冬の訪れ その5
幾ら冬が寒いと言っても、剣の訓練は続けなくてはならない。
そして、冬における一日の流れとは、大体このようなものだった。
朝食前に素振りと型の確認、汗を流して朝食、昼まで勉強して、昼食の後には自由時間……。
時々は、この自由時間に追加として、勉強や訓練に費やされることもある。
しかし、まだ遊びたい盛りのリルだから、そうした事は滅多にない。
それでも森に入りたい熱意は大したもので、遊びながらでも剣を振る所は、これまで何度も目にして来た。
「……それに付き合わされるアロガは大変だな」
時として剣を打ち合う稽古相手にされるアロガだが、当然彼は剣など持てない。
口には牙こそあるものの、剣虎狼としてまだ成熟していないので、剣牙もまだまだ短かった。
だから、それを使った攻防こそ未だ出来ないが、俊敏性においてはリルの数段上を行く。
まだまだ木剣の重さに振り回されているから、大した事故になる事もなく、だから打ち合いらしきものにもなっていた。
マフラーを送った、あの日からしばらくして――。
リルに手編みの品を幾つか作り、色のバリエーションも複数用意した。
万全とは言い難いが、とりあえずそちらは一段落ついたので、今度は来年の服を用意しなければならなかった。
「リルー……!」
私は家の外に出ると、畑の方面で遊んでいたリルに声を掛けながら近付いていく。
木剣を振り回しては走り回っていたリルは、私の声を捉えるなり、アロガを引き連れて一目散に駆けてきた。
「なぁに、お母さん!」
「私は機織り小屋の方に居るから、何かあったらそっちに来なさい」
「うん、わかった!」
大きく頷くと、アロガを引き連れてまた駆け出した。
マフラーが首元で揺れ、長い尾となって引き連れていく。
私はそれを笑顔と共に見送り、それから小屋の方へ向かった。
掃除は欠かさない様にしているが、頻繁に使う機会もないから、どうしても空気が淀んで見える。
最初にするのは空気の入れ替えで、そして暖炉に火を入れる事だった。
温かい季節ならば、こうした事は手作業ではなく、全て精霊がやってくれた。
やはり色々な部分で不便を感じ、毎年の事ながら、うんざりをして息を吐いた。
一通りの作業が終われば、ようやく腰を落ち着かせられる。
これから春用の服を織る訳だが、布を作るというのは、簡単な作業ではないのだ。
まず森の中にある麻や藤などを取って来て、繊維をあく出しし、細かく裂いて紡ぐ。
この部分は既に用意しているから問題ないとして、ここからその糸を機に掛けて織る必要があった。
織物は、経糸と緯糸によって成り立っている。
この縦に向かう経糸を木枠に張っておき、そこを横向きに通る緯糸をぎっしりと詰めていくことで、手織物というものは作られているのだ。
緯糸は途中で失敗しても、その場ですぐにやり直せる。
しかし、ベースとなる経糸は、きちんと張られていないと全てを解いて、やり直さなくてはならなくなる危険を孕んでいる。
丁寧に、手を抜かず張っておくことが肝要だった。
また、糸が途中で足りなくなったり切れてしまっても問題なので、量を多めに用意しておく。
「さて……、一通り準備が終わったが、しっかりチェックはしておかないと……」
経糸が同じ所に入っていないか、糸がしっかり張っているかどうか、実際に手で触れて確認する。
手の平で全体を軽く押して、少し跳ね返ってくるくらいの具合がちょうど良い。
糸の張りは、強すぎても織り難くいものだった。
だが、緩すぎると緯糸が綺麗に下りない。
粗末な服をリルに着せない為にも、何度か確認して、良い塩梅の張り具合を見つけていった。
「さぁ、始めよう……」
前準備が終われば、いよいよ織物の開始だ。
最初に毛糸を織り針に通し、裁縫と同じように片方の毛糸が少し短くなるようにセットする。
今回作るのは通年で使える肌着なので、毛糸の太さは細めのものだ。
この糸が細ければ細いほど、織る時に左右を往復する回数が増える。
だから、厚手の服を作りたければ、この時の糸選びを間違ってはならない。
機織り機には、綜絖と呼ばれる、経糸を上下に動かす機構がある。
これを手前に傾け調節し、糸と糸の間のくぐらせる様に、織り針を右端から左端まで通していった。
端に糸を五cmほど残し、くしで下のバーまで平行に下ろす。
そうして端の毛糸は、Uターンさせるように折り返して、裏側へと隠す。
この時、くしで下ろした毛糸とは上下反対の経糸を、くぐるようにして織り込んでいく。
そうしたら、今度は反対に、綜絖を向こう側へと傾ける。
すると経糸の上下が逆になるので、織り針を左端から右端へ返していけばよい。
この時、左端が引っ張られないように左手で軽く押さえ、糸を斜め三十度を意識して通すと、綺麗に織れる。
角度の小さい左端から、くしで下に下ろし、両端は小さなループが出来るくらいに余裕を持たせて織れば、織り幅を均一に保ちやすい。
「後はひたすら繰り返すだけだな……」
同じようにして三往復ほど平織り、必ず一方向織るごとに、綜絖の向きを変えるのを忘れない。
単純作業である程に、こういう単純なミスが起きやすいものだ。
部屋の中では竹炭が燃える音と、機織り機が立てる音のみが響く。
マフラーや帽子など、小さな物ならサッと作ってしまう私だが、流石に機織りまで同じ様にはいかない。
通常、慣れた職人でも、一日に三十センチほど織るのが一般的だ。
私はその倍の速さで織れるが、だからと言って、魔法の様に作り出す事は出来ない。
日々の営みは、単純作業と地味な事の繰り返しだ。
そして、どの繰り返しこそ幸せなのだと、私は信じている。
「若い頃は、そうとは気付けなかった……」
窓の外を見つめると、そこでは走り疲れたリルが、アロガをベッド代わりに寝転んでいるところだった。
地面に直接寝そべるのは、この季節、流石に厳しい。
疲れて火照った身体には、むしろ心地よいのかもしれないが、私から強く戒めておいたので、その約束をしっかり守っているようだ。
「とはいえ……」
遠くを見つめていた視線を、改めてリルに戻す。
この生活を子にも強要するのは、気が咎めた。
何ら刺激のない森と、そこで生活する為だけに時間を費やす日々……。
リルが望んで欲するなら、その為の生きる術を与えるのは、親として当然の義務だ。
しかし、それをリルが望むとは思えなかった。
「せめて、危険のない仕事を選んでくれたら良いのだが……」
街で暮らしたい、と望むのは良い。
何だかんだと利便性は桁違いで、金を稼げるのなら、ここで暮らすより楽だろう。
しかし、畑を継げない三男四男が、街に仕事を求めて出向く姿を思い出す。
希望を夢見て、しかし結局、路地裏で膝を抱えて途方に暮れるというのは、実に有り触れた話だ。
それに、器量さえあればどうにかなる、という問題ばかりではない。
街には街の、森にはない人間トラブルが、山の様にあるものだ。
「何処で暮らそうと、やはり気苦労は何処にでも転がっていると思うが……」
ともあれ、我が子には苦労してほしくない、というのが親心というものだ。
なりたいものになるのが一番なのは勿論だが、冒険者と言い出すようなら、流石に止めねばなるまい。
私は一時停止していた機織りへ、改めて向き直る。
今日の予定分まで、まだ多く残っている。
手早く終わらせねばならなかった。
平織りを綺麗に織るコツは、力を入れ過ぎず、糸を引っ張りすぎない様にすることだ。
両端の折り返しは、緩めくらいが丁度いい。
ただし、仕上がりが滑らかになるように、経糸と緯糸の間に、隙間ができない程度に絞らねばならない。
私は機織りの基本を考えるともなく考えながら、パタンパタンと織り機の音を鳴らしつつ、今日の分のノルマを仕上げていった。




