「グッ……、くく……! くそっ、何が起きた……」
「何が起きた、じゃないんだよ。記憶まで飛んだのか」
「お前は……! ……そうか。やられた、か……」
「思い出してくれたようで何よりだ」
「チッ……! あぁ、クソッ、胸が……! 何だあれは……。女の……魔術士が空を飛んで来るなんて、そんなの聞いとらんぞ……!」
魔女と女魔術士の境界は、非常に曖昧だ。
外見から分かる事でもなく、協会などがあって認定するものでもない。
大抵は自己申告制だし、地域や国によっては、しっかりと侮蔑用語だったりするから、良識ある者ならば迂闊に言わない単語でもあった。
そこを考えると、この戦士は良識と分別あるタイプの人間らしい。
この状況で、下手に挑発などで刺激する無意味さを、良く理解している。
「しかし、聞いてないとは穏やかじゃないな。まるでお前には指示役がいて、追跡者が出るのを予め理解していたようじゃないか」
「なに言ってるんだ、ご同業だろ? お前もそのつもりで来たんじゃないのか?」
「生憎と、盗人に堕ちたりなんかしていない」
――前言撤回。
こいつは良識も分別もないタイプだった。
私が怒りをチラつかせたのを見て取って、戦士は慌てて首を振り……そして、胸の痛みで悶絶した。
「ぐっ、くぅぅ〜……! クソッ……せめて治療だけでも、させてくれんか。喋るだけでも辛いんだ……っ」
「それより、その品のない言葉遣いを改めろよ。小さな子供が傍にいるんだぞ、真似したらどうしてくれる」
言われて初めて気付いたらしい。
私の背後に目を移して、それから虚を突かれた顔をする。
「何で……こんな所に、こどもが?」
「何故かは、どうでも良いんだよ。それよりお前……お前達だ。何で私の駕籠を盗んだりした?」
「……カゴ? 何の話だ?」
「ここで惚けて何の意味がある。これの事だよ、コレの!」
私が卵駕籠をコンコン、と叩いてみせると、男は目に見えて動揺した。
「お、おまっ……! 馬鹿! 粗末に扱うな!」
「は? 私の物を、どう扱おうが私の勝手だろ」
「お前こそ何言ってるんだ! ――いや、そう! それより、速く逃げないと! これはもう、お前の物って事でもでいい! でも、運ぶのに人手は必要だろう? 俺達がその荷運びをする。だから、儲けを少し分けてくれないか!」
……どうも根本的な部分で、話が噛み合っていない。
そして、この男達にも事情がありそう、という事は分かった。
しかも、その風体から冒険者パーティに見えるし、そうだとしたら依頼者がいると見て間違いない。
「ハァ……。何だよ、全く……」
何が目的で狙ったものか、訊きたくはないが、どうやら訊かない訳にはいかなそうだった。




