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混沌の魔女と獣人の子  作者: 海雀
第二章
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竜の塒と追走劇 その3

「いずれにしても、これ以上は……か」


 訊きたい話は聞けたと思う。

 竜と人の倫理観は相容れない。


 ……いや、人というより、国家というべきかもしれない。


 どこまでも実利を希求するのが国家であるならば、裏切りとも取れる行動を、人間は平気で取れる。


 しかし、最大多数の最大幸福を追求した結果だとしても、それで国を傾けてしまえば意味がないのだ。


 利益の追求の背景に、危険を回避できるだけの担保があるはずだ。

 ……そう思うのは、期待からだろうか。


 国は時として、王権が絶大な力を持つからこそ、目を覆うしかない愚かしさも見せる。


 しかし、全てを計算づくで行動しているのなら、むしろ安心と言えるのだが……。

 今回もそうとは限らない。


 それを心に留めておかねばならなかった。

 私はリルに一言断りを入れてから、出現させていた炎塊を消す。


 残念そうな顔をしたリルの手を取って立ち上がらせ、まだ残る僅かな暖気を空気の層へと取り込んだ。


 二人を包む空気の中が、それでグッと暖かくなる。


 リルの顔が綻んだ所で、ウィンガートへと身体ごと向ければ、その一挙手一投足を、彼女は興味深そうに見つめていた。


「……子とは、それほど良いものかぇ?」


「勿論、言うまでもない」


「……そうか。……そうよな」


 謎めいた台詞に訝しげなものを感じ、疑問を言葉にしようとしたのだが、そこへ被せるようにウィンガートが更に言う。


「お主の反応を伺う限り、どうやら私が迂闊だったらしい、と分かった。……しかし、商人と交わした約定が、実は国家に対してのものだった、と言われても承服しかねる。その点については?」


「予め、商人側から内容を確認してくれと、そういう動きがあったろう。だから、それをしなかったウィンガートの落ち度……という事になってしまうな。何より、写しすら受け取らなかったのは、非常に拙かった」


「……やはり、そうなるか」


「証文や証拠など、それは人の世の理で意味するものだが……。この場合、どちらに言い掛かりがあるか、という話だから、証拠がある方を優先されてしまう」


「うむ……」


 ウィンガートは重苦しい息を吐く。

 表情は変わりないように見えるが、忸怩たる思いを抱いているのは確かだった。


「裁定者としては、そういう判断になってしまうか……」


「だが、安心しろ。人間側の取り調べは、竜ほど簡単には終わらせない。徹底的に洗い出す」


「ふむ?」


「……この件、どうにもキナ臭い。ウィンガートが言う事も尤もで、商人の通行と偽って許可を取ったとしたら、その手口は悪辣だ」


 しかも、納得できない点は、他にも数多くある。


 初めから竜を討伐ないし、排除するのが目的だったのか、そこから始まる欺瞞だとしたら、相当手の込んだ計画だ。


 その場合、二カ国を通じて行った討伐計画かも知れず、他竜の介入を妨げる所までが、計画の内だった可能性がある。


 ただし、時期を冬に定めた理由が、やはり疑問だ。


 商人もまた、冬に合わせて登ってきたのは蛮勇と言えるが、そもそも竜と対面しようと考える時点で、蛮勇を通り越した無謀な行いなのだ。


 果たして、そこまで国家に尽くせるものだろうか。

 無論、そうした商人がいる事は否定しない。


 しかし、多くの場合、商人が信奉するのは金であり、国家を利用する強かさを持つ者が、一流の商人というものだと思っていた。


 その部分を考えても、小さなトゲが残る。

 このボーリスについては、特に深く調べ上げる必要があるだろう。


「頼むぞ、裁定者……。最悪、通行許可をもぎ取られて良い。しかし、どうあっても山には……この(ねぐら)には、近付けさせる事がないように願いたい……」


「今となっては、人嫌いになったのも当然だろうが……。そこまでか」


「嫌うから遠ざけるのではない。お主も言っておったろう、キナ臭いと……。そこには他に、理由があるかもしれぬのだろう?」


「そうだな。そうかもしれない、という段階でしかないが……」


 国王の為人(ひととなり)や、国が竜をどう思っているかさえ、未だ判明していないので、確かな事は何一つ言えない。


 しかし、違和を感じるからには、特殊な理由があるのかも、と思う。

 その正体を確かめるまでは、安易に決定を下すつもりはなかった。


「先程も、ここへ侵入しようとした人間がいたようだ」


「何……? 先程? ついさっき、という意味か?」


「うむ……」


 訝しげに問い返し、洞穴の入口近くへと気配を探る。

 しかし、人間どころか、何か獣の気配すら、感じ取る事は出来なかった。


「ただ、この洞穴まで、足を進めていない。それより遥か前の段階で引き返して行った。少数の人間が、息を殺して接近しようとしていた様だが……、その程度で誤魔化せるほど、竜の鼻は鈍くない」


 ウィンガートの言う通り、竜の嗅覚は非常に鋭い。

 山頂に居ながらにして、麓の獣がした欠伸すら嗅ぎ分けるとされる。


 だから、人間がどれほど苦労して身体に獣脂を塗りたくり、工夫を凝らしたとしても、子供の浅知恵同然の扱いだ。


「それで、いつ頃引き返して行ったんだ……?」


「お主が洞穴に入って来て、対面するより少し前のことだったか……。そして、お主らが直接降り立ったあの地点まで、来ては良いが引き換えしたようだ」


「そこまで来たのに、ここへは近付かず、そして去って行ったのか……。何が狙いだ?」


「さて……。人間の考える事は、私には分からぬよ。……まったく分からぬ」


 そう言いたい心境は、よく理解できた。


 そして、人間からしても、これほど険しい山へ踏み入るのに、何の目的もなし、とは思えなかった。


 竜の(ねぐら)の近くに、獣は近寄らないものだ。

 だから、逃げた獲物を追って来た猟師、という線も考え難かった。


 何より、猟師ならば獣が逃げ込もうと、自らは近付かないようにするだろう。

 ならば、その蛮勇を発揮したのは、猟師以外という事になる。


 ――つまり、冒険者の可能性が高い。


 だがそれなら、(ねぐら)の近くまで来ておいて、何をするでもなく帰ったのが理解できない。


 単に、臆病風に吹かれて逃げ出した、というのなら可愛げもあるのだが……。


「とりあえず、その人間でも追ってみるか。この時期にやって来た人間だ。ボーリスと何か関係があるかもしれない」


「うむ、任せよう。先程の、私の言葉を思い出してくれれば幸いだ」


 ――最悪でも春までは入山させない、というアレか……。


「分かった。出来るだけ吉報を持って帰って来よう」


 力強く頷いて、私はリルの手を引き、もと来た道を引き返していった。



   ※※※



「お母さん、もうかえるの?」


「いいや、これから少し、公国で動く事になるよ。前に行った街とは違って、今度は人間しかいない公国で」


 洞窟から出て明るい陽射しに目を(しばたた)かせながら、自分達の足跡を辿って道を戻る。


 その最中の質問だったのだが、私の返答に、リルはこてん、と首を傾げた。


「ふぅ~ん。どうして?」


「うん?」


「どうして、にんげんしかいないの?」


「あぁ、そっちか……」


 ……しかし、そう言われても、どう返答したものか。

 そもそも、本当に人間しかいないか、と言われたらそうではない。


 奴隷階級身分であったり、単に市民権を持たない異種族はいる。

 しかし、そうした者は公国民とは認められず、だから扱いは酷いものだ。


 そして、市民権がないのだから、王国に異種族がいない、という論調でしかなかった。


 路地裏のスラムを覗けば、恐らく嫌でも目にするのだろうし、野盗の類でというなら、更に出会う機会はありそうだ。


 しかし、それをリルに説明するのは憚られた。

 私は言葉を探して、この場では当たり障りのない返事をする。


「……何というか、基本的に誰でも、自分と身近な人と一緒にいる方が安心するだろう? だから知らない人や、自分と形の違う人より、同じ人同士で固まる。それが大体の国において、普通の事なんだ」


「……よく、わかんない」


 これは私の説明も良くなかった。

 幼い娘に教えるには、もっと噛み砕いて説明する必要があるのだろう。


 しかし、どこをどう噛み砕けば、分かり易くなるだろうか。


「普通はね、自分と同じ格好同士の方が落ち着くんだ。違いがないっていうのはね、それだけで安心の材料になるんだよ」


「……でも、リルとお母さん、ちょっとちがう……」


 リルは自分の尻尾を見て、悲しそうに目を伏せる。

 私は自分が言った台詞で、リルを悲しませてしまったのを、激しく後悔した。


 足を止めてリルを抱き上げると、視線を同じくして、真っ直ぐな気持ちと共に語り掛ける。


「確かに、お母さんには耳も尻尾もないけれど、リルの事を愛しているよ」


「リルもお母さん、すき……」


「私にはそれで十分なんだ。それで十分じゃない、臆病なひとが、この世には多いという話なんだよ」


「……うん。やっぱり、よくわかんない……」


「そうだな……」


 私はリルを抱き留め持ち上げ、胸へ大事に仕舞って歩く。


 人種の違いと軋轢など知らなくて良いし、たとえ知るのだとしても、その不条理を知るのは、もっと大きくなってからでいい。


 私はリルを苦しくない程度に強く抱きしめながら、卵駕籠へと足を進めた。


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