竜の依頼と空の旅 その6
ベスセデン公国――。
それは、狭い大地の中に鉱山を多く有する、この大陸でも小規模な国家の名前だった。
人口の九割が人間で、他の種族は殆ど見ない。
たまに見かける事があっても奴隷であったり、貴族の娯楽として用いられるばかりで、市民権すら持たないのが普通だった。
ただし、人間のみの国家だから、その強みとして結束は強い。
銀鉱山から得られる物を輸出することで収入も多く、だから周辺国に比べて裕福でもあった。
しかし、それ故に富は公家に集中し、首都とそれを支える周辺との格差は大きい。
農奴制度が使用されていることもあり、そこでも民と公主の格差は大きかった。
貴族か、それに準じる立場ならば暮らし易い国なのかもしれないが、多くの民にとっては窮屈な国だ。
しかし、それはベスセデンが特別酷いという話ではなく、ある程度の規模になれば、そうした王侯貴族の圧政は珍しくなかった。
「……つまり、国家の運営としてはごく普通、という事だな」
「ふぅ〜ん……」
これから向かう国について、軽いレクチャーをしたのだが、リルは興味があるのかないのか、曖昧な返事をした。
だが、それも仕方ないのかもしれない。
まだ六歳に満たないリルには、難しい内容だった。
権力がどうの、そこでの暮らしはどうの、と言われた所で、リルに理解は難しい。
もっと身近な例えや、分かり易い説明をすべきだった、と我ながら自省した。
「今回は恐らく、公城の方にまで足を運ぶだろうから、一応軽く教えておいた。直接対話する事なんかないと思うけど……、全く知らないよりマシと思ったんだが……」
「よく、わかんない」
リルお決まりの台詞と共に、シュンと項垂れる。
そんなリルを、私は強く抱き締めて頬ずりした。
「あぁ、そうだな。リルにはまだ難しかった。でも、これだけは知っておきなさい。世の中には、いい人も悪い人もいる」
「うん、さっきもきいた。おうさまも、いい人だったり、そうじゃなかったりする」
「こういう国は長く続くと、政治が腐敗したりするものだ。強い権力と多大な富は、必ず王者を腐らせる」
「くさっちゃうの? くだものみたいに?」
「モノの喩えに過ぎないけど、……そう。国家というのは、一本の大樹みたいなものだ。毎年新たな果実をつけ、枝葉を伸ばし、根を広げて行くべき。それが理想、なんだが……」
綻びは何処から始まるものか。
葉の数枚、枝の数本ならば、どうとでもなる。
むしろ、切り捨てて正常を保とうとする自浄能力があるならば、健全な大樹を維持していると言えるだろう。
しかし、それも出来ずに腐敗を拡大させてしまったなら、いずれ幹に到達し、切り捨ても出来ない状態に陥る。
「永遠の国家など存在しない、などとも言う。今のベスセデンがどういう国家なのか、私は長く足を向けてないから知らないが……」
「もう、くさってる?」
「そうあって欲しくない、と思っているよ」
大国の斜陽は、必ず戦争の引き金となる。
山を二つ越えた先に居を構える森では、そうした諍いとは無縁だが、その余波を受ける事はままあるものだ。
最たる物は、物価の値上げであったりする。
下手をすると連鎖的に事が波及し、大問題に発展したりするので、何事もない方が誰にとっても有り難いのだ。
食糧については自給自足できているから良いとして、それ以外に打撃を受ける。
高額を支払う為には、卸す商品の作成量を増やさねばならないし、そうなればリルとの時間も減ってしまうのだ。
触れ合いという意味ではなく、教育に割く時間もまた減ってしまう。
それは勘弁して欲しいところだった。
「……下手をすると、挿げ替えが必要だな」
「すげかえ?」
私の身体に寄り掛かったまま、リルは首を曲げて見上げてきた。
「そう、頭をね。別の頭と変えてしまうんだ」
「どうやって!? リル、じぶんのままがいい……!」
勿論だ、と頭を撫でて、私は笑う。
「これもモノの喩えだよ。本当に首を取り替えるんじゃない。この場合はね、王様を別の人に変わって貰おう、という意味だ」
「なんか、ヤだな……。お母さんが、べつのひとになったら、リルきっとかなしい……」
「あぁ、リル……」
私は悲しげに伏せてしまった頭を、愛おしげに撫でる。
不安を少しでも和らげようと……あるいは、そのような不安など飛ばすように、慈愛を込めて撫でた。
「大丈夫、リルのお母さんは、誰とも変わったりしないからね。……でも、もしもお母さんが凄く嫌なヤツだったら?」
「……お母さんが?」
リルは撫でている手を取って、もみもみと握っては私の顔を見上げる。
しかし、どうも嫌な母、というものが想像できないらしく、へにょりと眉を垂れた。
「よく、わかんない……」
「たとえば、ご飯を全然くれないとか。遊んでばかりいないで働きなさい、って言われるとか。アロガとも離れ離れにされるとか……」
「ヤッ!」
リルは力の限り否定して、手に取った私の腕に抱き着く。
「そんなお母さん、ヤッ!」
「勿論、お母さんはそんな事しないとも」
私はもう片方の手でリルの頭を撫でながら、話を続けた。
「でも、もしそんなお母さんだったら、もっと良いお母さんが欲しいって、思ったりするだろう?」
「……んぅ、……かも。……おもうかも」
自信なさげに、迷い、迷いながらリルは頷く。
悲しげに気を落とす姿は、見ていて辛い。
例え話であろうとも、それを想像して気分が落ち込んでしまっていた。
「これはお母さんじゃなくて、王様の話だから。……だけど、そんな悪い王様がいたら、別の人にやって貰いたい……そう思う人は、きっと大勢いるだろう」
「でも……、そのべつのひとも、わるいひとだったら?」
「あぁ、正にそこが問題だ。リルは賢いね」
素直に褒めて撫でると、リルは擽ったそうに、んひひ、と笑った。
「その息子が愚か者だったら……。あるいは、王弟などの見所ある人間が皆無だったら……。後は完全に腐り落ちるのを待つしかない」
また、往々にして、そうした王国の継承問題は、血なまぐさいものになりがちだ。
兄弟全てを謀殺して継承権を得るなど、これもまた珍しい話ではなかった。
当時の王太子にそのつもりがなくとも、甘い汁を啜りたい家臣が手を回す事もある。
――腐敗政治の行き着く先だ。
自浄作用できる僅かな余地を、自ら剪定して切り離してしまうのだ。
「竜と諍いを作り、自ら事を大きくする国……」
一側面だけを見ると、その様に見える。
そして、竜を敵に回して良しとする国が、賢いとは思えない。
「しかし、妙に感じる所もある。最初は敬意を示していたんだ。貢物をし、通行の許可を得ようとしていた……」
その部分だけを見れば、何の問題もない。
むしろ、衝突を避けようとした。
できる限りの便宜を図り、怒りを買わずに済まそうと、願い出てさえいた。
そこの齟齬が、うまく噛み合わない。
実際に問題が起こった事を思うと、そこに全く別の意図があるように見えるのだ。
「……つまり、そういう事か?」
「……お母さん?」
リルが不安そうな顔で見上げて来て、私は無理にでも笑みを作る。
「大丈夫、何でもないよ。色々と、単純ではなさそうだ、と思えただけ」
「そうなの?」
「でも実は、蓋を開けると単純な話、というのも良くある話だ」
「んぅ……。どっち?」
「さぁて、どっちなんだろう?」
いたずらっぽく言うと、はぐらかされたと思って、リルは可愛らしく頬を膨らませた。
不満を表明しているのだが、その姿は単に愛らしいばかりだ。
私が更に相好を崩して撫でていると、頭上から野太い声が降ってきた。
フンダウグルの声だ。
「そろそろ到着だ。プレビダ山稜が見えてきた」
「大体、予定通りだな」
「今日は風が素直だったからな」
確かに、殆ど横揺れを感じなく、部屋の中にいるかのようだった。
余りに揺れが激しいなら、魔術の使用を検討していたが、ついぞその出番などなかった。
「それじゃ、そろそろ高度落とすぜ。ウィンガートの所まで一気に行く」
その言葉を皮切りに、揺れが僅かに大きくなった。
いよいよ着地となれば、更に揺れは激しくなるだろう。
不安そうにお腹へ抱き着いてきたリルに手を回し、私は衝撃に備えて魔術の準備を始めた。




