冬への備え その8
ボーダナン大森林の秋は短い。
気付けば、あっという間に葉は色づき、そして散っていく。
長袖に衣替えしたばかりなのに、本格的な冬服を着るようになり、そして保存食作りも佳境に入った。
冬の間でも作れるものは後回しだから、その全てが完全に終わった訳ではないものの……とはいえ、一段落ついたのは確かだった。
食糧庫の中に山と積まれた保存食を見て、私は満足気に何度も頷く。
その隣ではアロガを連れたリルも、動きを真似て腕を組み、同じ様に頷いていた。
「これでとりあえず、冬の準備は万全だな……!」
「だなっ!」
セリフまで真似て頷くリルを、チラと見下ろす。
ぷすぷす、と鼻を膨らませては、自慢気な顔を晒していた。
……まぁ、リルも手伝いをしなかった訳ではないし。
そもそも、関わらせられる仕事は、そう多くない。
手伝う事より遊ぶ方が楽しい年頃だろうに、何かと近寄って来ては、手伝えることはないかと聞いてきてくれた。
その気持ちが何より嬉しい。
リルの頭を撫でると、嬉しそうに尻尾を振って、私の腰に抱き着いてきた。
「ね、お母さん! これでもう、いっぱい遊べる?」
「うーん……。保存食作りが一段落ついたからって、暇になった訳じゃないんだが……」
耳と尻尾をしゅん、と萎れされたリルを見て、私は今日の予定を返上して遊ぶことにした。
リルを抱き上げ頬ずりすると、額を合わせて笑い掛ける。
「それじゃ、今日だけはちょっと遊んでみようか!」
「やった!」
感情を爆発させて抱き着いてくるリルに、私も負けじと抱き返す。
その日はリルの我儘を存分に聞いて、望み通りに遊び過ごした。
※※※
そして、翌日からまた別の冬越し作業が始まった。
暦の上ではすっかり冬に入っていたから、畑の防寒対策は必須事項だ。
レタスやニンジンなど、少しは寒さに耐性のある野菜などに、しっかり霜対策をしていく。
特に朝方は冷え込み、霜が出る温度にもなっている。
これらを防ぐ為にも必要で、畑の間を竹で作った支柱で、アーチ状に差し込んでいった。
特にニンジンなどは背が高くなるので、こういったやり方が向いている。
ホウレンソウ、白菜、キャベツ、リーキ、ダイコン、カブなどは寒さに強い。
寒さによって一部葉が痛むことなどはあっても、全体が枯れることはまずなかった。
それでも凍らないようにしてやる必要はあり、そして寒さに刺激された野菜は、むしろ甘みが増していく。
冬の間でも残す野菜の筆頭だ。
ホウレンソウは背が低いから、野菜の上にそのままかぶせるだけで良い。
支柱などが要らないので、簡単に設置できるから楽だ。
しかし、雪などによって野菜が潰れたり、風で野菜が擦れる可能性はあるので、細やかな気配りが必要になる。
雨の重みで潰れることもあるので、そういう意味でも注意が必要だった。
そして、落ち葉と稲藁も、良い防寒素材になる。
土の微生物のエサとなるので、同時に土づくりにもなるのが大きな特徴だ。
厚く敷けば断熱効果も高まるので、地温の変化を抑えることができる。
雑草を抑える効果はそれ程ないが、冬場はそもそもあまり雑草が生えないから、これで良いのだ。
「ん゙ん゙……っ、あ゙ー……、疲れた。もう、やめたい……」
一通り作業は終わらせるのに、数日掛かった。
今は一面、綺麗に整った畑を前に、大きく息を吐いて腰を叩く。
一晩寝た位で、この疲れは取れないだろう。
農家の人間は、これを手作業で終わらせているのかと思うと、頭が下がる。
私はいつもの様にマナを振るってモノを動かすだけだが、それでも一日中外で立ちっ放しでの作業は、それなりに負担なのだ。
「じゃあ、あそぶ!?」
私の言葉に激しく反応して、リルはお尻にぶつかって来た。
疲れているなら遊ぼう、という発想になるのは流石リルだが、そういう訳にもいかないのだ。
やるべき事は、まだ多く残っている。
無事、年を越し……そして冬を越える為にも、いま出来る事を今の内にやっておかねば後悔する事になる。
「遊んであげたいけど、まだ駄目だなぁ。これからまだまだ、やらなきゃいけない作業がある」
「じゃあ、てつだう!」
「おや、ありがとう」
素直に礼を言って、頭を撫でた。
だが、これから行うのは畑の天地返しだ。
収穫が終わった畑にするもので、雑草や病害虫の予防として行われる。
冬の寒い間に、畑の土の深いところと表面を入れ替え、冷たい空気に当てて、雑草の種や病害虫を取り除くのが目的だ。
手作業で行うと労力も掛かり大変だから、当然私はいつもの様に魔術を用いてズルをする。
しかし、リルは自分用の園芸スコップを手に取ると、それを高らかに掲げた。
「そこまでやる気だと、咎めるのも憚られるな……」
森の中の狭い範囲、リルが遊ぶにしても限界があり、窮屈な思いをさせている自覚がある。
だから、せめてリルのやる気を蔑ろにしたくなかった。
「それじゃあ、リル。これから土を返すから、その場所に線を引いてくれないか」
「……どうやって?」
「そのスコップで。この畑の線を引いた所を、私が上手い事……。うーん、つまり、リルの腕の見せ所ってことだな」
「リルのうで!」
大任を命じられて、リルはすっかりやる気だ。
スコップを固くなった土に当て、斜めに身体を折った不格好な姿で走って行く。
線は当然、真っ直ぐではないが、とりあえず畑の端から端まで繋ぐことには成功している。
「いいよーっ!」
リルが線を引いた畑の対岸で、大きく手を振った。
少し離れる様に指示してから、私は手を上下に振って、それから一気に跳ね上げる。
次の瞬間、リルが線を引いた箇所を中心として、大人が両手を広げた範囲を、間欠泉の様に吹き上がった。
吹き上がった土は拡散する事なく地面へ落ち、耕地の表層(表土)と深層(下層土)が入れ替わる。
「きゃーはは! すごぉ~い!」
その場で飛び跳ねたリルは、気を良くして向こう側からこちら側へ、線を引きながら走って来る。
到着したリルは、期待の籠った眼差しを向け、私もその期待に応えて魔術を振るう。
先程と同じ、間欠泉が如く吹き上がる土を見て、リルはやはり手を叩いて喜んだ。
「もっかい、もっかいね!」
今度は縦ではなく、斜めに線を引き、かと思えば横へ走る。
動きに一定性はなく、縦横無尽に走り込んで、私の位置に戻って来た。
「やって、やって!」
何をしたいか察した私は、含み笑いを浮かべて魔術を使う。
そうして吹き上がって出来た形は、アロガを横から見た姿にそっくりだった。
当然、子供の描く畑の上に描かれた絵だから、縮尺も滅茶苦茶だし、正確とは言い難い。
それでも、何をしたかったかは明白で、そして何よりそうして遊ぶ姿が微笑ましかった。
「上手に描けたな」
素直に褒めて頭を撫でると、相好を崩して抱き着いて来る。
しかし、褒めてばかりもいられない。
「でもリル、これじゃあ、畑は全然終わってないぞ」
「んぅ……、そうかも」
「それじゃ、後はお母さんに任せておきなさい」
「……けしちゃうの?」
残念ながら、そうしなければならないだろう。
畑を全面やらなければ。準備が済んだとは言えない。
畑の上に生まれた突発的な芸術は、即座に消えてしまう運命だったのだ。
リルは残念そうな顔をさせて見上げて来て、私の息が一瞬詰まる。
しかし、それならば、とリルの手を引いて畑を離れた。
「今日いち日くらい、残しておいても良いだろう。……後で、アロガにも見せてやろうか?」
「うんっ!」
何しろ冬の準備はまだ終わらない。
果樹の剪定、竹林の管理と伐採、そして落ち葉堆肥の切り返しもある。
畑の天地返しを終わらせるのは、それの後でも構わないだろう。
そうして次の作業へ取り掛かろうと、竹林へと向かった。
竹林はこの森に私がわざわざ植えて作った部分で、竹は様々な物品の材料として優秀だから、ずっと前に作ったものだ。
編み籠の多くはこれが材料だし、竹炭は冬の間の重要な燃料だ。
堆肥は鶏で用意した物もあるが、それだけでも足りないから、別口での準備も必要になってくる。
底にあるものを持ち上げて、空気を含ませるようによく混ぜ、そこに水を掛けてやれば、とりあえずは終了だ。
これは今日一日だけでなく、まだまだ時間を掛ける事だから、完全に終了とは言えない。
しかし、一通りの作業は終えたと言え、ようやく肩の荷が下りた気分だ。
「……これでひと段落だな」
「おわり? ――あそぶっ!?」
さっきの畑も遊んだようなものだが、当然リルにとっては物足りないだろう。
しかし、時間はもう夕刻……。
傾き始めたと思ったら夜になる。
今日の所は、これまでだ。
「もう夜になる。それに畑で走り回ったから……ほら、泥も付いてる。お風呂に入ろうな」
「んぅ……、まだ明るいよ」
リルは空を指差して抗議したが、私は首を縦に振らない。
それどころかリルを抱き上げて、風呂の東屋へと歩いて行った。
暴れようとするリルを宥め、背中をよしよしと撫でる。
茜色へと変わりつつある空を見ながら、今日の夕飯をどうしようか、今から考えていた。




