山頂で待つものは その7
「無礼な態度を取ったこと、まずはそれを詫びよう」
そう言ってフンダウグルは尻尾を背中の後ろで立て、頭を下げる角度と同じくして倒した。
それは人間の礼式に置き換えれば、拝謁や額づきに相当する、最大限の謝罪となる。
私は素直に頷き、顔を上げるよう指示した。
「謝罪を受け入れよう。過度に声を荒らげたり、驚かす様な真似をしなければ、不段取りの言葉遣いで構わない」
「フン……、そうか。しかし、魔女? オレはかつて、討伐に来たとか抜かした魔女の冒険者グループを焼いてやった事があるが、こんな馬鹿げた力なんぞ持ってなかったぞ」
「……順当に考えて、詐称であろうな。人の世では、魔女という称号は独り歩きしている」
「まぁ、大層なこと言うだけあって、その魔女……というか、女魔術士はオレの息吹を、何度か遮ったがな」
当時の事を思い出してか、フンダウグルは苦々しい顔つきをしたものの、すぐに鼻を鳴らして息を吐いた。
「しかし、ここまでオレが手も足も出ないとは恐れ入った。魔女……、魔女ねぇ……」
フンダウグルは不躾な視線で、私を上から下まで舐める様に見つめた。
「こうして見ても、強者の雰囲気がまるで見えない。オレが焼いた自称魔女の方が、まだしも幾らか迫力あったもんだが……」
「力の扱いを心得ている者は、その力の隠し方も心得ているものさ。……目立って得する事なんて、殆どないしな」
むしろ、害の方が余程すり寄ってくる。
有象無象の魔術士と同等くらいに思われるぐらいが、ちょうど良かった。
「だが、何で『魔女』と呼ばせてるんだ? どうせなら、もっと他に呼び方があるだろ。オレにはコイツが、もっと違う存在に見える……」
何と説明したものか……。
隠す事でもないので、言うこと自体は構わないのだが、それを話すと長くなる。
その上、聞いていて楽しい話でもなかった。
簡潔に説明するにはどうするか考えていると、ヴェサールの方から説明が飛んだ。
「儂が思うに……。魔力の支配者、あるいは魔の寵児。そうでないなら、魔の愛し子と言った所なのだろうが……。一人の女性を指すには、ちと言葉選びに問題がある。『女』を用いて『魔』の体現を意味する言葉となれば、『魔女』が順当なところだった、という事でな……」
「そりゃ、詐欺だろ。言葉の意味を優先し過ぎて、本質を見失っちまってるよ。コイツの力は、下手すると世界そのものすら、根底から変えちまう。……いや、遊び半分で力を振るっただけで、世界が混乱の坩堝に覆われるだろう」
「……そうとも。そして過去、そうした力を持つ者は、『混沌の魔女』と呼ばれた」
それを聞くや否や、フンダウグルの態度が激的に変化した。
ギョッと身構え、先程の不躾な視線はどこへやら、おぞましいものを見る目に変わった。
「コイツが……、これがそうなのか!」
「今のには少し異論あるし、私は違う、とも断っておくぞ」
「ンな訳あるか! 俺にあんなこと出来といて、お前を他にどう形容しろってんだ。冗談も大概にしろ!」
「嘘なんて言ってないんだがな……」
しかし、どんな弁明も今は意味がない。
何よりフンダウグルは納得しないだろう。
「……それにしても、凄い反応のしようだな。竜たちの間で何て言われているのか、非常に気になってきた」
過去、竜を虐殺したり、不利益になる誘導をした事など一度もない。
むしろ、味方であろうと努力した方だ。
どこか一方に協力することはしないから、優遇したとまでは言えないが、それでもフンダウグルの反応は意外だった。
「いや、なに呑気なこと言ってんだよ……。竜族の支配が終わったのは、お前のせいみたいなもんだろ。魔術……魔女の術か? そんなもん広めやがって……」
「いや、あれは人間側の努力が、私の想定以上だったからで……。使えないから諦めると思っていたら、性能低下させて適正範囲まで落とすとは……。未知への探求と執念を見た思いだな」
「やっぱり、お前のせいじゃねぇか!」
「……とはいえ、竜一強の時代も、公平とは言い難い。覆す機会を与えられたらという思いがあったんだろう。……しかし、人間には高度過ぎた。話はそれで終わった、という思いだったんだが……」
危機感を感じられない、のほほんとした声音で返した。
そして、それがフンダウグルには気に食わなかったらしい。
鼻先にシワを寄せ、そのアギトを強く食い縛った。
まさしく怒りを発露しようとしたその時、私は指先で摘む動きをし、先んじてその口を塞いだ。
「大声出すなよ。騒がしくするな」
そう言うと、フンダウグルはこくこく、と何度も頷いた。
指先を離せば、口元の拘束も解かれ、それで彼は大きく息を吐く。
「おっかねぇな……。しかし、なんだ? 公平だ? まるで神の様な物言いだな。竜が一強じゃ気に食わないか」
「そんなつもりはなかったが……。虐げられている人を見れば不憫に思う。……それだけの話だった。それに、思慮が足りなかったと思うのは、その通りだと思うしな。まるで神の如き振る舞いだったこと、今にして思う」
「何だよ、えらく殊勝じゃねぇか……。でもそれで、今回の件に干渉しようって? これは竜と人の問題だろ? 人間側に付かないって、どうして言い切れる?」
「そこは信用して貰うしかないな」
私はリルを抱き直し、窮屈そうにして脱ぎたがるフードを元の位置に戻す。
空気の層が冷気を和らげるとはいっても、一度冷やしてしまうと暖気を取り戻すのは時間が掛かる。
もうしばらくの我慢だから、と言い聞かせて、リルを宥めた。
「そういう失敗を経験したから、同じ過ちを繰り返さない、と思ってるんだ。人の世からなるべく離れて暮らしているのも、それが理由だしな」
「……本当に、それだけが理由かね?」
ヴェサールから探るような視線が向けられ、私は肩を竦めるに留める。
疑問を呈している形だが、ヴェサールはその理由を分かって尋ねたのだ。
しかし、敢えてこの場で明言する事ではないので、沈黙を続けた。
フンダウグルも二者の間で通じている事だと理解しつつ、敢えて問い質す様な事はして来ない。
「……ともかく、一方に肩入れしない事は、私の信条として決めてある。むしろ、肩入れする事になれば、世のバランスが乱れるだろう。それこそ混沌の始まりだ」
「お前さんに冠された名前を思えば、むしろそれが狙いの様に思えるがね」
「思いたいヤツには、そう思わせておくさ」
またも肩を竦めて見せると、その軽薄な態度がフンダウグルには気に入ったらしい。
アギトをにんまりと開いて、人間臭い笑みを浮かべる。
そうして再び、両腕を重ねた上に顎を置いた。
「そういう事なら、そういう事にしておいても良いがよ。……どうせ、オレじゃ太刀打ち出来んと分かった。均衡を保つ努力をするってんなら、精々そうさせてやるさ。……業腹だけどな」
「さて、これでようやく話を進められような」
ヴェサールが嘆息混じりにそう言って、嬉しそうに口の端を歪める。
「フンダウグルを呼んだのは、手出し無用と知って貰うこと、そして魔女殿を知って貰う事だった。これも良い機会と思うたのでな」
「それで、強硬派のオレを鎮めると同時に、他の仲間にも同様に静観するよう、橋渡しをさせようってかい」
「……それもある」
「まぁ、いいさ。お手並み拝見と行こうじゃないか。精々、均衡とやらを守って貰おう」
どこか拗ねた様に言って、フンダウグルは鼻から息を吐く。
話は終わりだ、とでも言いたげで、そのまま眠ってしまいそうな雰囲気だ。
しかし、話はここで終わらなかった。
ヴェサールは更に言葉を重ねる。
「そこで、この魔女殿を目的地まで運んで欲しいのだが……」
「おい、その話まだ有効だったのかよ?」
聞き捨てならない台詞に、堪り兼ねたフンダウグルは顔を上げた。
「それこそ空を飛ぶなり、馬より早く駆けるなり、好きな方法で移動しろよ。何でオレの翼がいるんだ?」
「それは……」
ヴェサールが説明しようとした言葉を、私が手を挙げて遮る。
私を運ぶ為に頼むだから、私の口から説明するのが筋だろう。
「別に難しい事はなくてだな……。お前には万能に映る魔術も、実はそこまで便利じゃない。物理限界や制限を回避するのは、非常に面倒な手順が必要で……」
「あぁ、あぁ、要らねぇそういう説明は。どうせ分からん。つまり、どういう事だよ? 空、飛べないのか?」
「飛べない事はない。ここまで来たのは、また違う方法だが」
「じゃあ、ここからも飛んで行けばいいだろ」
それが出来ないから、こうして頼んでいるという事が、フンダウグルには理解できないらしい。
実際、世界への干渉と、物理への衝突と回避は、長時間になるほど破綻を招く。
つまり、長時間運用にまるで向いていないのだ。
逆に炎の球を生成、放出、着弾、爆発など、短時間に行われるものほど簡単に行える。
ただ、私なら竜と同じ速度で一時間ぐらいは飛行できるが、一時間では到着できないから、こうして別の足を頼むのだ。
その事を滾々と説明したのだが……。
結局、返って来た言葉は、否の一言だった。




