森の日常 その1
「かえってきたっ!」
私が森から家の敷地内に入った途端、盛大に扉が開いて、リルが飛び出して来た。
家の敷地面積は、非常に広い。
その面積の殆どを畑に使っているので、森の境目と母屋までは大変な距離があった。
それでもリルは私の出現を一瞬で嗅ぎ取って、アロガを後ろに突き従えながら走って来る。
今回の侵入は、たった一組のパーティだけだったとはいえ、ついでに森の様子を確認しに歩いたので、帰って来るのに時間が掛かった。
朝食後すぐに出発し、今はもう夕方近くとなっていた。
走ってきたリルが、目前というタイミングで飛び跳ね、私に向かって飛びつく。
それを抱き留め、力いっぱい抱き締めた。
今日のリルはいつにも増して元気で……そして、いつにも増して泣き虫だ。
「あぁん……! おかあさぁぁん!」
「ただいま、リル。寂しい思いをさせて、ごめんな……」
「ひとりはヤダぁ! ひとりはさびしいぃぃ!」
「うん、ごめんごめん。ほら、泣き止め」
ぐずぐずと鼻を鳴らす、リルの背中を撫でながら、時々上下に揺らす。
私の周囲を回ってリルをあやそうとするアロガにも、優しく声を掛けた。
「アロガもありがとう。何もなかったか?」
「グァウ!」
何事もなかったのは、私自身よく理解してる。
というより、もしも何かあれば、すぐに察知できるだけの準備があった。
だからこれは、確認というより世間話の類いだ。
しかし、子守をしてあろがも一日中、大変な思いをしたことだろう。
後でアロガの好物、鳥兎の干し肉を、しっかり与えてやらねばなるまい。
「……ほら、リルもいつまで泣いてるんだ。もう帰って来たんだ。いい加減、機嫌直しなさい」
「んーん……っ!」
リルは私の肩付近に顔を埋めたまま、動こうともしない。
仕方なく、そのまま抱き上げた格好で母屋まで歩いた。
「リルは泣き虫だなぁ。そんなんじゃ、勉強を始められないぞ」
「やぁだぁ……!」
「おやおや、困った子だ……」
優しく背中をぽんぽん、と叩きながらあやす。
しかし、一向に泣き止む気配もなく、いつまでもぐずるのを止めない。
それは母屋の前に着いても同様で、家の中に上がっても手を離さない程だった。
「今日は一段と甘えん坊だな。……どうした、怖い夢でも見たか?」
「ちがう……。ちがうけど、さびしかったんだもん……」
「アロガもいたろう?」
「アロガは喋らないもん……」
足元でパタパタと尻尾を振るアロガは、しゅんと項垂れて小さく鳴いた。
「ほら、アロガが悲しんでる。アロガも一生懸命、頑張ってくれたのにな」
「……ごめんね、アロガ」
私が地面へ降ろしてやると、アロガはリルの顔をベロベロと舐める。
リルはアロガの舌から逃げて、首筋に抱き着いては撫で回した。
「……さて、頑張ってくれたアロガには、ご褒美を上げないとな」
「ウォゥ!」
元気よく返事して、尻尾をぶんぶんと振り回すアロガに、薄く笑って手を振る。
その一動作で、遠くの食糧庫から一つの干し肉を喚び出した。
次に手を伸ばすと、食器棚が勝手に開いて、中から皿が飛び出す。
それを受け取って干し肉を乗せると、アロガの前に進呈した。
アロガは早速がっついて食べだす。
それを見たリルは、不満げに唇を尖らせた。
「アロガばっかりズルい!」
「リルも干し肉、食べたいのか?」
「んーん!」
リルは大袈裟な程に首を振って、全力でイヤをアピールする。
一瞬だけ考えて、私は首を傾げて訊いてみた。
「じゃあ、何か別のもの?」
「クルミ!」
「クルミかぁ……。確かに先日、採ったばかりだが、まだ早いなぁ……」
「えぇぇぇ……!」
ブルルル、と突き出した唇で震わせて、不満を表現するリルに笑う。
「大体、収穫しても三週間は寝かせないと……」
「そんなに待てないぃぃぃ……!」
駄々をこね、また泣き出そそうな雰囲気を見せたので、私は続く言葉を放る。
「……でも、去年収穫したものが、殻のまま残ってたな」
「あるの!?」
リルは瞳を輝かせて、足に抱き着いた。
私はその期待する眼差しに、笑って頷く。
クルミは殻のままなら三年は保つので、ある程度余裕がある時は、備蓄分を確保してある。
去年もそれなりに取れたのだが、リルが沢山食べるので、殆ど放出されていたのだ。
酒のツマミに、と確保しておいたものだが、リルのご機嫌取りと思えば、そう悪い使い道でもない。
「……それじゃあ、作るから待ってなさい」
「ちかくで、みてていい?」
「好きになさい」
腕を外に向けると、食糧貯蔵庫から一抱え程の麻袋が飛んで来た。
それを受け止め、テーブルの上に置いて、自らも座る。
リルもその横に座ると、興味津々の瞳で見つめ来る。
それにチラリと笑って、テーブルの上にクルミをぶち撒けた。
ガラゴロと音を立てて、テーブルの上に五十個ほどが転がる。
リルはその内の一つを取って、握ったり撫でたりして感触を楽しんでいた。
「ね、早くやって!」
クルミの殻は固いから、普通ならば、くるみ割り器を使うなどして開けるものだ。
しかし、魔術を習得している者は、そうした事を全て、当然魔術で解決できる。
滑る様にして食器棚から出て来た深い皿に、私は次々と殻を割っては中の実を落としていく。
一つずつ、という面倒な事はしない。
それこそ楽器を鳴らすかの様に、次々と割っては落ちるが繰り返され……。
一分と経たずに、全ての殻を割り終わった。
そして割れた殻と、割った時に出た屑も、風を巻き起こして一箇所にまとめる。
そうして、指を麻袋に向けると、それら全て中へと入って、後には一切のゴミが残らない。
私が少し得意気な笑みを作って見せると、リルは手の中に握っていたクルミを差し出した。
「はい、これも!」
そうして最後の一個も割り終わると、それでようやく準備が整った。
お皿に移った中身は、殻が取れると案外少なく見える。
それに、ただそれだけで食べると少々味気ないものだ。
そして、リルが食べたがるクルミというのも、素のクルミではなかった。
私は椅子から立ち上がって台所へ行く。
その後をリルも追い掛けてきて、小さな背で台所の縁を掴み、つま先立ちで作業を見つめる。
その頭を軽く撫でてから、鉄鍋と木べらを用意して、次に少量の水と砂糖を取り出した。
茶色み掛かった砂糖だが、これは森で取れた砂糖だ。
ブドウ科のツル植物である夏蔦の樹液を煮詰めて作られた、甘葛という甘味料だった。
この大陸ではそもそも、多く流通していない砂糖だ。
我が家でも大量に生産している訳ではないので、それなりに貴重品だった。
しかし、子供の笑顔には勝てない。
十分な量を使って、鍋へ投入した。
「さて、まずはカラメル作りから……」
強火で熱し、砂糖と水を加える。
ゆっくりと掻き混ぜていると、フツフツと湧いて気泡が出始める。
「泡が細かくなって……」
「なってー!」
「鍋底を撫でた時、跡が出来るくらいになったら……」
「なったらー!」
「ここでクルミを投入」
「とーにゅー!」
お互いに顔を見合わせ、くすくすと笑う。
満遍なくクルミを絡ませ、更に熱を加えると、全体が白くなる。
こうなったら火を止めて、クルミを空中に放り投げる。
まだ熱くて食べられないし、表面に絡まるカラメルが固まらないと、ねっちりとしてしまう。
クルミ同士がくっつかないよう、程々に離して空中でくるくると回した。
そうした方が早く冷めるし、何よりリルが喜ぶ。
「きれー! おもしろー!」
十分に冷めると、白かったものが綺麗な琥珀色になる。
全ての色が変わった事を確認すると、先程の深皿にクルミを投入した。
「はい、キャラメルクルミの出来上がり」
「わぁぁぁっ!」
ツヤツヤと輝くクルミを見て、リルは瞳を輝かせて喜ぶ。
「たべていい?」
「うん、どうぞ。お食べなさい」
リルは手掴みで一つ取って、口いっぱいに頬張る。
嬉しそうにもぐもぐと咀嚼しているところに、自家製茶がふわりと置かれた。
私の所にもやって来て、受け取るなり一口だけ飲む。
熱すぎず、むしろ温いくらいだが、乾いた喉には丁度良かった。
「ありがとう」
虚空に声を掛けて礼を言う。
目の前には誰もなく、返事すらないが、その代わりにサラサラとした衣擦れの音だけが流れた。
そうして、美味しそうに食べるリルの横で、私も一つ摘んで半分だけ噛み切った。
カリッ、と小気味よい音がして半分に割れ、クルミと砂糖の香りが口の中に広がる。
中々良い出来栄えに、思わず口の端に笑みが浮かんだ。
「お母さん、おいしい!」
「あぁ、美味しいな」
ボロボロと食べカスを落とすリルに、ちゃんと口を閉じて食べるよう言いながら、私はもう一口お茶を口に含んだ。