山頂で待つものは その5
「ニンゲンを調子付かせるから、こういう事になるんだよ! 数ばっかり多いからって、自分たちが覇者だと、何か勘違いしてるんじゃねぇか?」
「覇者は言い過ぎにしても、それに近い感情を持つのは確かであろうな。そして、数が多いからこそ、馬鹿にならない事態になっている」
「竜を降せる事と、竜を上回る事は同義じゃねぇだろ! 一体や二体をどうにか出来たからって、竜全体をどうにか出来ると思ってるなら、それこそ大きな思い違いだぞ!」
「……落ち着け、フンダウグル。お前の気持ちも、良く分かるがな……」
そう言って、ヴェサールは若い竜――フンダウグルを宥めようと、その尻尾を上下に動かした。
竜は尻尾をジェスチャーの様に使い、そして、そうした時……人がやる動きと良く似ている。
三本目の腕とされるぐらいなので、他の尻尾を持つ動物とはまた役割が違った。
しかし、ヴェサールの宥める行為は逆効果で、火に油を注ぐかの様に、フンダウグルの怒りは加熱する。
「いいや、分かってないのはお前の方だぞ、ヴェサール! 奴らの増長を許せば、そのうち他の魔獣共と同様、竜を都合の良い素材のように考える! ……いや、既にその考えは持ってるだろう」
「だから、互いに距離を取るようになった。増長していたのは、竜も同じこと……。その力が強大であるが故、ヒトはそれに対抗する術を身につけるしかなかった。風雨に飛ばされないよう、より堅固な家や橋を欲すが如くな……」
「弱い方が悪い! 強者に踏み潰されるのは、世の基本、最低限の理だろう!」
「それを肯定するのなら我々竜も、ごく一部の強いニンゲンには、唯々諾々と殺されてやらねばなるまいよ。竜にニンゲンが比肩するのなら、良き隣人として遇すれば良い。対決ではなく、対話で接するのだ」
ヴェサールの声音はどこまでも柔らかく、若者を教え導く老師そのものだった。
世界に対し、そして自分たちの立場を深く理解するからこそ、そうした態度が取れるのだろうが……。
しかし、若いフンダウグルからすると、それが弱腰としてしか映らないらしい。
友愛と聞いた彼は、憤怒の視線を私に向ける。
「それでこの場に、ニンゲンが居るって訳かい! このニンゲンがその隣人で、だから竜と仲良くしましょうって!?」
「フンダウグル、声を落とせ。無礼は許さん」
「無礼だと!?」
フンダウグルは激して私を睨み付け、それからヴェサールへ顔を向けた。
「オレの上に乗せるのは、無礼じゃないって言うのか! オレの懸念を教えてやろうか! ニンゲンの増長は留まる事なく、竜をいずれ、馬のような移動手段として使い出すだろう! 我らが翼の誇りなど知りもせず! 赤子の頃から世話をして、恩を植え付けてな!」
「果たして、それを考えないではなかったが……」
「良き友人と言いつつ、自分たちに逆らう様なら狩り、従順ならば飼ってやろうってわけだ。そのうち、竜を従えられるのが貴族の格、とか言い出すぞ!」
私は思わず唸って、内心で同意する。
短慮で粗暴に見えたフンダウグルだが、中々どうして思慮深い。
そして、実にあり得る予想図だと感心するしかなかった。
人類としても、竜と全力でぶつかる戦争をする意味などない。
それが避けられない危機ならばともかく、可能ならば避けようとするだろう。
双方に莫大な被害が出ることが分かっているので、それならば程々の距離感を保つ方が利口なのだ。
それが分からぬ為政者などいない。
弱体化すれば隣国に攻められる理由にもなるので、おいそれと手を出せないのが、竜という存在なのだ。
竜の討伐報告などが、軍ではなく冒険者などに見られるのは、正にそうした理由が根底にある。
フンダウグルの理屈には頷けるものがあるな、と心底で同意した。
しかし、ヴェサールはまた違う意見のようだ。
尻尾を小さく横に振ると、嘆息混じりに続ける。
「強者の理屈の押し付けは、いずれ自分たちにも手痛い教訓として返って来るだろう。竜族の今後と安寧を考えるのなら、適切な距離を保ち続ける事こそが肝要だ」
「その間に、ニンゲンが更に力を付けたら!? ニンゲンこそが全てを支配すると言い出したら!? ニンゲンどもは、今も力を蓄えているぞ!」
「昔に比べて強まったのは事実だろう。しかし、際限なく強くなれるものではない。様々な工夫と発見で、新たな力を手にしているのは事実だが……」
「奴らは空を欲してる。早く地上を移動したくて馬を活用したように、空を移動するには竜を従えよう、と考えるのが目に浮かぶようだぞ!」
確かに空の移動は、人類の憧れと言って良い。
魔術を使って浮くことも、移動することも可能だが、その精度に関しては術者の力量に比例する。
そして現状、馬より速く移動も出来ないし、また長く飛び続ける事も出来ないものだった。
また、馬の利点は移動速度だけでなく、輸送能力が飛躍的に上昇する所にもある。
人間が飛んで運べる量は、持った重さの分だけ低下するし、馬より遅いのなら、そもそも運ばせる利点がない。
荷物を濡らさずに川越え出来る、程度の利点ならば思いつくが、自重以上の重さは当然運べないし、そうとなれば運輸能力に価値は殆どなかった。
空を欲した時、まず竜の事を考えるのは、至極当然の帰結なのだ。
だから、フンダウグルの懸念もよく理解できる。
しかし、事はそう簡単に運ばない。
どちらの竜も言う様に、翼の誇りが騎乗を許さないからだ。
そうなると、どうしてフンダウグルを呼んだのかが疑問になる。
ヴェサールが乗せたくない、と言ったのと同様、彼だって同じく拒否するのは当然だ。
私が懐疑的な視線を向けたのと同時、ヴェサールは楽しげな瞳を向けてきた。
……何だかとても、嫌な予感がする。
「此度、ウィンガートの問題は、単なる言い掛かりや小競り合いでない可能性がある。竜に手が届くようになった昨今、フンダウグルが言うように、空を欲して竜を下す為に動いた事なのか……? それとも、また別の狙いがあるのか……。そこは確認せねばならん」
「……まぁ、そうとも言える。拗れると、それこそフンダウグルみたいな血気盛んな奴が、何をし始めるか分からない」
「……うむ、フンダウグルの懸念もよく分かる故、冷静に判断し、見極める目を欲しているのだ。竜も一枚岩でない事、お主にも良く分かってくれたろう」
「話を聞くより、雄弁に語ってくれたな」
私はリルの背中を撫で宥めながら、フンダウグルを見つめる。
「しかし、だとしたら彼を呼んだのは、私を運ぶ為ではない訳か。ヴェサールみたいな歯止め役がいる、と分かっただけでも来た意味はあったが……」
「当たり前だ、オレがニンゲンなんか背中に乗せるか。――だがよ!」
フンダウグルは憤懣やる方ないと言った態度で、ずい、と顔を近付ける。
鼻先ではなく側面を近付け、黄金色の眼球をより近くへ向けてきた。
「リルが怖がるから、そういう態度は止めてくれ」
「知った事か! オレは納得してないぞ!」
フンダウグルが吼えた事で、リルの背中が大きく震えた。
只でさえ怯えていたリルは、見ていて可哀想なほど震えが増す。
まるで雨に打たれた子犬のようだ。
しかし、フンダウグルはそれに構わず、むしろ熱を増していく。
「この件にニンゲンを噛ませるなんざ! ヴェサールにとっちゃ良き隣人ってヤツかもしれんが、オレにとっちゃ不信しかねぇ存在だ。しかも、魔術士なんぞに!」
「魔術士ではなく、魔女というべきだ」
ヴェサールが隣から注釈を入れたが、フンダウグルはにべもない。
「――同じだろ! 何でこんなのに、竜の問題を預けなきゃならない? ニンゲンの味方をしないって、どうして言い切れる?」
「お前をここに呼び寄せ、対面させたのは、魔女を教える為だ。彼女は中庸の存在……。竜が馬鹿をやれば敵に回ると、先程ハッキリ口にした。その意味を知ると良い」
「魔術士がこの距離で、オレに何か出来る!? 今ここで、黒焦げにしてやる!」
言うなりフンダウグルが息を吸い込み、その喉奥で炉心にも似た明かりが灯る。
私はげんなりと息を吐き、眼の前を無視してヴェサールへと話し掛けた。




