表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
混沌の魔女と獣人の子  作者: 海雀
第二章
48/225

冬の訪れ その3

 ――冬は嫌いだ。


 精霊送りから三日経ち、私は暖炉の前で椅子に座りながら、久しぶりに出来た空き時間で本を読んでいた。


 リルは珍しく傍におらず……それというのも、今まさに私が与えた課題の最中だからだ。


 その代わりにアロガが近くで寝そべり、私は時折その毛皮を撫でては、感触を楽しんでいた。


 本を読んで、リルに与える次の課題を考えつつ、窓の外へ視線を移す。

 雪こそ降っていないものの、冬の到来を感じさせる空気が、そこにはあった。


 ――冬は嫌いだ。

 大事な友人を、喪った日のことを思い出す。


 出会ってから日が浅く、長い付き合いという訳でもなかったが、生きる懸命さ……命を繋ぐ意志を目の当たりにして、心に灼き付く人となった。


 ――彼女との約束を、私は守れているだろうか。

 この頃、不意によく思い出す。


 精霊や妖精、騒がしいのがいなくなったからだろうか。


 姿が見えなくとも、その存在は私にはしっかり感じられていたから、誰もいないというのは妙な気分だ。


 そして、いないことの不便も、同時に感じてしまっている。

 精霊や妖精の多くがいない今、多くの事を自分でやらねばならない。


 それがごく自然な事だと理解しつつ、しかし慣れた利便さを取り上げられたとなれば、面倒な気持ちも湧いてくるのだ。


 別に全てを精霊に頼らずとも、魔術を用いて自力で解決出来るのも確かだが……。

 しかし、例えば竈の火。


 火の精霊は大抵、竈をねぐらにしていて、こちらの機微を感じ取って火を付けてくれる。


 火を付けるというより、自身に纏う炎を活性化してくれる訳で、だから一々種火を付けたりという煩わしさがない。


 精霊はマナを求める。

 だから、特別それが濃い私の家に住み着くことで、十分対価を得ている形だ。


 サボり癖があるのも確かなものの、それでもマナを放出してやれば、すぐに機嫌を治して精力的に協力してくれるものだった。


 それを魔術で同じことをしようとすれば、非常に非効率かつ燃費が悪い動作になる。


 精霊に助力を願う精霊魔術は、自身で一から十まで準備する魔術より、格段に楽だ。


 精霊の機嫌次第で威力が変わったり、そもそも発動しないという欠点はあるものの、普段からしっかり世話していれば、そうした事は起こらないものだ。


 それ自体が煩わしい、という理屈も非常に理解出来るし、冬に使えないという欠点もあるが――。


 そこに目を瞑れば、余程便利なのが精霊魔法だった。

 いや、冬に使えないというのは、便利以上に余りある欠点だというのも理解できる。


 だから、冬の間の燃料は、竹炭などを利用する羽目になっている。


 この森で薪になる木材はないし、竹炭は燃え尽きるのも早いが、贅沢は言ってられない。


 何事も上手いようにはいかないものだ。

 ただ――。


 チラリ、と椅子に座って書き取りを頑張っているリルを見やる。


「……リルには、火の付け方その他諸々、教えておいた方が良いな……」


 小声で呟いたつもりだが、ピクリと耳を動かして、リルはこちらに顔を向けた。


「なぁに、お母さん?」


「……いや、リルはこれからどんどん成長していくんだ。覚えていく事も、それに合わせて多くなる。一緒に、少しずつやっていこうな」


「うんっ! はやく、もりにいきたい!」


 私は曖昧に笑って頷く。

 何か色々と勘違いしているが、文字を覚えたら即ち、森に入れるという訳ではない。


 単に教養の問題で、リルの将来を思って覚えさせている事だ。

 ただし、勉強することのご褒美として、森へ連れて行って貰える、と考えている可能性はあった。


 ……それも一つの手かもしれない。

 今は物珍しい事をやっているから、素直に書き取りしてくれている。


 だが、冬の間いっぱい……もっと言えば、これから通年で勉強していくことを思えば、どこかで必ず嫌がるタイミングが出て来るだろう。


 その時、短時間でも森に入らせ、望みを叶えると共に、ストレスを和らげてやる――。


 ちょっとした思い付きだが、考える程にアリという気がしてきた。

 今は腕の中で抱いてやれているが、それが出来なくなるのもすぐだ。


 子供の成長は早い。

 抱いて守ってやれている内に、森の危険に接してやるのも、一つの勉強になるのやも……。


 私が密かにそう考えていると、リルが早速、飽き始めた。

 書く手を止めて、物欲しげな視線を向けてくる。


 今は見本に合わせて文字を書かせているだけだから、わざわざ隣に着いて教えてはいない。


 そして、どうやらそれがお気に召さなかったらしい。

 最初は意気込んでいた熱意も、今ではすっかり上の空だ。


「どれ……」


 椅子から立ち上がり、テーブルの横に隣り合わせで座る。

 進み加減を見てみると、今日の課題の半分程まで終わらせていた。


「……うん、半分まで終わらせたのか。偉いぞ、リル」


「んひひ……!」


 褒められると素直に喜び、それでやる気を取り戻して木筆を握り直した。


 リルに与えていたのは粘土板で、何度も書いては消してを繰り返せるリーズナブル仕様だ。


 森の中で紙は貴重で、文字の書き取りに消耗できるほど贅沢には使えない。

 だから使っている筆も、へら状の木の先端を細く割って、筆としたものだ。


 それで粘土に線を引いて、読み書きの練習をさせていたのだった。


「……うん、そう。上手だ。でも、ここはもう少し、上下の線を同じにした方が良いな」


「……こう?」


「そう、そんな感じだ」


 見本の方は、街で買った教本を元にしている。


 最初に木筆の持ち方、実際の書き方まではしっかりと教えたのだが、そこから先は自己練習の範囲だ。


 だから、一度見せたし、後はくり返し……と思っていたのだが、どうも私の認識は甘かったらしい。


 よくよく考えるまでもなく、それだけで自主的に勉強する筈がなかったのだ。

 真似ると一口に言っても、子供がやれば形も崩れる。


 そして、それを矯正する指摘がなければ、歪なままで良しとしてしまう。

 口出しして、しっかり直してやるまでが教師の仕事だ。


「……でも、初めてにしては、リルは上手な方だ。綺麗な文字だぞ」


「ほんとっ!?」


「あぁ、本当だとも。大人になっても、文字が汚い人、というのはいるものだ」


「そうなの? なんで?」


 リルの素朴な疑問に、私自身、首を傾げる。

 どうしてと言われても、それが個人の癖だから、としか言いようがない。


 一度染み付いた癖は、相当な努力なくして消えないものだ。


 そして、読み取り可能な文字ならば、殊更矯正しようともしないし、しろと強制される事もない。


「やろうという気持ちがなければ、大人だって出来ないものだからだろう。文字を書くのが仕事でない限り、汚くともそういうものだ、という慣れもあるだろうしな」


「なれ……? ほかのひともきたなかったら、リルもきたなくてもいい?」


「そんな事はない。綺麗な文字を書ける人というのは、それだけ教養が深いと思われるし、時として尊敬される。汚いより、綺麗な方がずっと良いぞ」


「んぅ……、そっかぁ」


 私はリルの頭を撫で、それから文字で埋め尽くされた粘土板を指差す。


「大丈夫、このまましっかり書き取りしていれば、リルはきっと綺麗な文字を書けるようになるよ。皆に自慢だって出来る」


「べつに、じまんとか、リルどうでもいい……」


 私は薄く笑って頷き、粘土板の文字をヘラで慣らして消した。


「そうかもな。でも、リルが一目置かれる文字を書けると、お母さんは誇らしい」


「うれしいの? お母さんが?」


「嬉しいとも。子が褒められて、喜ばない親はいないよ」


「そうなんだぁ……」


 呟く様に言うと、リルは木筆を持ち直し、背筋を伸ばして粘土板に向かい合う。


「お母さん、リル、がんばる!」


「うん、応援してる」


 そう言って頭を撫でればやる気を出し、意気込み書き始めたのだが、それも再開されてすぐに絞れる。


 持ち慣れない木筆を握っていることも、疲れを増幅させる原因のようだ。

 頭の耳をペタンを畳んだリルは、涙ながらに訴えた。


「どうして、もじってこんなにあるの?」


「どうして、か……」


 私は苦笑しながら頭を捻る。

 しかし、どう言い繕うとも、そういうものだから、としか言えなかった。


「一つの音を形にしようとした時、必要なのがその数なのさ。それに、足りないと気付いて増えた文字もあるからな……」


「え〜……。リル、すくないときのほうがよかった」


「どうかな……。たとえば、この文字とこの文字、形が良く似ているだろう?」


 私が木筆を借りて書いたものは、一つ目の同じ文字を上下に重ねたものでしかなかった。


「うん、にてる。……すごいにてる」


「音の発音が良く似ているからだ。それに、昔と今では発音の仕方も変わったし、その文字がなかった時代は、同じ文字で表記していた。……すごく不便だろう?」


「そうなの?」


「全く意味合いが違ってしまったり、正しい言い方が文字の上から伝わらなかったりした。どちらで言えば良いのか、どちらで解釈すべきなのか、前後の文脈から一々読み取る不便さがあったんだな」


「……わかんない」


 途端に顔を曇らせたリルに、私は頭を撫でて謝った。

 子供に理解できない内容を、つい口にしてしまうのは私の悪い癖だ。


「とにかく、必要だから……ないと不便だから、これだけ文字が増えたんだ。仕方ないと諦めるしかないな」


「はぁ~い……」


 不満そうにしながら、それでもしっかり文字の書き取りを続けていく。


 そうして約一時間が経った後、ようやく終わりを迎えるまで、私も書き取りに付き合ったのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ