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混沌の魔女と獣人の子  作者: 海雀
第二章
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竜の依頼と空の旅 その8

「しかし、寒いな……」


「ねっ、お母さん、ねっ!」


 雪原に僅かな足音を残しつつ、歩き続けて十分ほどが過ぎた。

 空気の層も万全ではなく、冷気は幾らでも貫通して来る。


 しかし元来、寒さに強いリルは、そんな事はお構いなしだ。

 私の手を引いては、興味に映るものを手当たり次第に訊いて来ていた。


「あのいわ、へんなかたち! なんで?」


「あぁ、何でだろうな……。多分、竜が身体を擦るのに使ったんだろう」


 石柱の中には、大きく抉れて横倒しになったものが、幾つか見えた。

 竜はその習性として、古くなった鱗を剥がすのに、身体を擦り付ける事がある。


 長年そうして使った結果、そのうち岩の方が削れ続け、次第に細まり……そして折れてしまったのだろう。


 ここにある石柱は、元は一つの大岩であったかもしれず、そして幾度も繰り返えされた結果、こうした不可思議な光景が生まれたのかもしれない。


「とはいえ、ここまで極端なのは珍しい……。余り巣から遠ざからない性格だから、こういう事になっているんだろうか」


 だとしたら、竜の(ねぐら)は既に近い、という事になる。


「もうすぐ? もうすぐ、つく?」


「……かもしれないな。怖いなら、最初から抱き着いておきなさい」


「だいじょうぶっ!」


 ふんすっ、と鼻から息を吐いて、リルは前のめりになって歩き出した。


「みててっ! ぜったい、こわがらないからっ!」


「おや、今日は随分元気だな」


「お母さんといっしょがいいから! おいてかれたくないもん!」


「そうか……」


 私はふっ、と笑って相好を崩した。


 恐怖を感じているのは、その尻尾を見れば分かる。

 リルは感情と尻尾が連動しているから、嘘を言えばすぐに分かってしまうのだ。


 だから、今の強がりはただ一緒に居たい、その一心から出たものと分かる。

 その心意気だけは、汲んでやりたかった。


「それは良いけど、先行しようとするのは止めなさい。足元は滑り易いからね」


「んぅ……、うん!」


 自分の勇気を誇示したいのだろう。

 一瞬、迷う素振りはしたものの、母の言い付けを守る方が大事、と分かってくれた。


「私も、ここまで歩くなんて、考えてなかったからなぁ……」


 冬靴を用意しているものの、登山に適した靴とは言えない。

 場所も殆ど斜面がなく、平地と似た形だから、今は何とかなっている。


 しかし、例えば急な突風で足元を疎かにした時、この氷雪は簡単に足を奪っていくだろう。


「それに、ほら……。温かいお茶を飲みなさい」


 空間内に仕舞っていた水筒を取り出し、同じく取り出したカップに注ぐ。

 未だ湯気を上げるお茶を見て、リルは怪訝に首を振った。


「でも、のど、かわいてない」


「自分じゃ気付き難いけど、渇いたと思ってからでは遅い。小まめに飲んでおくのが大事なんだ」


 寒い中で汗が掻き難いせいもあり、自覚しない事は大人でも多い。

 しかし、乾燥した空気のなか歩くのは、予想以上に身体に渇きを与えるものだ。


 冬山の死亡事故が多いのは正にこれで、保温された飲み物でなければ、逆に体を冷やして余計、死に近づく。


 高い魔力を持つか、多くの物を収納できる鞄でもなければ、こうした準備は行えない。


 冬の雪山に昇るのは、それゆえ一般的に死の行軍とされる。


 ――それを思うから、竜に許可を願い得たという話にも、重みと誠意が見て取れるのだが……。


「ほら、少しだけでも、飲める分だけ飲んでおきなさい」


 重ねて勧めると、リルも素直に口を付ける。

 しかし、やはり全部は飲めず、三割程を残してしまった。


 その残りを私が飲み、足りない分を加えて飲み干してから、水筒を空間へと仕舞った。


 今はまだ歩き疲れるに早すぎるが、だとしても、歩を休める時間は短い方が良い。

 (ねぐら)は近い、と当たりも付いた事だ。


 私はリルの手を握り直し、それらしい洞穴がないかどうか、探しながら歩を進めた。



   ※※※



 そうして更に十分(じゅっぷん)ほど歩いた所で、それらしき洞穴を見つけた。


 熊などの大型の獣、あるいはそれより巨大な魔獣であろうと、余裕で通れる横幅を持つ洞穴だった。


「お母さん、ここアヤシイよ……!」


「うん、いかにもって感じだな」


 リルが興奮して指差す方向を見て、私も頷いて返した。


 その興奮ぶりを見ると、まるで大冒険して来たかの様だが、卵駕籠から降りてここまで、僅か三十分しか経っていない。


 リルからすれば、それでも未知の白銀と岩ばかりの世界で、十分な大冒険だったかもしれないし、子供らしい感想と言える。


「さて、それじゃあ、行ってみよう」


「う、うん……っ!」


 リルの尻尾がピンと上を向き、毛は総逆立ちになっていた。

 私は小さな手を握り直すと、一歩進んで顔を見る。


「大丈夫、怖い事にはならないよ」


「ち、ちがうよっ! こわがってない! ただ……ただ、おくがくらいなぁ、って……!」


 それを怖がってる、と言うんじゃないのか。

 そうした言葉は、喉元ギリギリで飲み込んだ。


 その代わりに前方へ手を放り、ボールを投げるようにして魔力を飛ばした。

 放り投げた魔力は、そのまま周囲のマナを吸い取り、代わりに光を放ち出す。


 それが五メートル程の天井付近で、ランプ代わりに周囲と足元を照らしてくれた。


「……さ、これで大丈夫。行くよ、リル」


「う……、うんっ!」


 身震いを一つして、リルはギクシャクと歩き出す。

 恐怖を感じているが、恐怖に負けてはいない。


 実際、その気概は大したものだった。

 まだ幼いリルにとって、ただ巨大な相手というのは、恐れるには十分な理由だ。


 暗がりも同様で、単なる倉庫の奥が、怖いと感じる年頃なのだ。

 不甲斐ないと思われたくない、その一心が、リルに歩む勇気を与えていた。


「しばらく進むと、雪も入り込まなくなる。足元が滑り易くなるから、十分気を付けなさい」


「う……、うんっ!」


 リルの握る力が強まる。

 洞穴は軽い斜面になっていて、下へと進む形だ。


 雪の代わりに凍り付いている箇所もあり、踏みしめると時折、パキリと音がなった。


 凹凸の激しい部分と、そうでない部分があり、中央付近はその凹凸が殆どない。


 その代わり、水が溜まり易くなっていて、歩くのならば外側の方が良さそうだった。


「何かが這いずった跡がある。竜が出入りしている証拠だろう。その辺りは歩かない様にしような」


「んっ!」


 言葉短く頷いて、私が引く手に任せてリルも移動する。


 獣の本能がそうさせるのか、奥へ足を踏み入れる程に、その緊張度が増しているようだ。


 そして実際、竜の気配を僅かに感じ取れる様になっている。

 この奥地で待ち構えているのは間違いない。


「大丈夫、取って食われやしないさ。もしもその気があるのなら、ここまで足を踏み入れさせはしないだろう」


「そ、そうなの?」


「そうとも」


 私が力強く断言すると、リルは目に見えて安堵して、顔色を良くした。


 フンダウグルが火を吹き、噛みつこうと顔を近付けた事は、しっかりリルの心奥深くに爪痕を残したようだ。


 実際――。


 ここの竜……ウィンガートがその気になれば、外の光りが届かない範囲まで足を踏み入れた時点で、息吹(ブレス)を吐き出していただろう。


 竜の息吹とは、竜が行う基本動作であると同時に、必殺の武器だ。

 不愉快と感じて、使わない道理がなかった。


「おや……」


 更に歩き続ければ、途端に広い空間へと出た。

 岩の柱が乱立し、天井を支えているのは、外の降り立った光景を彷彿とさせる。


 柱の間隔も広く、竜が一体通るのに、何の支障もなさそうだ。

 見た目に変化が現れたが、纏う空気にも変化があった。


 言葉で表現し難いが、重くなったのは間違いないと思う。

 リルの掴む手が更に強まり、一歩の歩みが遅くなっている。


 私はリルを元気付けようと、背中をポンポンと叩く。

 そうすると、足を止めて弾かれた様に顔を上げた。


 しかし、私を見るなり緊張を解いて、ゆっくり息を吐き出す。

 励ます笑顔を向けると、リルは力を抜いて歩き出した。


 そして、一歩踏み出したその瞬間、洞窟内全体を震わすような、厳かな声が響き渡った。


「……ようこそ、客人。待っていたよ」


「ならば、迎えの一つも出してくれたら、こちらとしても助かったんだがな」


「そういう訳にもいかないのさ。……今はなるべく、外に出たくないんでね」


 厳かな声は、女性のものだった。

 四十代、ないし五十代を思わせる、威厳ある声だ。


 前方には暗がりが広がるばかりと思っていたが、声が聞こえたの同時に、闇が振り払われる。


 そこには、白い鱗と甲殻を持った、美しい竜が寝そべっていた。

 ただし、ヴェサールの時とその姿は少し違う。


 両腕を交差して、その上に顎を乗せる所までは同じだが、体躯の向きが違う。

 まるで、何かを私から隠すかのような体勢だった。


「人との諍いが理由か?」


「それもある」


 謎めいた言葉を吐いて、ウィンガートは私とリルを舐める様に見つめた。

 それから、からかう様な声音で言う。


「我が山稜に招き入れたのだ。歓迎としてはそれで十分だろう? 事前に話を貰ってなかったら、問答無用で焼き払うところだった」


 物騒な発言から、人間との確執の深さを思い知らされる。

 色々と難航しそうだ、と思いやられ、今の内から覚悟を決めた。


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