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混沌の魔女と獣人の子  作者: 海雀
第二章
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竜の依頼と空の旅 その5

 私は上部に設置された棚の扉を開き、そこから一本のボトルを取り出した。


 竹で作られた水筒で、小麦の茎を用いたストローを使うことで、中身を溢さず飲める代物だ。


 空に悪路はないものの、急な突風など、横揺れする原因は多々ある。

 それを考えて、こうした汚し辛い物を用意していた。


 他にもナッツを練り込んだクッキーもあって、リルの肩を叩いて眼の前に差し出す。


 振り向いたリルは、瞳を輝かせて喜んだ。


「わぁ……っ! おかしだ! こっちはなに?」


「リルが好きなリンゴジュースだよ。到着まで、飲んだり食べたり……ゆっくり過ごしなさい」


「うんっ!」


 両手で受け取ったリルは、窓にかぶり付く事こそ止めたが、その視線は今も外にある。


 クッキーを小さな口に押し込んで、ジュースで流し込みながら、飽きることなく見続けていた。


「お母さん、あれみて! すっごくはたけ、おっきいよ!」


 リルが顔を向けた方には、地平線まで広がる農地が広がっていた。

 農業に力を入れている領地などでは、そうした光景は決して珍しくもない。


 我が家の畑しか知らないリルには、さぞ新鮮なものとして映っただろう。


「あぁ、大きいな。うちよりずっと大きい」


「ねー!」


 その面積に比例するだけの収穫があり、そしてそれを賄う為の人口がある。

 リルが見た街の人間なども、その恩恵を預かる一部分だろう。


 ただし、そこで働く農奴たちの扱いは酷いものだ。

 農奴は基本、柵の外には出られない。


 生まれて死ぬまで、一生畑を耕して生きるものだ。

 しかし、中には柵の外を夢見て、逃げ出す者もいる。


 あの大地の先には何がある、空の果ては何処まで続いている、という好奇心を持つことは、誰にも止められないからだ。


 だが、そうして逃げた柵の向こうが、同じ領主の別の農地だったと知るのだ。


 そうした農奴は、次から扱いが極端に悪くなる。

 所詮、人が目に見える範囲など極狭い範囲でしかなく、そして絶望の内に果てるのだ。


 そうした残酷な世界があるのだと、リルはまだ知らない。

 いっそ、知らないままで良い、とも思う。


 しかし、世界の一端を知る者として、そして子を教育する母として、教えるべき事は教えなければならなかった。


「リル、こうして見る世界は、無垢で美しいかもしれない。でも、ただ美しいだけじゃない事も、知っておかねばならないよ」


「……んぅ。よく、わかんない……」


「世の中にいるのは、良い人ばかりじゃないだろう? 同じ様に、世の中で起きていることも、良いことばかりじゃないんだ」


「まちで、リルがおいかけられた……みたいに?」


 私はゆっくりと頷いて、リルの頭に手を置いて、柔らかな髪の毛を梳く。


「リルには助けてくれる人が、傍にいた。それに、もし捕まっても、お母さんが必ず助けただろう」


「うんっ!」


 リルは嬉しそうに頷き、にっかりと笑った。


「でも、傍に誰もおらず、そして助けて貰えない人もいるんだよ」


「……どうして? みんなにも、お母さんいるんじゃないの?」


「母は強し。……確かにそうだが、本当の逆境を退けられる者は少ない。……本当に、少ないんだ」


 私は上から下へと、何度も繰り返し頭を撫でながら梳いた。

 裕福な生活をしている者は、全体の割合から考えても恐ろしく少ない。


 そして、裕福でなくとも、生活するのに困らない収入がある者も、また多いとは言えなかった。


 その日を凌ぐのに精一杯、そういう者の方が多いのが現状で、それが当然とも言えた。


 欲しい時に欲しいだけ、甘味を摂取できるリルは、相当恵まれていると言える。


「なんでかな……。みんな、もりにすめばいいのに……」


「森に住めば、皆んなが幸せになれる訳でもないが……」


 私は苦笑混じりにそう言って、話を続ける。


「そう簡単な話じゃないからね。それに今が苦しくとも、その苦しみから脱出する方法を知らない人は多いんだ。人というのは、案外自分を助けるのが下手なんだよ」


「でも、それってヘン……。なんかヘン……」


 リルは悲しげに目を伏せる。


 悲しんでいるのはその様子から事実だと分かるが、その間もクッキーに伸びる手は止まっていない。


 見る人が見れば、恨みにも思う光景かもしれない。


 しかし、優しい世界で生きて来たまだ幼いリルに、正しく想像出来ないのは、むしろ当然でしかなかった。


「でも、自分一人では助けられないから、多くの人で助け合おうとするんだ。一人じゃ無理でも二人で、もしくは三人四人……十人いれば、もっと出来る事が増えるだろう?」


「……そうかも!」


 想像していない答えが返って来て、リルは顔を綻ばす。

 暗かった雰囲気も、それで唐突に消え失せた。


「だから、まちがあるんだ!」


「そうとも言える。でもね、重要なのは、それを纏めるリーダーだ。一人一人、全員を助けるのは、とっても難しい。意見を纏めて、皆んなが幸せるになる方法を考える……、その為に王様がいるんだ」


「おーさま……」


「辛い思いをする人、悲しい思いをする人……。それらが一人でも少なく済むかどうかは、その王様の手腕に掛かってる。愚かな王の元で生きる民は不憫だ」


「ふびん……」


 言葉の意味が分からず、首を傾けたリルが、そのまま私の身体に頭を預けてきた。


 私は頭から手を退けて、そのままお腹辺りに手を回して抱き締める。


「かわいそう、って意味だよ。立派な王様なら、それだけで全員が幸せになれる程、事は簡単じゃないが……。私欲で生きる王の民が、幸せだった事はない……」


「ここからみえる、すんでるひとたち……かわいそう?」


「全員がそうな訳じゃないよ。でも、ここから見るだけでは、そうした事も分からないだろう」


「いつか、ちゃんとみてみたい!」


 リルの目には、単なる好奇心だけでない、向き合う意志が感じられた。

 それで良い、と私は思う。


 幼いから、まだ多くの事は分からない。

 そこにどの様な残酷さが隠れているかも、決して分からないだろう。


 しかし、それを聞いて森の中に籠もりたい、というのではなく、向き合う姿勢を見せたことが、何より嬉しかった。


 私はリルを強く抱き寄せて、その頭に頬を当てる。

 優しい気質を持つこの子を、理不尽な暴力から守れる様、育てなければと誓った。


「その内、行ってみよう。リルと同じような、獣人だけが住む国もあるよ。そういう所も、見てみるべきかもしれないね」


「だけ……。だけのが、あるの?」


「初めて見た街が、あれだったから勘違いするのも当然だけど……。色々な種族が生きる国の方が、全体的に見ると少ないんだ」


「はぇ〜……」


 リルが呑気な声を返して、竹筒のストローから、ジュルルと音を立てて飲んだ。


 既に飛行時間は長く、そろそろ二時間に達しようかという頃合いだ。

 飛び越えた山も一つは見たし、目的地は三つ目の山という話だった。


 そうこう思っている内に、田園地帯は抜け、木々の数が増えてきた。

 人里らしきものは見えなくなり、人の手の入らない獣と魔物の世界だ。


 強い者が勝ち、強い者が正しいという、ごく自然な生態系が成り立っている。

 ここからでは森の様子は分からないが、我が家付近とそう違いはないだろう。


 木々の密度が増え、そしてすぐに山肌が見えてきた。

 ヴェサールが言う、二つ目の山が、恐らくここだった。


 目的地は、そう遠くなさそうだ。

 あと一時間程で到着出来そうだし、空の旅は問題なく、終わりを迎えられそうに思えた。


「しかし、竜と争う、人か……」


「お母さん……?」


 私の独白に反応し、リルは不安そうな顔で見上げた。

 それに何でもないと返し、リルを抱きかかえてお腹辺りを撫でる。


 リルはそれで安堵して、私に身体を預けたまま、窓の外の景色を眺め出した。


 ――竜と争っても問題ないとする王は、果たして良い王と言えるだろうか。

 ただし、竜からの言い掛かりであったなら、当然私は人の味方をする。


 だが、愚にもつかない事を考える王だった場合は……。

 私は静かに息を吸い込み、それから細く長く吐き出した。


 ――そのとき私は、人間に対して楽しくない決断を下すだろう。


 静かな決意を下した時、空の旅は二つ目の山を越した。

 目的地は近い。


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