冬の訪れ その6
普通の農家はどうか知らないが、我が家の場合、寒くなればなるほど朝は遅い。
冬以外では日の出と共に起きるものだが、布団の温かさから逃れたくなく、それでいつまでもベッドから起き上がらないでいた。
窓の外ではすっかり陽が昇っていると分かっていても、私はいつまでも布団から抜け出せない。
しかし、同じベッドで寝るリルは、そうした事とはお構いなしに、目が覚めると共に飛び起きた。
「――ゆきだっ!」
窓の外を見ては、元気に声を上げて階下へ降り去っていく。
私はベッドから消えた温もりを惜しみながら、布団を掻き抱いて丸くなった。
※※※
「昨日の夜から冷えるとは思ってたが……。そうか、雪が降ったのか……」
防寒具を着込んで、アロガと外で走り回るリルを見ながら、私は小さく呟いた。
朝食の準備が済むまでは、僅かに時間の余裕がある。
その時間を利用して雪遊びに行くのは自由だが、そうした子供の元気には、ほとほと頭が下がる。
私は暖炉の前で温かなお茶を飲みながら、リルたちの様子を観察していた。
雪が降ったとは言え、あくまで浅く残っているだけで、今日の天気ならば昼には溶けて消えてしまうだろう。
それでも一面、白く染まった非日常の風景は、リルを興奮させるのに十分だったようだ。
午前中は訓練や勉強などで、自由時間の多くが潰れる。
だから雪解けの前に堪能しておこう、というつもりなのかもしれない。
「……いや、そこまで考えてはいないか」
単に少しでも早く、雪に触れたかっただけだろう。
昼になったら溶けているなど、自分に都合の悪い予想は考えていないのではあるまいか。
「ともかく、そろそろ朝食が出来上がる。名残惜しいだろうが、呼んでやらないと……」
暖炉の温かな光を惜しみながら、その場を離れて外へ出る。
そうしてアロガと共に、雪遊びをしているリルに呼び掛けた。
「リルー! そろそろ朝食ー……!」
「はぁ〜い!」
リルは雪の握り玉を放り出して、こちらに向けて駆けてくる。
走るままに抱き着いてきて、紅潮させた頬を見せながら笑った。
「ゆき、つめたいよ! でも、たのしいよ!」
「楽しいのは良いけど、リル……」
私はリルを抱きかかえて家へ入り、アロガも中に入ったのを確認してから扉を閉じる。
暖炉の前まで移動すると、その前に降ろして帽子を外した。
そうしてリルの両手を包むようにして持ち、その手を優しく擦ってやる。
「遊ぶなら、せめて手袋しなさい。こんなに冷たくして……」
「でも、つめたいのも、たのしかった」
「そういう事を、言ってるんじゃありません」
そう言って、リルの赤くなった頬にも触れた。
「短い時間で、こんなに冷たくなってる。風邪を引いてしまうよ。しっかり、温まりなさい」
「うん、でも……おなかすいた」
「でもじゃありません。……あぁ、それなら、ここで食べてしまおうか」
私は手をテーブルへと向け、手首を返すように一回転させる。
そうしてテーブルを浮かせると、暖炉前の程々に離れた場所に移動させた。
その後に椅子も動かしていつも通りの配置につき、それと時を同じくして、料理の方も配膳される。
そうして、いつもと一風変わった食事風景に、リルは可笑しそうに笑って席についた。
「ほら、これなら温まりながら食べられる。リルも満足だろう?」
「うんっ!」
満面の笑みを見せるリルに頷き返し、そうして今日も冬の一日が始まったのだった。
※※※
しかし、その日は通常通りの一日、とはならなかった。
昼になるのもそろそろ、という時間帯、今日はリルと算数の勉強をしていた。
何かと活発なリルだから、勉強に対してはすぐに飽きるかと思いきや、今のところその熱意は継続中だ。
その熱意が空腹と共に薄れ始めた頃、唐突に雷にも似た轟音が響き渡った。
「お、お母さん……っ!」
「大丈夫、怖くない」
椅子から飛び上がり、傍に寄ってきたリルを抱き上げ、膝の上に乗せる。
そうして胸の中に収まると、リルはようやく安心して身体から力を抜いた。
「でも……、あめふってないよ? はれてるのに……」
「晴れていても、雷は鳴ることがあるぞ」
「そうなの?」
因みに、その時はゲリラ豪雨の合図だ。
近くに積乱雲が出来ている証拠でもあり、その雲が接近している証左とも言えるのだが、それは大抵夏に起きることだ。
冬にはまず見られない現象で、しかも今のは雷鳴でもなかった。
それと良く似た音というだけだ。そして音の出処を、私は良く知っている。
「だが今のは、山に呼ばれた合図だな……」
「おやまに……?」
私達が住むボーダナン大森林には、その背後に雲まで貫くより大きなものと名付けられた巨山を擁している。
その山の頂上付近には竜が棲み、森を含む地上一帯の支配者として君臨していた。
ただし、この竜はみだらに地上へ降りてくる事はない。
竜が一強だったのは遥か昔の話で、今は徒党を組めば狩られてしまい得る。
ただ無論、それは簡単な事ではない。
ギルドが所有する最大戦力をぶつけなくては成し得ないし、それでも確実に倒せるほど簡単な相手でもなかった。
それに、この森に侵入らず、山へと進出する事も出来ない。
森の恵みを守るため、私が一切の侵入を許さないから、結果として竜も守る事となっている。
そして、その事実が積極的に私を森から排除しない理由ともなっていた。
――ただし、それも今や形骸となって久しいが……。
私が頭の中でツラツラと考えていると、未だにリルがこちらを見上げて、返答を待っていることに気付く。
その頭を優しく撫でて、家の中からでは見えない巨山へと顔を向けた。
「そう、その山の頂上から、どうやらお呼びが掛かっている」
「おやまって、しゃべるの?」
「……正確には、お山に棲んでいるとある竜が、お母さんを呼んでいるんだな」
「どういうひと?」
私は苦笑して、その頭を耳ごと撫でた。
「人ではないよ。もっと恐ろしいものが、山には棲んでいるんだ。それに会わねばならない。……無視すると煩いしな」
「さっきみたいな、かみなりがずっとなる?」
「そう、そういう事」
私は重く息を吐いて、頭を撫でる手を止める。
「夏でも行きたくないのに、冬に来いっていうのは、ちょっと横暴だな。文句の一つでも言ってやらなきゃならないだろうが……」
「リルもいくっ!」
元気良く手を挙げて、興奮気味にそう言った。
森にさえ入る事を許されないのに、どうして山ならば良いと思ったのか、そこからして疑問だ。
断られるとは全く思っていない表情に、疑問を思いながら尋ねた。
「どうして行けると思ったんだ? 山は危険なんだぞ?」
「やだやだっ! いきたい!」
膝の上で暴れるリルを抱き締めて、落ち着くように諭しながら考える。
森より山の方が危険な事には変わりないが、さりとて道中に危険があるかどうかと考えると、そこは疑問だった。
何しろ私は、バカ正直に登山するつもりなどない。
中腹まではマーキングしている場所へ転移できるし、そこから空中を飛んで、竜の巣まで行くのがいつものルートだ。
山の中腹から上層は竜のテリトリーだから、魔物でさえうっかり入り込まない、ある種の安全地域だった。
だから、道中気にするべき点は、ただ防寒すること……その一点につきる。
とはいえ――。
「これから行くのは、すごく……すごーく怖いところだぞ? 帰りたいって言っても、すぐには帰れない。……それでも?」
「いくっ!」
簡潔に宣言して、リルは動きを止めた。
真剣な目……そして、幼いながらも冒険心に溢れた瞳は、頑として気持ちを曲げないだろうと思わせる。
しかし、怖い思いをする、というのは子供騙しの言い訳でもなかった。
着いてくれば、きっと泣き喚く様な思いをすることだろう。
今から向かえば、日が暮れるまでんは帰って来られるだろうし、いつものように置いて行く方が良い、と自分でも分かる。
いつも森に行く時はそうしているのだから、今回も同じ様にすれば良いだけだ。
それでも、リルの瞳を見つめる度、置いていこうという意思が挫いてしまう。
森と違って、常に抱き締めている状況が続くから、という理由もあった。
魔物との遭遇がない、という理由も挙げられる。
それから十秒、更に黙考して口を開いた。
「いいだろう、リルも連れて行ってやるか」
「やった!」
「――でも!」
喜ぶリルに指一本立てて見せ、それから凄んで言い付ける。
「今度はしっかり手袋すること! 騒いだり大声出したりしないこと! ……約束できる?」
「できますっ!」
元気良く宣誓するするリルに、一抹の不安を感じつつ、とりあえず私は頷き返した。




