表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
混沌の魔女と獣人の子  作者: 海雀
第二章
74/225

竜の塒と追走劇 その5

「きゃっほー!」


 速度に慣れたリルは、ついには声を出して喜ぶほど、余裕を取り戻した。

 元より怖がっていなかったリルだが、身体が強張る事までは避けられなかった。


 しかし今では、私が曲がる際に体重移動するのに合わせて、自らも身体を傾けられるぐらい余裕を見せている。


 ――この子はセンスが良い。


 実際に口に出して説明するまでもなく、どうすれば良いのか感覚だけで掴んでいるのだ。


「お母さん、まえ、まえ!」


 しかし、体重移動だけでは対処不可能なカーブが、とうとう前に迫って来た。

 そそり立つ壁が道を塞ぎ、ほぼ直角に曲がる道だ。


 一度急停止して、改めて滑り直すべき場面だが、これまでのリルを見ていると、遠慮する必要はなさそうだった。


「リル、きちんと掴まって! 口は閉じる!」


「あいっ!」


 返事と同時に、リルは前のめりだった身体を戻し、背中をしっかりと荷台に押し当てた。


 強く掴んでいるせいか、肩が上がって強張る所も見える。


 それを確認するなり、私は前方に魔術を放った。

 壁に仕掛けをする為だが、破壊の為ではない。


 全くの逆で、婉曲する氷のカーブを用意したのだった。

 凍り付いた壁面へ斜めへと入斜角を取りつつ、体重を内側へずらす。


 単にずらすだけでなく、地面へ顔が張り付くほど大きく傾けた。

 橇がギシギシと悲鳴を上げる。


 そうやって殆ど減速なく滑り込んだせいで、橇は壁面高くまで乗り上げた。

 かと思えば、今度は急なU字を描いて、地面へ顔を向ける。


 殆ど地面へ垂直に滑り落ち、そうして無事に曲がり切ると、私は咄嗟に身体の傾きを逆にする。


 勢いよく滑り落ちた橇は、片足を宙に浮かせた状態で走っていたが、私が逆に切った事で、無事に両足が接地した。


「きゃああ〜っ! ふぅ〜っ!」


 リルのご機嫌振りは、留まる事を知らない。

 無事に通過した事に喜び、両手を上げて喝采を上げた。


「リル、ちゃんと掴まってなさい」


「あいっ! んひひ……!」


 だが実際は、態度に見せるほど余裕でもなく、流石の私も少しヒヤッとした。

 そして逆に、リルにとっては楽しいアクシデントでしかなかったようだ。


 根が図太いのか、それとも私なら危険な目に遭わせないと思っているからか……。

 ――両方かな。


 そんな事を考えていたのが悪かった。

 雪道に残る痕跡を、つい見逃してしまった。


 左手には高い壁、正面には森、そして痕跡は森へと続いているように見えた。

 しかし、違う。


 これは道を間違えたか、あるいは卵駕籠を誤って滑らせたのか……。

 途中で急に進路を転換して、壁沿いの道へと戻っていたのだ。


「あぁっ、こなくそ……!」


 ただでさえ足を取られる山道だ。

 軽いとはいえ、下り坂で勢いの付いた卵駕籠は、勢いが付き過ぎたのだろう。


「お母さん、き! き、きてる!」


 リルが前方を指差して叫ぶ。


 橇の勢いは凄まじく、一つ二つは躱せても、その先で衝突するのが目に見えていた。


 しかし、急停止するには距離が短い。

 橇を横倒しにしても、慣性で吹き飛ばされ、やはり衝突は免れないだろう。


 私は身体を前に預け両手を自由にし、即座に魔力を練って、魔術を行使する。

 それまで展開していた空気の層は消え失せ、代わりの魔術が前方の森に着弾した。


「ぶつかるぅ〜っ! お母さぁぁん!」


「大丈夫、きちんと掴まってなさい」


 リルが身体を強張らせたのが、視界の隅からでも分かった。

 立ち並ぶ木々に、橇が正面から衝突する――。


 と思われた瞬間、木自体が婉曲して橇を避けた。


「んぇ……?」


 いつまで経ってもやって来ない衝撃に、リルは目を開けて呆けた顔をした。


 橇の速度は変わらぬまま、眼の前に広がる木々は、次々と左右へ避けては通り過ぎる。


「お母さん、これって……」


「ほら、大丈夫だって言ったろう?」


 使用した魔術は『森渡り』と呼ばれるものだ。

 効果の程は、リルが身を以て実感しているだろう。


 今回は特殊な例だが、高速で森を抜けたい時などに使う。


 ある種の魔物は、最初からこうした能力を持っていて、それを魔術として落とし込んだのが、今使って見せたものだった。


 次々と正面から近付いては横へ逸れて行く木々に、リルは先程とは違う種類の声を上げる。


「きゃふぅ〜っ!」


 手を叩いて喜びそうな機嫌の良さだが、流石に何度も注意されたせいか、手を離そうとはしなかった。


「よしよし……」


 密かに頷いて、リルの良い子具合に満足していたが、そこではたと気付く。


「いや、私も喜んでいる場合じゃないな……」


 彼らの痕跡を見失ってしまった。

 いや、見失うぐらいは良い。


 再び魔術で捜査して、場所を突き止めれば良いだけだ。

 問題は、どういうルートで彼らに追いつけば良いのか、だった。


 とりあえず、危機回避を優先して森を突っ切る事にしたものの……。


 もしも、この先がそそり立つ岩肌などで囲まれていたら、流石に来た道を戻らなければならないだろう。


「その時の苦労を考えると、今からげんなりするな……」


「なぁに、お母さん?」


「いいや、何でもない。それより、森を抜けるぞ」


 前方の木々が、そろそろ疎らになって来た。

 そうして視界が開けた瞬間、飛び込んで来た光景に目を剥く。


「ちぃ……っ!」


 森の先には何もなく、あるのは断崖に切り取られた絶壁だけだった。

 咄嗟に橇を横に向け、全体重を斜面とは逆に向けてブレーキを掛ける。


 リルがずり落ちそうになるのを片手で受け止め、そうしながらも片足を突っぱね、雪面を抉る。


「わぁぁぁん……っ!」


 流石にリルの口からも悲鳴が漏れ、小さな手が助けを求めて腕に抱き着いてきた。

 勢いは大幅に減ったが、その勢い全てを消せる程ではない。


 一つの支えもなく手を離すのは恐ろしいが、言っている場合でもなかった。


「くっ……!」


 出来る限りの集中力を見せ、瞬時に魔術を完成させると、魔力の壁を築く。

 私達を受け止める為ではなく、地中深くに差し込んで、それで勢いを殺す為だ。


 効果は即座に発揮して、勢いは見る間に落ちた。

 断崖絶壁の手前で動きは止まり、私もホッと息を吐く。


「今のは怖かったな……」


「うん、こわかった……」


 流石のリルも、ここで強がりを言える程ではないらしい。

 横倒しに雪へ倒れた身体を起こし、リルを荷代の上に座らせる。


 目尻には涙が溢れ、頬はりんごの様に赤くなっていた。

 興奮で紅潮したのもあるだろうが、これは冷気を正面から受けたからでもある。


「お母さん、さむい……」


「あぁ、ごめんごめん」


 他の魔術を使用するのに、邪魔になっていた空気の層を改めて展開する。

 針で刺すかのような冷気も、それでぐっと楽になった。


 一つ余裕が出来た事で、身体に疲れがドッと降り掛かる。

 良くないと分かっていながら、その場に座り込んでしまった。


「あ゙ぁ゙〜……、どっと疲れた」


「こわかったぁ……。もうダメって、なんどもおもったもん!」


「そうだな、ごめんな」


「ううん、おもしろかった!」


 過ぎればそれも良い思い出、などと言うが、リルの場合はそれともちょっと違う気がする。


 私はリルの頭を撫で回しながら、苦笑を隠し切れない。


「リルは何でも楽しく感じる天才だなぁ」


「てんさい? リル、すごい?」


「あぁ、凄い。リルは凄いな」


 私が微笑んでリルに抱き着き、その頬の冷たさを同じく頬で感じていると、機嫌良くきゃっきゃと笑う。


 そうして次には、あっと声を上げて私の手を叩いた。


「お母さん、あれ……!」


「ん……?」


 リルが指差すままに、その方向へ顔を向けると、よく見知った物が目に入った。

 雪原の中にあって、あの巨大な銀の卵はやけに目に付く。


 高所に居るせいで、太陽の照り返しもあって、自ら場所を喧伝しているようなものだった。


「偉いぞ、リル。よく見つけてくれた」


「んひひ……!」


 私が更に慈愛を込めて頬擦りすると、リルも擽ったそうに身を捩る。

 そうして一度立ち上がり、改めて目標を睥睨した。


「……間違いない、アレだ。盗人どもには、しっかり話を聞かせて貰おう……」


 行き着いた先は断崖絶壁だったが、それは問題にはならない。


 十分な準備と余力のある状況なら、ゆっくり地面に降り立つなど、造作もないことだ。


 あの中には魔術士も含まれている様だし、奇襲するのが最善だろう。


 私はリルを立たせて橇を仕舞うと、追走する為の新たな道具を取り出した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ