竜の依頼と空の旅 その1
二日後――。
下山したその日はゆっくりと骨を休め、十分に疲れを取ってから、次の作業に取り掛かった。
リルはあの日何度も泣いて、その度に疲れを蓄積していた事もあり、精神的疲労も大きかった。
だから、そのケアも含めて次の日は付きっ切りだったので、その翌日にせねばならなかった、という切実な理由もある。
ともかく、竜はその貴意の高さから、背中に乗せるのを良しとしない。
それは覆せないものとして、ならばどうすれば運んでくれるのか……。
それを考えた時、閃いたのは一つだった。
――籠だ。
背に乗る事は、絶対満たしたい条件ではない。
目的地に到達する方が大事なので、それを飲み込めるギリギリの条件が籠だと考えた。
それとて難色を示さなかった訳ではないが、手か足に引っ掛けて運ぶとなれば、心象もまた大きく異なる。
実際、乗せるのと運ぶのとでは、その意味合いも異なるものだ。
そこを最大限に突いて、何とか納得させたのが、この運搬作戦だった。
「本人……というか、本竜も余り乗り気ではなかったが……」
しかし、どちらにとっても妥協点は必要だった。
落とし所を見つけなければ、いつまでも話し合いは終わらない。
そして、時間が掛かる程に、竜と人との火種は大きくなっていく。
地上を行けない理由は、第一に時間が掛かり過ぎる点にあった。
国境を越えて行かねばならない上に、今の季節は冬――。
東へ向かう程に雪は険しくなり、道が埋まっている所とてあるだろう。
また山越えを幾つも控えている部分も、考慮しなくてはならない。
そちらもまた道がないだけではなく、気候次第で何日でも足止めを食らう。
下手をすると五日以上、山越えの機会を窺って天候と睨み合いする必要もあるのだ。
通常通りのルートで行けば、春先の雪解け時期に到達しても、全く不思議ではなかった。
しかし、竜での移動ならば、それら一切を無視してその日の内に到着できる。
フンダウグルが譲らなくとも、こちらも譲れない理由はそこにあった。
「だが、ともかく……何とかなったわけだ」
不承不承ながら首を縦に振らせる事は出来たのだが、肝心の籠がなかった。
当然だが、ひと一人を運べる籠など、我が家で必要としたことがない。
だから、どういう形の物を作るべきか、まずそこからが問題だった。
最初は作物などを入れるのに使っている籠を、そのまま巨大にしたものを想定していたのだが……、何しろ乗る時間はそれなりに長くなる。
当日の天気であったり風模様次第では、相応に揺れたりもするだろう。
作物よろしく籠の中で揺られていては、到着する頃には揉みくちゃにされてしまう。
だから、考えたのは籠というより駕籠――、乗り物としての駕籠だった。
片道だけでも、最低で三時間程度は掛かる旅なのだ。
最初は運ぶだけならば、と竹製の簡易なものを想定していたが、行きも帰りも常に万全の調子とは限らない。
高高度を移動するのだから、風通しが良すぎても問題だ。
となれば、竹ではなく木材を利用すべきで、ならば座るだけでなく、寝っ転がれる広さがある方が望ましい。
「最初は簡単、軽量を念頭に置いていたが……。むしろ、それは考慮しない方が良いかもしれない」
運ぶのはアロガでも馬でもなく、竜なのだ。
多少の重さなど気になるまい。
そうとなれば、寝台を用意して、そこで寝泊まり出来る位の出来を目指すべきだった。
「揺れを防止する機構なども作るべきか……」
屋根の部分に取手を付けて、そこを持って運んで貰う。
その際に風を受けたり旋回したりした時、揺れが激しくならないよう、しっかりと空気抵抗を意識した機構が必要になる。
「持ち手と屋根の一体化は必須か。しかし、木材だとその耐久力に問題があるな……。ならば金属だが、重くし過ぎると、そこは流石に煩くなるか……」
何事にも限度がある。
竜ほど強靭な生物ならこれ位いけるだろう、と勝手をするのは拙かった。
軽ければ軽い程、飛ぶのが楽なのは間違いないのだから。
では、そこにもまた、ひと工夫必要という事になる。
「錬金……、軽量素材は必須か。だったら、いっそ付呪もするか。完成品そのものに軽量化の魔術を刻む。手間だが……、それなら駕籠を大きく出来るし、持ち込む物も増やせる」
一つ考える程に、別のアイディアが溢れるかの様だった。
何しろ、私としても初めての駕籠作りだ。
その上、空を飛ぶ為の物となれば、あれこれと制作アイディアが溢れてくる。
何が可能で、何が不可能か。
実現するには何を削り、何を残すか――。
そして何より、無理を通すには、どういう工夫が必要か。
それらを考えるのは、実に楽しい。
時間的猶予などなければ、一年くらい使って、じっくりと取り組みたい問題だ。
しかし、出発まで余り猶予はなく、待たせるとフンダウグルが確実に文句を垂れてくる。
問題点、修正案は幾らでも噴出するだろうが、今は未完成品と割り切って完成させる方が先決だった。
「……では、始めるか」
おおよそ、頭の中で形が出来上がった所で、それを図面に落としていく。
外観は空気抵抗を考慮した流線型、卵に似た形と決めた。
そして、空気の抵抗だけでなく、内外の気圧調整も必要だ。
これも付呪によって成立させるのが良いだろう。
「山を登る時に使っていた空気の層、あれを盛り込むのが一番だろうな。外の冷気を遮断すると同時に、内側の気圧を整える。そうすれば……」
図面には駕籠の外観だけでなく、そこへ盛り込むべき魔術的要因も書き込まれていく。
必要な素材や鉱石、その他諸々も計算し――。
そうして昼が過ぎた頃、飛行駕籠の設計が完了した。
魔獣の骨を削って作った骨筆を置き、興奮気味に一望する。
細部を詰めればキリがない……とはいえ、とりあえず満足できるだけの物は作れた。
「……良いじゃないか」
自分の作品を、自画自賛する。
見た目は少々奇抜であるものの、機能美を追求した、他ではお目に掛かれない代物となった。
私がうんうん、と頷いていると、足元から何かが覗き込もうと首を伸ばす影が見える。
わざわざ確認するまでもなく、私が視線を向けると、そこには果たしてリルがいた。
見ても分かるものではないだろうに、したり顔でほうほう、などと口にしていた。
私はリルを抱き上げて、正面から目を見据えて尋ねる。
「……リル、本当に付いて来るのか?」
「うん、いく! ぜったい、いく!」
「遊びに行くんじゃないんだぞ?」
「でも、でも……!」
リルがついて行きたい動機は、母と離れたくない、その一心からだ。
行けば恐ろしい目に遭うし、また何度も泣くだろう。
フンダウグルと遭遇した時の二の舞いが、また別の山でも行われる。
それを思うと、一度連れて行くとは言ったものの、私とて今から覆したい気持ちになった。
「竜の強さは、その肌身でよく味わったろう? それと同じものが、また別の所でも起きるんだ。家の中で待っている方が、ずっと安全だ」
「でも、お母さん、とおくにいっちゃうんでしょ? ……ほんとに、ちゃんとかえってくる?」
「何だ、そんなこと心配してたのか」
私はリルと額を合わせて、安心させる様に言葉を選ぶ。
「今までだって、その日の中にちゃんと帰って来ていたろう? 今度だって、ちゃんと帰って来るさ」
「……んぅ。でも、でも……」
「リルに怖い思いをさせたくないんだ」
それが例えば、森の暗がりであったり、森に潜む魔獣へ相対する事であったりしたら、むしろ立ち向かうように教育する。
しかし、これはそれとは全く別次元の問題だ。
竜になど、遭おうとしなければ遭わないものだし、普通に生きて行くだけなら、まず遭遇するものでもなかった。
知らずに生きていけるのなら、その方が良い。
それに、今回遭うのは竜ばかりではないのだ。
竜とは違う恐ろしさを知る事になるかもしれず、そしてそれは、知るのならばもっと遅い方が良いと思うくらいだ。
しかし、幾ら説き伏せようとしても、リルは首を縦に振ろうとはしなかった。
「やっ! いく! リルもいく!」
「いつも聞き分けが良いのに、どうしてそう、今回は頑ななのかね……」
街を知った事で、リルの好奇心と追求心が刺激されたのか。
それとも、それとは全く違う理由か……。
「いちどはいいって、いったもん! だから、いく!」
それを言われると、頭が痛い。
子供との約束は、子供相手だからと、安易に破って良いものではない。
そして、一度破れば子供はいつまでも、その一度を覚えているものだ。
私は仕方なく、突き合わせる額の圧力を増しながら言った。
「そうだな、お母さんも嘘つきになりたくない。だから、リルも約束しなさい。自分で決めたのだから、怖いと思っても逃げ出さないこと。……いいね?」
「うん、わかった!」
リルは子供らしいニッカリとした笑顔――どこまで理解しているか分からない笑顔――で、自信満々に頷いたのだった。




