竜の依頼と空の旅 その4
「……こりゃあ、何だ? いったい何処から、卵なんぞ持って来た?」
フンダウグルさえ騙せるなら、我ながら良い出来だと言えるだろう。
しかし良く見るまでもなく、その卵上部に取っ手は良く目立ち、不思議がって見つめてもいた。
「何だこれ? まるで樹の実をもいで来たみたいだ。そういや、遠く西の大陸では、竜の卵は樹に実る、なんて考えてやがった国もあったが……」
その希少性故に、だろう。
卵生とは知っていても、その卵を温める場面などを見た事がない為、勝手な想像で生まれた産物だ。
実際、卵を産むと、竜は巣穴から出る事はまずなくなる。
奥底に潜み、人の目に触れなくなる事からそうした伝説が生まれたのだろうが、単に露出しないから見られないだけ、という話に過ぎなかった。
フンダウグルは不思議に思うのもそこそこに、取っ手をアギトで挟んで千切り取ろうとした。
私は慌てて声を掛けて止める。
「あぁ、こらこら。やめろ、それは乗り物だ。卵の形をした駕籠だよ」
「駕籠? ……これが? 何でこんな馬鹿みたいな見た目なんだ?」
「最初は馬車を想定してたんだが、空を飛ぶなら、空気抵抗がより少ない形の方が良いだろうと思って……。お前だって、そっちの方が飛び易いだろ?」
「いや、そんなの知らねぇし、考えた事もねぇよ。卵の形と馬車の形に、なんか違いとかあるのか?」
フンダウグルの言葉は、ある意味、想定通りだ。
彼らは質量を無視して飛ぶし、何よりマナを用いて飛行能力を駆使しているので、そこに流体力学など頭の端にもありはしない。
人が歩行するのに一々理屈を考えないように、竜もまた、飛ぶ事に理屈など考えないのだ。
象が如き巨大な獲物を、両の足で掴んで空を飛んだ事もあるだろうが、その際の空気抵抗も、そういうものだと感じただけに過ぎなかったろう。
しかし――。
「長時間、一定の高さで一直線に飛ぶ事を考えたら、やはり違いは感じる筈だぞ。それに、乗っている方だって乗り心地を考えたいんだ。少しでも快適に過ごす為に、要らぬ工夫をさせられてるんだよ」
「よくもまぁ、竜を前にそこまで不満を口に出来るもんだな……。呆れるより前に、感心しちまうよ」
口ではそう言いつつ、声音はハッキリと呆れるものになっていた。
私はハエを払う様に手を振って、リルを伴い、卵駕籠の傍に立つ。
「それじゃあ、ヴェサール。これから東にある……何て言ったか、プレビダ山稜か。ペスセデン公国の。そこで事の事情を聞いてくれば良いんだな?」
「聞くだけでは困る。解決までして貰わねば……」
「それも事情次第だな。竜と人との諍いなど、そう起こり得るものじゃない。両成敗して終わり、って話なら悩む必要もないんだが……」
「それでもやはり困るな」
ヴェサールは喉の奥でくぐもった笑いを漏らし、両腕の上に顎を乗せたまま、尻尾をピンと立てて前に折った。
「……ともあれ、よろしくやってくれ」
「そのつもりだ。出来るだけ、穏便にな」
そう言って駕籠の一部分を押すと、扉が開いてタラップが降りてくる。
フンダウグルが興味深そうな声を上げ、首をめぐらせ、しみじみと見つめた。
リルはその視線から逃れるように、慌てて中へと駆け込み、それに続いて私も入る。
タラップの最後の段に足を乗せてから、そうそう、と後ろを振り返った。
「上の取っ手は、そこを掴んで運んで貰う為の部分だ。両の足で掴めば、丁度良い塩梅の太さにしてある」
「……分かるのか、そんな事が?」
「この前、お前を握って吹き飛ばしたろう。あの時に大体の感覚は掴んでる。それでも持ち難かったら言ってくれ」
「あぁ、まぁ……分かった」
どこか引いた表情でそれだけ言うと、フンダウグルは素直に頷く。
その言葉を背後に聞きながら、私も駕籠の中へと入って入口を閉めた。
※※※
僅かな間があって、卵駕籠全体が僅かに揺れた。
掛け声の一つすらなく動き出し、また人が乗っている事など考慮しない運び方に、文句の一つも言いたくなる。
だが、それよりまず気にする事は、その乱暴な動きで転びそうになっているリルを助ける事だった。
「わ、わっ……!」
「ほら、大丈夫だ。少し我慢していなさい」
勢いよく転べば、怪我の一つや二つ、簡単に出来るものが駕籠内にはある。
折り畳み式のシートもその一つで、安全面を考慮して丸みは作っているものの、頭をぶつければ痛いでは済まない。
私はリルを抱き留め、揺れる駕籠内でバランスを取りながら、とりあえずシートに座らせた。
そうして手近な所を掴ませ、上の方へと声を掛ける。
「おい、フンダウグル。もう少し丁寧にやれないのか」
「……ぉお? 何か拙かったか?」
「ひどく揺れる。リルが危うく転ぶところだ。地震が起きても、ここまで酷いのはそうないぞ」
「あぁ……、そいつは済まなかったな。人が乗った何かを運んだ事なんぞ、今まで一度足りともなかったからなぁ……」
それについては、私ももう少し考えておくべきだった。
上空へと飛び上がる時など、特に振動は激しくなる。
安定した飛行する高度に達するまで、相応の揺れはあるべきだと想定して然るべきだった。
特に竜はその羽ばたきで、身体が上下に浮き沈みする。
これは竜の骨格上、どうしようもない部分だ。
現在は標高の高い、プレシヨウン山から飛び立ったから既に安定しているが、これが地上からだとしたら、更に揺れは長く続くだろう。
「出発の際は、内部だけ魔術的に囲うとか……。空間的に隔離? そうすれば、揺れを気にせずにいられるかも……」
問題は、空間そのものに関与する力は、膨大なマナを消費する事だろう。
疲れている時には、さぞしんどい事になりそうだ。
それならば、専用の魔道具を用意して、ショックアブソーバーの真似を方が、色々と簡単そうに思える。
「次回までの課題だな。……次回があるか、分からないが」
「……お母さん?」
思考に没頭していて、リルを置き去りにしてしまった。
揺れは既に大分収まり、僅かな横揺れを感じるのみになっている。
不安そうな顔を向けてくるリルに、私は安心させるように微笑み、その頭を撫でた。
「もう大丈夫、楽にしてなさい」
「うんっ!」
元気よく返事したが、中身は馬車とそう大きく違いはない。
それどころか、窓さえないので、景色を楽しむ事すら出来なかった。
好奇心が旺盛で、身体を動かすのが好きなリルには、ただ座っている事など、早々に飽きてしまうだろう。
そして私は私で、初めての飛行に問題箇所はないかとチェックに忙しい。
よくよく考えると、テスト飛行さえせず、ぶっつけ本番はよろしくなかった。
馬車と違って車軸や車輪など、気にするべき構造がないから鷹揚に構えていたが、下手をすると空中分解だ。
素材はミスリル銀を使っているから軽くて頑丈、溶接にも問題ないと自信を持って言えるとはいえ、簡単に考え過ぎだったかもしれない。
探知魔術を使って構造に罅が入っていたり、何か問題箇所がないか、つぶさに観察は始めた。
そうして上から下、右から下までじっくりと見聞して、現状は問題ないと分かって息を吐いた。
「まぁ、飛び立って一時間も保たないとあっては、魔女の名が廃るがな……」
「ねぇ、お母さん。おはなし、きかせてほしいな。……ひま」
シートの上で座りつつ、足をぷらぷらと動かすリルに、私はとっておきの笑顔を見せた。
そうやって言うのは想定済みで、だからちゃんと仕込みを用意してある。
「まぁ、待ちなさい。ちゃんと良いものがあるからね。外を見てご覧」
指で指し示しながら、飾りにも見えるボタンに魔力を通す。
すると、座席の両側面が消えてしまった。
「わっ、わっ……! お母さんっ!」
落ちると思ってか、リルは私に抱き着いてきた。
安心させるように肩を撫で、それから含み笑いに壁に触れて見せる。
「大丈夫、壁を透過させているだけで、外の景色を見える様にしているんだ。壁は消えた訳じゃないから、そのままここにあるよ」
「……ほんと?」
「自分で触ってごらん」
言われるままに、リルは恐る恐る壁に触れた。
冷たい感触が指に伝わると、たちまちペタペタと遠慮なく触り始める。
「ほんとだ! ここにカベある!」
安全と分かってからは、私から離れて、むしろ壁にべったりとなった。
雲を眼下に見、広い世界を見るのは開放感に溢れていて、何より新鮮だからだろう。
額を壁にくっつけて、飽きる事なく見つめている。
「すごいねぇ……! リル、ほんとうにおそら、とんでるんだ!」
私はそれに微笑えましいものを感じながら、リルをもてなす、次の準備に取り掛かった。




